昨年初めて岐阜大学工学部教授松井先生追悼食事会を休んでしまいましたが、今年は何とか出られました。先生の弟子の元教授仲間の5組の夫婦が、毎年旧交をあたためています。夫もほぼ病気は回復しましたが、運転は止められているため、初めて名鉄で出かけました。会場は駅前のビル最上階ですから、支障はありません。この路線に乗り、夫は、高校に通っていました。65年前の車窓からの景色は田畑ばかり。あまりの変わりように驚いていました。会食後は次の予定があり、すぐ失礼したのですが、皆さんは二次会に行かれたようです。
昨日初めて知ったことは、第二次大戦中戦線が危うくなっていたため、とりやめられたようですが、当初は工学部は各務原飛行場跡に建てられることになっていたそうです。岐阜大学は岐阜市黒野に一括される前は、戦後4ヶ所に分かれていました。岐阜女子師範と青年師範は、教育学部に、高等農林は、農学部に、県立医大は医学部に、高等工業は、工学部になり、校舎は別々。工学部の校舎を飛行場跡地に建てる計画が戦争のため、なくなり、結局は農学部の敷地の片隅に建設されました。4学部の中で歴史が最も浅いために、そのようになったのです。飛行場は跡地とならず存続。今は自衛隊が管理し、ブルーインパルスが時として飛行します。ここは、ゼロ戦も試乗されたところ。食事したビルから見晴らせます。
各務原市ぶるーすかいの料理
最近の我が家の庭
シュウメイギク ホトトギス
オキザリス・ホーウィ マユハケオモト