これは信者がしばしば直面する立場である。彼らは、これまで出会ったことのないような危険や誘惑にさらされる。このような場合には、ヤコブの例にならい、神に祈りのいけにえをささげて神の導きを求めるがよい。主の祝福を得るまでは行動してはならない。そうすれば、彼らはヤコブに伴われる方を友とし、助け手としてもつであろう。私たちの行く所に主が伴われ、屈辱や追放をも共にされるほどへりくだられることを確信するのは、なんという祝福であろうか。大海を越えても、私たちの父なる神の愛は太陽のように照り輝く。主がご臨在を約束された所に行くのを、私たちは躊躇しない。死の陰の谷すらも、この保証の輝きによって明るくなる。
神を信じて前進するならば、信者はヤコブと同じ約束を与えられる。人生の苦難からであろうと、死の部屋からであろうと、再び導き出されることであろう。ヤコブの子孫は、時が来ればエジプトから連れ出された。同じように、信仰あつき者は、無傷で人生の苦難と死の恐れを通過する。ヤコブの信頼にならおう。
「恐れるな」というのは主のご命令であり、主の導きに従って新しい海に乗り出そうとする人々に対する主の励ましのみことばである。神のご臨在と神の保護は、ただ一つの不信仰の恐れをも許さない。私たちは神なしに行動することを恐れる。しかし、神が行けと命じられる時、ためらうのは危険である。
友よ。前進せよ。恐れるな。