最新の研究によって、偏った見方であることが
わかってきました…
中国大陸からやってきた遣唐使よりも、
日本にやってくる遣日使の方が多かった。
「縄文時代の日本は、中国に比べると
はるかに劣った文明しか持たず、
まるで原始時代のような生活を送っていた。
さらに、漢字をはじめ、今の日本を作る土台は、
ほとんど中国大陸からやってきた」
大半の日本人は、学校で習った歴史から、
そんな風に感じているのではないでしょうか。
ですが、最新の研究によると、
日本にやってくる遣日使の方が多かったことをご存知でしょうか。
例えば、607年、小野妹子の時代…
日本から中国には、3~5回ほど遣隋使が派遣されていますが、
今の満州、朝鮮北部、ロシア沿海州まで治めていた
渤海(ぼっかい)という国からは、
そして、隋からも位の高い役人が
32艘(そう)もの大船団を引き連れて来日。
隋の後継国、唐からも、669年・671年にそれぞれ
2000人にも及ぶ大人数が来日しています。
彼らは、日本が持っていた絹や銀の製造法や、
聖徳太子の和の思想を学びにやってきていたのです。
日本と中国は、まさに対等な関係で、
文化交流を行なっていたにも関わらず、
なぜ、現代の教科書では、
日本が一方的に中国から学んでいたように
書かれてしまうのでしょうか…
「東北大名誉教授で、西洋美術・日本国史の第一人者…
田中英道先生の話より