困難の中にある時、なぜ主にすべての悲しみを打ち明けないのか。主が同情をもたれず、あなたを慰め、救い出すことができないと言うのか。あなたは友人の間を飛び回って自分のことを話すが、あなたの最上の友、あなたの主の御胸にそれを告げようとしない。
あなたは今日の罪のために重荷を感じているのか。ではここに、血で満たされた泉がある。それを用いよ。罪の意識が再びもり返してきたと言うのか。主が罪を赦される恵みは、幾たびでもくり返して明らかにされる。きよめられるために、ただちに主のもとに来い。
あなたは、自分の弱さを嘆き悲しんでいるのか。主はあなたの力であられるのに、なぜ主によりかからないのか。あなたは裸であると感じているのか。たましいよ。ここに来て、イエスの義の衣を身に着けよ。あなた自身の義、恐れを脱ぎ捨てよ。美しく白い亜麻布を着よ。それはあなたが着るために備えられている。あなたは病気であると感じているのか。夜の祈りのベルを鳴らし、愛するいやし主を呼べ。主はあなたを力づける強壮剤を与えられる。
あなたは貧しい。が、「非常に裕福な一人の親戚」がいる。それなのに、あなたは主のもとへ行かないというのか。主はあなたに、主と共同相続人であるという約束を与え、すべての主の存在と所有物をあなたのものとして移す手続きを終えておられるのに。
ご自分の民が主を用いないで、飾り物としておくことほど主がお嫌いになることはない。主は私たちによって用いられることを喜ばれる。私たちが重荷を主の肩に置けば置くほど、主は私たちにとって尊いお方となってくださる。
私たちは主に対して率直になろう。そうすれば信仰が後退したり、かたくなになったり、また冷ややかになったりすることはない。