つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

岐阜県歌人クラブ夏季大会

2004-07-29 | 短歌
 岐阜県歌人クラブ夏季短歌大会が、羽島市で催されました。これまでの開催地では、来賓は代理であることが多かったらしいですが、今年は羽島市長自ら祝辞を述べ歓迎して下さったのは感動的でした。
 会場の隣には大賀ハスが美しく咲いていました。凡そ100人の参加者の中ではからずも筆者の作品が2席となり、びっくり・・・初めて参加したのに・・・10数年前兵庫県にいた時、兵庫県歌人クラブの大会にても表彰されたことを久しぶりに思い出しました。
出詠歌

どのやうな診断なりしや啜り泣く声が順待つ廊下に聞こゆ
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中日新聞の「わたしの絵手紙」

2004-07-25 | 植物
 中日新聞「わたしの絵手紙」のページには毎週日曜日、20枚ほどの作品が掲載されます。本日は稲沢市の熊坂弘子さんという方の月見草の絵にくぎづけになりました。本当の月見草を認識する方がここにもあり、嬉しく思いました。どこから種を入手されたか知りたいものです。
 数年前、千葉県で市販されているという噂は聞きましたが・・・
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「ジハード」とは

2004-07-24 | 社会
 高橋先生の講演が終わって1週間。まだ伝えきれていないことがありましたので、ひとこと。
 高橋先生はフセイン元大統領と握手し、英語で「イラクは2度と戦争に巻き込まれませんように」と言われると、その返事は「神がお望みなら」(インシャーラ)だったそうです。
 常に秘密警察で国民を監視し、スピーチで拍手しないと、拷問、虐殺されたそうですが、いい面もあり、それは石油の価格が高騰し利潤をもたらしたこととか・・・
 先生は使用不能となった紙幣も見せて下さいました。単位が「ディナール」と聞き、1998年にボランティアで訪れたチュニジアを思い出しました。同じディナールという単位でしたが、聖書の時代そのままなのです。
 それと、「ジハード」というと日本では聖戦と解釈されていますが、本来は「努力する」「頑張る」という意味だそうです。


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高橋先生のイラクのお話

2004-07-18 | 社会
 放送大学岐阜学習センターで、放送大学助教授高橋和夫先生の「イラク情勢を考える」という特別講義がありました。
 この写真のスクリーンには、1990年先生がフセイン・イラク大統領と握手されている姿が写っています。当時この独裁者に会うことは大変困難で、日本大使館の人も不可能だったとか・・・
 イラクは民族と宗教が錯綜する特殊国家であります。アメリカの戦後処理の失敗はどこからくるのか、とかこの問題の根幹となる有益なお話を聞くことが出来ました。

この先はいかなる道をあゆみゆくイラクよ第二のソマリアになるなかれ

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月見草15号

2004-07-17 | 短歌
 東京歌会から帰宅しましたが、提出歌は年末発行の「月見草16号」に掲載します。前回紹介した「月見草15号」の中の作品を一部紹介します。歌を作ってみたいと思われたら、Commentに書き込んで下さい。

房先にうす青き蕾ふくらみてのうぜんかづらは今花盛り
                     Mさん

唇のかたちをなしてたつなみ草語らふごとくに向きそろひ咲く
                     Kさん

このように文語体にこだわっております。
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短歌通信「月見草」

2004-07-10 | 短歌
 14年前の回想がつづきます。
 1990.7.10神戸新聞に私の主宰する年刊短歌通信「月見草」が、2枚の写真入りで、8段記事となり、紹介されました。7/6ここで紹介した神戸新聞記者の則本氏が、「ツキミソウ」につづいて次は短歌通信「月見草」の取材に来られたのです。掲載後、読者の1人が短歌の添削を依頼されこの会に入られました。ささやかなスタートより15年経ち、ささやかなまま、15号を昨年発刊しました。
 1989年に発行した歌集「月見草」は報道されることはありませんでしたが、超ミニ結社「月見草」の同人誌をワープロで創ったために、珍しがられ、記者の目にとまったようです。4年前から、パソコンに切り替えています。
 明日は歌会のため、上京します。
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塚本邦雄氏からのおたより

2004-07-08 | 短歌
 1990年5月に、歌人塚本邦雄氏から届いたおたよりは、葉書全体が芸術作品のようです。私製はがきには聖句が入っていたりして、一枚一枚がオリジナルのものです。勿論記念切手が貼ってあります。筆跡は、鎌倉の近代文学舘に展示してあった原稿と当然同じものです。スバラシイ。
 内容は私がお送りした月見草が開花したことと、桃色昼咲月見草は以前から咲きつづけているというものです。

 我が家の桃色昼咲月見草を写してみました。
 
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「月見草」が掲載された日

2004-07-06 | 短歌
 掲載された新聞の日付を見て、昨日書き込むべきであったのに・・・と悔やんでいます。
 1990年7月5日付け、神戸新聞に我が家で咲いた月見草の写真と記事が4段で掲載されました。新聞記者と知り合いの私の友人が知らせたのです。はじめて記者の取材を受けたときは相当緊張したことを今も覚えています。プロの記者の写真の撮り方のうまさにも感服しました。
 朝日新聞の記者も取材に来て、写真を撮りましたが、タダの主婦では記事にならないと思ったのかろくに調べもせずボツにしました。デスクの人も恐らく写真と図鑑の照合もしなかったのでしょう。
 その後、その神戸新聞の記者とは交流が続き、後に出す、短歌通信「月見草」も載せてもらうことになりました。先頃新聞社を定年になられました。
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「ツキミソウ」のこと

2004-07-04 | ガーデニング
 「ツキミソウ」は、あかばな科で北米原産の二年生草木です。1850年代マツヨイグサなどとともに渡って来ましたが、弱いため、野生化しなくて殆んど見られないようになりました。
 この種を20年前頂きました。その頃兵庫県に住んでいましたが、息子が東京の大学に入り、同時に、「尚志舘」という兵庫県人会の寮に入りました。100年以上の歴史のある、丹波篠山藩藩主、青山氏が創立されたその寮の館長だった森田淳二郎氏から、「本物の月見草を差し上げましょう」と、種が送られてきました。
 森田氏は元「少女の友」編集長で、今89歳、とてもお元気です。最初月見草の種を知人の植物学者から頂かれたそうです。植物愛好家の森田氏は、春になると神代植物園まで桜の撮影に出かけられます。
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