45年ぶりの熊本城は、以前とすっかり変わり、再現された本丸御殿の華やかさにびっくりです。名古屋城の本丸御殿はまだうんと先ですのに・・・
加藤清正がせっかく6年もかけて築城したのに、わずか二代で細川氏に所有が移ってしまい、無念だったことでしょう。
名古屋城は、第二次大戦で落城しましたが、こちらは西南戦争で、それもその戦争が始まる3日前に放火で落城したとはいかにも惜しいことでした。すぐ下の二枚の写真は、消失を免れた宇土櫓。何層もあり、犬山城の天守より大きいです。その右は、北十八間櫓。焼けなかった13の櫓が重要文化財。別名、銀杏城と言われるだけあり銀杏の古木が目立ちます。楠もあちこちに植えられています。非常時に生木でも燃える木ということで・・・
何故か清正は城が落ちることを予言していました。この銀杏が天守閣と同じ高さになる頃落城するであろうと。事実270年後の西南戦争で焼失。現在の天守は、1960年再建されたものです。
最下段は本丸御殿内部。フラッシュ禁止のため、天井画もぼやけています。正面には王昭君が描かれています。一説には、将軍としたいところ、目立つため王ショウクンにしたと言われています。秀頼を将軍にしたいという清正の悲願でした。
2010年も大晦日となりました。ご訪問下さいました皆様、ありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。旅の続きは来年と致します。
宇土櫓 北十八間櫓
本丸御殿王昭君の図
天井画
20年ぶりに関門トンネルをくぐり、小倉下車。バスで別府、由布院へ行けばなんと一面の銀世界。由布院は2度目ですが、前回は7月。今回は思わぬ雪景色のごほうびです。金鱗湖には湯気がたちこめて幻想的でした。おまけに阿蘇山には樹氷。樹氷を見るのは、35年前のスキーの時以来。まさか南国でお目にかかるとは思っていませんでした。上の写真は新大阪駅で車窓から撮影。別のホームにも「のぞみ」が止まっていました。「のぞみ」に乗るのは何年ぶりでしょうか。ジバング切符では、「ひかり」しか乗れないのです。
由布院の金鱗湖
金鱗湖の鷺
由布岳
阿蘇山の樹氷
下右の写真は、雨にも負けずの草稿。手帳に書かれているもの。カレンダーの数字も算用数字から漢字の数字とさまざまです。
最下段の写真は、美容院で撮影したピンクのポインセチア。
賢治のサイン 雨ニモマケズ(11月)
ポインセチア
下の写真のカードは、金色の文字ですから読みにくいですが、5ヶ国の文字で、メリークリスマスと書かれています。スペイン語は、上の段の二つ目。
上の写真のカードの内側には、「今年も神様のお恵み、喜び、平和、希望、多くの幸せが皆様の上に降りますように心からお祈りします。よいクリスマスをお迎え下さい」と日本語で書かれています。
私の返事は毎年年賀状で、スペイン語でご挨拶します。昨年は移動通知を貰った後、ささやかなプレゼントを贈りました。
知り合ったきっかけは、数年前マドリードの空港で、習いたてのスペイン語で語りかけた時です。その後、会話は進歩していないので彼女に恥ずかしいです。
楠
楠からは樟脳(しょうのう)が取れます。葉を潰したり,枝を切ると樟脳の匂いがします。クスノキ科。関東以西の暖地に自生。街路樹にもされています。神社にも多くて、中には30mにもなるものも見られます。
柚子 2
下左の写真は大柚子。美容院近くの畑に案内され、撮影しました。このような巨大な柚子を見るのは初めて。でも小さいものの方が利用しやすいそうです。
下中と右の写真は、昨夜Nさんから送られたなばなの里(三重県)の百合と、富士山のイルミネーション。途中で雨が降り出して、撮影にも苦労があったようです。
下段は、Gさんから届いた愛知県一宮の138タワーのイルミネーション。ふたご座流星群も見られ、ラッキーだったそうです。
菩提樹の数珠 ムクロジの数珠
一宮138タワーのイルミネーション
先日の萬松館でのイベントの中で表千家師匠、山本晃浄氏の講話を、備忘録として書きとどめておくことにしました。
まず千利休の切腹から。秀吉と利休は、美意識が全然違うことから意見がかみ合わず、切腹に至ったこと。秀吉は金色の茶室を作る趣味に反して、利休は竹を使う質素な花入れなどが好みでした。野上弥生子の「秀吉と利休」を読んでもこれは推察できますが、利休死後、秀吉はお茶を止めたことは知りませんでした。ライバルと思っていたのでしょうか。
裏千家は、千利休切腹後、息子の少庵は会津に流され、次の代の宗旦は雲水となりました。その次の代に、武者小路千家、表千家、裏千家などに分かれます。天明の大火のあと、表千家の裏に隠居したことから、裏千家となりました。表千家から分かれて6代目が名古屋に立てたのが、松尾流。私は昔松尾流もお稽古したことがあります。関西に行ってからは、裏千家。松尾流の先生は中部しかおられなかったのです。
茶人の正月は、11月です。先ず、口切りと開炉。5月の新茶は、葉のみ粉末にして茶壷に半年寝かしてから使います。その頃のお軸は、「白鶴宿老松」など。
12月は、夜咄(はなし)。お軸は、「歳月不待人」など。
1月は、初釜、大福茶。お軸は、「春入千林處々鶯」これは宗旦78歳の書。
2月は暁。お軸は、「渓梅一乃香」(いちだかんばし)。
3月は利休忌。利休は3/28に切腹。お軸は、「柳緑花紅」など。
4月は野点。お軸は、「春風百花舞」など。
5月は初風炉。お軸は、「山紫水明」など。
6月は夏こし。お軸は「一雨潤千山」など。
7月は祭釜。お軸は、「青山緑水」など。
8月は朝茶。5時半から始めます。お軸は、「夏雲多奇峰」など。
9月は天然忌。お軸は、「月白風清」など。
10月は名残。初冬にかけて最後のお茶を楽しみます。お軸は、「秋菊有佳色」など。
なお、基本的には、「炉」は、立冬から立夏まで。「風炉」は、立夏から立冬までとされています。写真は萬松館庭。
斎明天皇の息子の中大兄皇子(後の天智天皇)の子供、つまり孫に、建王(たけるのみこ)という男子がありましたが、生まれつき口をきくことが出来なかったのです。建王は大人しく、可愛らしかったので、斎明天皇は偏愛したのですが、8歳で亡くなってしまいました。その孫を詠んだ歌が三首あります。その内の一首。
飛鳥河水漲(みなぎら)ひつつ行く水の間(あいだ)も無くも思ほゆるかも
今日の一首
あかつきの成否の前に海老蔵のニュースが出張る平和日本 Hさん
今日は、歌会終了後、新しい方の歓迎会と忘年会を兼ねて、町内の新しいお店で食事会を致しました。前菜の左上にあるのは、陶板焼き。甘味噌で頂きとてもおいしかったです。このあと、グラタン、お造り、てんぷら・・・と続き、最後はアイスクリームとコーヒー。どれも美味でした。出席者10人。上の写真ですが、カメラマンが欠けています。右奥が93歳のSさん。
お店の入り口のデコレーション 前菜
岐阜市に住む一流の人たちの演技を、間近に見ることが出来ました。茶道、謡曲、長唄、お琴などもり沢山でした。(昭和天皇の常宿であった萬松館の門の内側からの写真は、8/12にup)
表千家の山本師匠から茶道についての話。謡曲は人間国宝の玉井さんです。リンクしているZooeyさんのおばさま。鼓の後藤さんも県一のレベルです。Tさんと後藤さんは、「小督」を共演。筝曲演奏の佐藤先生は、私の46年前のお琴の先生で91歳。宮城道雄の最後のお弟子さんです。娘さんと共演されました。先生のお元気な姿が見られるのを楽しみにしていました。休憩時間にお話も出来ました。お孫さんは東京芸大とか・・・
佐藤先生と萬松館との思い出は、宮城道雄先生を岐阜に迎えたときの宿であったこと。その日の二ヵ月後に列車事故で亡くなられたそうです。宮城先生の弟子は5人生存されていますが、現役は佐藤先生だけです。親子で春の海と六段の調を演奏され、春の海では、尺八の変わりにヴァイオリン。このコラボレーションもよかったです。(マナー上、フラッシュなしで撮りましたので、鮮明ではありません)
なお、このイベントはインターネットで世界中に発信されていました。
萬松館 山本師匠
人間国宝玉井さんの謡曲 鼓の後藤氏
佐藤先生 春の海
六段の調 杵屋氏(右)の越後獅子