つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

能を中学生の時に

2020-02-29 | わが家

 3年前の夫の演能の時、友人にちらしを渡したら、「それは見たことがないから行かない」と言う人がありました。まだ見たことがない人がいるのだわ、と驚きました。私たちは中学生の時、全校で岐阜市民会館で鑑賞しました。創立間もない岐阜大付属中の先生方のおかげです。その時狂言もあり、面白かったことを覚えています。能の演目は忘れましたが、何か別の幽玄な世界を感じました。

 他にそこではクラシック音楽も鑑賞した記憶があります。何でも体験させてやろうと言う先生の意気込みでしょうか。アイススケートも体験。昭和30年代は岐阜にもスケートリンクがあり、かなり賑わっていました。今は廃屋になり取り壊されたようです。

 時には、朝7時半に映画館前に集合して、映画鑑賞もありました。一般の人の一足早い時間に、多分映画館側と交渉して下さったのでしょう。学級費とともに30円の集金がありました。廉価で名画が見られたのは感謝です。ディズニーの「ファンタジア」はとても良かったです。日本最初のカラー映画「幻の馬」も見たのですがストーリーは忘れています。

 修学旅行も、他の市立中学が東京の時代に、関西。京都、奈良、大坂、神戸でした。大阪では、市立電気科学博物館でプラネタリウムをはじめて見ました。この年、まだ名古屋市立科学館は開館されていなかったため、名古屋の人より先にプラネタリウムを見た訳です。行く前には仏像の指の印の結び方まで教わりました。これは後年大学の授業で習ったことです。

今頃咲いたクリスマスカクタス

梅ももう散りかかっています

枝垂れ梅

白梅の盆栽

雲南黄梅

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3年ぶりの能舞台

2020-02-28 | わが家

 来月20日に夫は、3年ぶりに能舞台に立つことになりました。一時は病床にありましたが、謡曲の稽古は復活していました。3年前は敦盛でしたが、今回は鵜飼。長良川の鵜飼ではなくて甲斐、つまり山梨県の笛吹川の鵜飼です。当時の川の名も今とは違い石和川。能によくある亡者のお話です。当地は長良川の鵜飼を連想されますので、そうでないことを説明しなければなりません。何しろ能の教本は室町時代に作られたお話。川の名前も変わっています。

 1時間20分の長い舞台。安房(あわ) の国の僧侶が出て来ますが、安房は千葉県の房総半島の先にある地の旧名。その僧が甲斐に行きます。老人が現れ、鵜で鵜飼をし、鮎を取ったことが禁漁の罪で殺された亡者と言います。僧は法華経の文字を石に書いて供養。それにより極楽に行くというお話です。3月20日午後12時45分頃から出ますので、どうぞよろしくお願いします。会場は岐阜市文化センター。無論無料です。素人ですから。

 

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奈良だより 172

2020-02-25 | 国内旅行

 昨日は、奈良の前田さまから、メールが来ました。大相撲初場所で優勝した徳勝龍は奈良県出身。前田様と同郷です。以下はメール。

 「先月の大相撲初場所で、20年振りに幕尻優勝を果たした、<wbr />徳勝龍は小学校2年生から中学校卒業までは、私の地元で過ごしました。父親が警察官で、<wbr />地元の駐在所勤務だったのです。写真は卒業した小学校に掲出された、優勝を称える横断幕です。
 
今日は、生駒市高山地区の茶筅の里へ行ってきました。この時期は、<wbr />茶筅の材料となる竹の寒日干しがされている時期なのです。高山の茶筅は500年の伝統を有し、<wbr />全国各地に出荷されていますが、元々家内工業的に生産されていたこともあって、後継ぎ難等も加わり、<wbr />生産者数はかなり少なくなっているように思います。」
 
 
 
 
 
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第6回岐阜版遊会展

2020-02-24 | 文化

 昨年に続いて、五藤さんが出品されている岐阜版遊会展を見るため各務原市中央図書館に出向きました。今年度の作品は中国旅行中心。昨年お知り合いの中国の人に案内して貰い、民宿に泊まられて旅をされました。今年ならコロナウィルス騒ぎで危なかったのですが、ラッキーでした。毎年テーマを求めてご夫婦で旅行されます。

 いつものように希望の作者の作品を1点頂けます。当然五藤さんの作品です。今年は胡蝶侘助。時節にぴったりです。

 お昼は考えられないほどお値打ちなステーキ。日曜日のせいか店は若い人で混んでいて、少し待ちましたが、とても美味しくて満足しました。溶岩を熱した上に表面だけ焼いたお肉が載せられて、ミディアムの状態で運ばれて来ます。コーヒーショップも彼女の行きつけの店。サービスも多くて同行の友人も恐縮してしまいました。店の飾りもステキでした。展覧会は3/1まで。

下はたまたま見た動画 後半は広告ですから早めに前半だけ見て下さい。2日程度で無効となります。

https://in.intelligencereport.jp/MRUK6_9800?cap=hs1

 

麦秋

蘇州慕情

張家界風光

胡蝶侘助 

ステーキランチ

コーヒーショップにあったお菓子の型などのデコレーション

我が家の胡蝶侘助

 

 

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木曽川を再びこの手に

2020-02-23 | 講演会

 昨日は笠松町中央公民館で標記のテーマで、元各務原市長森氏、前犬山市長石田氏、笠松町長古田氏とでシンポジウムが開かれました。元首長たちのお話は期待以上でした。森氏と石田氏は親友のようで、なごやかに進められました。

 まず森氏から。イザベラバードの本を読んだら、江戸末期の日本人は公平な教育がなされていた。英国の教育は有産階級だけで、貧しい人は文盲であったのに・・・各務原市も教育に力を注ぎ、全国共通テストに全国3位にした。勿論県一です。

 石田氏曰く、犬山市には明治村があり、愛知県全体の文化財の1/3を占めるとか。犬山鵜飼は、岐阜をおもんばかって、木曽川鵜飼と名前が改められるとか。長良川鵜飼の鵜匠は、宮内庁職員。犬山鵜飼鵜匠は市の職員。他地区は民間らしいです。ちなみに長良川の鵜匠は肩書だけの給与8000円とか・・・

 このあたりは日本史の歴史舞台によく登場し、まず壬申の乱では、各務原市の村国男依が天武天皇を勝利に導いたこと。木曽川は13世紀の承久の乱の戦場であったこと。関ヶ原の戦いの舞台になったことなど・・・関ヶ原前哨戦は、笠松町の木曽川沿いの中野の戦いに始まります。この時東軍が勝利。(8/22に東軍の岐阜城攻めがあり、木曽川を渡った。秀信の岐阜城は降伏) 彼らの言われる通り、歴史によく登場します。これを打ち出そうと言うことで、話はまとまりました。

 木曽川学という学術誌を2004年から発行していたのですが、数年後に廃刊しました。わが家には全巻あります。

 

左から、進行の高橋氏、古田氏、石田氏、森氏。

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公民館短歌会159 プラス講演会

2020-02-22 | 講演会

 昨日は午前中は、公民館短歌会で午後は健康講演会に出向き、忙しく過ごしました。万葉は延々と29番歌が続いています。あと少しで終わりますが・・・

 鈴木さんが2020年度のNHK介護短歌百人一首に入選。これから逐次Eテレ「ハートネットTV」で放映されます。初めてのことで皆で祝いました。来月には県文芸祭短歌部門に入選された伏屋さんの表彰式があり、嬉しいことが続きます。下は介護短歌百人一首入選作。

介護する母の寝息に手を当てて静か過ぎるも心配のたね     鈴木和美さん

今月の一首

雀なく朝の寝起きはすっきりと青空の下マロンと散歩す        Hさん

 午後は約束していたので、「ホテル長良川の郷」で健康講演会。ホテルは、以前は皆藍亭と言う名前。母をランチに連れて行ったことがあります。25年ぶりに行くと改装され、名前も変わっていました。大腸のお話でした。その話の中で10年前に聞いた千島学説のことが取り上げられびっくり。千島先生の88年前の学説が最初は問題視されていなかったのに、今は一部認められることになり娘さんも生きておられたらどんなに喜ばれるかと思うと切ない気がしました。お父上は勿論、娘さんも高齢で亡くなられてしまいました。あんなにお父上の学説に誇りをもっておられたのに残念です。お父上は岐阜大学教授でした。腸で血液が作られているかもしれないという説です。

ホテル長良川の郷

 

 

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加藤清正の孫の顕彰

2020-02-21 | 歴史

 昨日の放送大学リフリレッシュサークルのテーマは、加藤清正公と嫡孫の光正公の顕彰について。松尾さんが発表されました。清正の孫の光正と飛騨と関りがあることをこれまで知りませんでした。縁あって彼は、飛騨で昨年秋の高山祭に合わせて開かれた光正の顕彰大会に参加されました。熊本や、山形の鶴岡や、清正の生地名古屋の有志120名が集まり昨年の10月9日、10日盛大に開かれたようです。2年ごとに大会が開かれています。

 知られているように戦国武将の加藤清正は秀吉の元では大活躍をしたのですが、家康の時代になり、子供の忠弘は不審のかどにより、山形の庄内藩に預け、鶴岡藩に配流。孫の光正は飛騨高山に配流。金森藩にお預けとなりました。清正の50歳の死も暗殺と言う噂があり、孫の光正の19歳の死も同様の噂があります。家康が秀吉に関連する人たちを消したいということだったのでしょう。

 清正は秀吉と同郷。生地もとても近くてどちらも名古屋市中村区。家康にとっては邪魔だったのでしょう。名古屋城近くには清正の銅像もあります。飛騨には、巨大な五輪塔の墓もあり、菩提寺は日蓮宗の法華寺。盛大に法要も営まれ加藤家も供養されました。高山市長も交えてパネルディスカッションもあったようでした。加藤家の直系はなくなりましたが、子孫の女性は谷口家に嫁ぎ、当主は医師。19代目で岡崎に居住されています。

 

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台湾を知ると世界が見える

2020-02-20 | 

 最近求めた本です。「台湾を知ると世界が見える」。藤井巌喜氏と在日台湾人医師林氏の対話形式になっています。二度台湾に行き、知っているつもりでしたがまだまだ。八田與一のことも嘉義農林の高校野球のことも知っていたのですが、その程度では・・・まず台湾の歴史から。16世紀にポルトガルが発見。17世紀にはオランダが統治。その後は清の統治。日清戦争で日本が勝利し、日本の領土に。清は、未開地で野蛮な山賊ばかりでどうしようもない島なので、台湾を手放したのです。

 日本は文盲の人に一流の教育を施し、水がなくて毎日水くみをしていた人を楽にさせるべく巨大ダムを建造しました。これが今でも機能している八田ダム。精神面も教育され、日本の武士道も伝わりました。レベルアップしたのに、50年後に敗戦となり、蒋介石が38年統治。知識階級が14万人も投獄。蒋介石は反日教育しようとしたのですが、日本に感謝している台湾の人たちは信じません。覆されました。

 台湾と日本に大地震があり、お互いに助け合いました。東日本大震災の時、最初に救援を申し入れたのは台湾。ところが当時の菅民主党政権は、入国を拒否。中国が先でなければならないとかで・・・足止めをくいました。民間の義援金が200億円。最多でしたのに。

 日中友好と言う言葉が曲者で、中国と統合化しようともくろんでいるのです。二階幹事長も曲者。中国寄り政策をしています。安倍首相も騙されています。貢いでも何も得られないのが分からないようです。複雑ですが、台湾は中国の一部ではないというのが正しい見方です。

 1996年に李登輝氏が史上初めて投票で選ばれます。当選を阻止するため、中国は台湾近海にミサイルを撃ち込んで恫喝したのですが、国民の54%の支持で総統が選出されました。李登輝氏は京大出で、農業経済博士です。

 1972年の中国共産党の対日工作計画によると、「いかに日本の政界、学界、経済界に工作して、洗脳するかということ。そして、日本のマスコミにも日本国民の政治への関心をうすれさせ、スポーツや性的な話題や芸能界の話題だけに集中させるような報道をさせる。そして教育界にも平和思想を植え付ける。」と書いてあるようです。NHKにも中国メディアは入っているのでそのように操られています。米国と台湾との関係も大切ですが、紙数が尽きました。ダイレクト出版株式会社発行。232頁。

 

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サチンくんは成人式

2020-02-18 | Weblog

 昨日の英会話レッスンの後、私にエランガ先生は長男のサチンくんの成人式の写真を見せて下さいました。貸衣装の店で偶然会ったりして、その後のことも気にしていたからです。彼は東京の大学生です。次男のスワンくんも、最初に会ったのはベビーの時で、大きなバスケットに入れられていました。もう中学生となり、兄のサチンくんの背を越えています。

 和服姿はサチンくんの希望。歌も歌えるスター。プロの人とステージに立っています。「パリ祭」で・・・かつて歌う前にこんなコメントをしたことがあります。「僕はこんな顔をしているけど日本人です」。彼は1999年生まれ。その翌年の2000年に先生は留学生弁論大会に東海地区で優勝。1歳の彼を友人に預けて、全国大会に出場。学生結婚されていたのです。

 左に写っているスワンくんは、あることがきっかけで芸能人が受けるレッスンを受けました。その世界に入るかは未定ですが、歩き方から厳しく教わりました。

 相変わらずご多忙で、先生は今頃東京です。3日間ホテルオークラ泊。最近のコロナウィルス騒ぎで、重要会議も中止となることも多く、何も使用しないのに広い会場に料金だけ支払うことになっていて、経済も無駄になっているようです。桁違いの金額です。

 

 

 

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久しぶりの電報

2020-02-17 | わが家

 昨日と一昨日は、夫は横浜で謡曲大会があるというので、1泊で上京しました。発つ2日前に東京在住の夫の友人からハガキが届き、会いたいと言われるのです。新しい機械を開発した仕事仲間でその内容を本に纏めたいので、資料も見たいと言われ、名古屋まで行くと言われるのです。

 上京する旨をすぐ伝えたいのに40年もご無沙汰して電話番号も分かりません。104で聞くと、登録していないという返事。これは大変とメールを出すと、2日も返事がありません。日頃は、パソコンもあまり開かれないようです。メールアドレスは葉書に記載されていました。

 もうこうなると連絡手段は電報しかないです。祝電弔電以外は久しぶりの電報を115から打ちました。「メール見てね」と。その電報にあわてて彼からスマホに電話がかかり、ようやく二人はホテルで再会できました。ヒヤヒヤした二日間でしたが、やれやれです。こちらの電話番号やホテルの場所を書いたメールは追伸も含めて3通。私は日に何度もメールチェックするので、考えられないほどゆっくりペースの人です。40年ぶりの再会に二人とも感動し、話も尽きなかったようです。下は昨日夫へ届いた誕生祝。

 

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