座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆いつでも祈るべきであり……。

2014年11月13日 17時06分35秒 | 聖書

(ルカ一八・一)

人は、いつでも祈るべきであり、失望してはならないとすれば、キリスト者においてはなおさらのことである。イエスはご自分が地上でもたれたと同じ務めを託して、教会を世に遣わされた。この務めの中に、とりなしの祈りがある。
教会がこの世の祭司であるというのは間違いであろうか。造られた者がみな沈黙しているので、教会はその代弁者にならなければならない。受け入れられる祈りをささげるのは、教会の一大特権である。恵みのとびらは、教会のさまざまな嘆願に向かって絶えず開かれているため、それらの嘆願がむなしく返ることはない。隔ての幕は教会のために裂かれ、血は教会のために祭壇の上に注がれている。さらに神は教会に、欲するものを絶えず求めるようにと招かれる。天使さえもうらやむこの特権を教会はむげに退けるべきであろうか。教会はキリストの花嫁ではないのか。教会は、いつでも望むままに王の御座に近づくことができる者ではないか。この尊い特権をもち腐れにしてはいないか。
教会は常に祈りの必要に迫られている。教会の中にはいつでも、信仰の傾く者、公然と罪に落ちていく者がいる。キリストの御胸に運ばれるため、祈りを必要とする小羊がいる。強い者は高ぶらないよう、弱い者は失望しないように祈らなければならない。
たとえ一日の二十四時間を全部祈り会にあて、それを一年中続けたとしても、とりなしの特別な項目がなくなることはないであろう。病む者、悩む者、信仰の動揺している者がいないだろうか。親族の回心、信仰後退者の回復、堕落者の救いを求める者がいないことがあろうか。否、会衆は絶えず集い、教師は常に説教するが、無数の罪人は罪と咎の中に死んでいる。暗黒の増しつつある国、偶像、残忍、悪魔的行為に満ちている世にあって、もし教会が祈らないならば、慈愛に満ちた主のご命令を無視した罪を、なんと申し開きできるだろうか。教会は、絶えずとりなしの祈りをしなければならない。すべての信者は神の倉に祈りのレプタを積まなければならない。

 


「人はそれぞれ、自分の欲に引かれ、

2014年11月13日 17時05分44秒 | 聖書

おびき寄せられて、誘惑されるのです」(ヤコブ1:14)

試みには二種類ある。一つは神から来るものだ。
ご自分の聖さにあずからせようとして与えられる試練だ。
これは痛くて辛いが、必ず実を結ぶ。
私達の頑固で、強情な心が砕かれ、柔和にされて行く。
間に合う器に変えられて行く。信仰の成長のためだ。
だから喜べと言われる。もう一つは悪魔から来る試みであり、これは誘惑だ。
罪に誘うものであり、私達の欲望に餌を投げ、おびき寄せ、食らいつかせる。
最も弱い箇所に来る。弱い所なので、餌が来ると、すぐに飛びついてしまう。
誘惑にならない所へは来ない。あなたに来る誘惑はいつも同じ部分だろう。
そこがあなたの急所だ。よく見張ろう。断固抵抗し、拒否しなくてはならない。
これは神からのものではない。神は決して悪に誘惑されない。
神からの試練は受け入れ、忍耐し、悪魔からの誘惑は拒否する。
これを逆にしてはならない。自らの弱い部分をよく知り、認め、警戒して祈る事だ。
平素から祈って備えている時、誘惑に気づける。
即、神に助けを求める事ができる。
神は助けて下さる。祈りで備えていよう。祈りが力だ。
------------
誘惑が来た時、即「神様!」と呼ぼう。
自分が出て行くと、必ずやられてしまう。
しょっ中くる誘惑を、自分の弱点を祈りで見張っていよう。
弱さを認め光のもとに出そう。


今日の聖人の記念日

2014年11月13日 08時02分18秒 | キリスト教

聖スタニスラス・コストカ

1550年-1568年

 スタニスラスは、ポーランドのロストコフ城の領主の息子として生まれ、信仰深く育てられた。1564年、兄と共にウィーンのイエズス会の寄宿学校に入った。しかし、皇帝によってこの寄宿学校が閉鎖されたため、カトリックでない家に兄と下宿した。兄は信仰生活から離れ、弟スタニスラスの敬虔な態度を嫌い、虐待するようになった。スタニスラスは、心身の疲れで、重病にかかり、聖体(イエス・キリストの体)を受けたいと望んだが、家主が司祭を家に入れることを許さなかった。しかし彼が祈っていたとき、聖バルバラと天使が現われ、聖体を授けた。奇跡的に病が治ると、イエズス会に入ることを決意したが、父の反対にあい入会を許可されなかった。スタニスラスは、ウィーンを出て、ドイツのイエズス会管区長聖カニシウスのもとに行き、入会を願った。カニシウスは、スタニスラスの決心が固いのを知ると彼をローマに旅立たせ、そこで総長から入会を許可された。  彼は、ローマでの修練生活を、ひたむきに祈りと学業に励んで送った。9ヶ月たったころ、スタニスラスは自らの死期が迫っているの感じ、「8月15日の聖母被昇天の祝日は、天で祝えるよう心から願っています」と言った。彼の言葉どおりに、8月10日に病いに倒れ、そして15日の早朝、「聖母が、迎えにこられました。」と言って17年の生涯を閉じた。  彼は、ポーランドの守護聖人とされている。


◆手っ取り早い生き方でなく

2014年11月13日 07時46分00秒 | 聖書

草が刈り取られ、若草が現われ、
山々の青草も集められると、
子羊はあなたに着物を着させ、
やぎは畑の代価となる。
やぎの乳は十分あって、
あなたの食物、あなたの家族の食物となり、
あなたの召使の女たちを養う。(箴言二七25―27)

リビングバイブルは、このところを実に簡潔に、こう訳しています。「牧草を刈り取り、二番草も取ったあと、山の草を集めなさい。そうすれば、子羊の毛も山羊の乳も十分に取れ、家族の生活には困りません。」遊牧時代の昔とはいえ、当時、この牧畜業以外にも金もうけの仕事はあったらしく、むしろそのほうが手っ取り早いと考えた多くの人が、牧場と羊をほったらかしにして、そちらにいこうとしたらしいのです。
もと牧場経営をしていて、今は牧師をしているフィリップ・ケラーさんの経験によれば、彼の隣の牧場経営者も、まさにそんな一人でした。怠けて働かずに金をもうけようとした彼は、牧場も羊もほったらかしていたので、たちまち牧場は赤茶け、羊たちは皮膚病にかかり、寄生虫にやられました。ケラーさんの緑の牧場にまぎれこんだ三頭の雌羊があまり青草を食べすぎてひっくりかえっているのをお隣へ連れていってやると、刀を出して三頭ともそこで殺してしまったそうです。その人は牧場経営もだめ、ほかの金もうけもだめでした。その人の人生は敗残敗北だったのです。その牧場は、ケラーさんの手に渡ったそうです。
神は私たちのよい羊飼いとして、どんなに手がかかっても私たち一人一人によく気をくばり、一つとして手を抜かず、すべての必要を備えて導き養っていることを思うと共に、私たちもまた、手っ取り早い生き方に色目を使わず、毎日、祈り、聖書を読み、なすべきことを一つ一つやりとげていく生き方をしたいと願うのです。急いで集めたものは、たちまちに散らされます。ゆっくりじっくり集めたものは、残るのです。

 


◆枝がぶどうの木についていなければ、

2014年11月13日 07時43分34秒 | 聖書

枝だけでは実を結ぶことができません。(ヨハネ一五・四)

あなたはどのようにして実を結び始めたのであろうか。それは、あなたがイエスのもとに来て、大いなる贖い主に身を託し、主の完成された義に憩うことができたからである。ああ、その時、なんとすばらしい実をあなたはもったことであろう。あなたは記憶しているだろうか。その時つるは茂り、柔らかいぶどうの実は現れ、ざくろは芽を出し、香料の花床は芳香を放った。
あなたはその後信仰が衰えたか。もしそうであるならば、あの愛の時を思い起こし、悔い改めて初めのわざをなせ。かつての経験を生かして、あなたを最もキリストに近づけたと思うことをなせ。なぜなら、あなたの実はすべて主から来るのだから。あなたを主のみもとに近づける聖い鍛練は、あなたが実を結ぶために役立つであろう。太陽は、疑いもなく果樹園の木の実を結ばせるのに大きな働きをなすが、イエスは恵みの園の木に対して、それ以上の働きをなされる。
あなたが最も実を結ばなかった時はいつであったか。それは、あなたが主から最も遠く離れて住み、祈りを怠り、信仰の単純さを失い、主を思わないで自分の徳を思い、「私の山は堅く立つ。私は動かされることはない」と言い、あなたの力がどこから来るかを忘れた時ではなかったか。その時、あなたは実を結ばなくなったのではないか。
私たちは、その心が主の前にきわめて低くされ、キリスト以外には何ももっていないことを教えられることがある。すべての被造物の力が無であり死であることを見る時、私たちは激しい苦悶のうちに、「すべての私の実は主から得なければならない。私からはどのように実も生ずることはないから」と叫ぶ。私たちは過去の経験から、単純にキリストにある神の恵みに信頼して、聖霊を待ち望めば待ち望むほど、良い実をより多く神にささげ得ることを教えられた。ああ、いのちのために主に信頼するとともに、実のためにも主に信頼したい。

 


第1列王記2章5-9節

2014年11月13日 07時41分53秒 | 聖書

2:5 「また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルのふたりの将軍、ネルの子アブネルとエテルの子アマサとにしたことを知っている。彼は彼らを虐殺し、平和な時に、戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。
2:6 だから、あなたは自分の知恵に従って行動しなさい。彼のしらが頭を安らかによみに下らせてはならない。」



 ダビデは王位を継いだソロモンに、自分がなしえなかったことを行うように命じました。

その1つは、悪しきことを行った人々に、報復をするということでした。

もう1つは、反対に善意を持ってことを行った人々に報いるということでした。

悪を行った人に対して、彼らを安らかによみに下らせてはならないと命じています。

なぜ、このようなきつい言葉を語るのであろうかと思うのです。

そこには理由があります。

ソロモンは、王として君臨する人です。

王のなすべきことは、単に支配をするということのみではなくて、善悪に対しての裁きを行う主権をゆだねられているからなのです。

その王として働きを行え、と語っているのです。



.


士師記6章27節 (士師記5章)

2014年11月13日 07時38分16秒 | 聖書

★そこで、ギデオンは、自分のしもべの中から十人を引き連れて、主が言われたとおりにした。彼は父の家の者や、町の人々を恐れたので、昼間それをせず、夜それを行った。

■O:今日のコラム
皆さん、ギデオンのお気持ちを察しますでしょうか?

神様の御声にギデオンは、「えっ?!無理。やだ。やったら、お父さんに怒られるよ!!いや、殺されるよ!!」って思ったのではないでしょうか?だから、夜中に彼はこっそりと偶像を壊しに行きました。

それでも彼は従った。これが、キーポイントです。
その結果、彼の父は、ギデオンをかばいました。町の人々が、彼をひっぱり出して殺せと言ったとき、ギデオンの父は、一言、言って、町の人々を黙らせました。私はギデオンの父が語った言葉は、彼からではなく、主の霊が語らせたように感じました。

そのように、結果を恐れていようがいまいが、主に従う時、主がすべてを治めてくださり、主が結果をもたらしてくださいます。

今、エルサレムでホームカミングという集会が開催されています。この集会はプログラムが何も決まっていなく、聖霊に導きを求めて進んでいく集会です。だからと言って何も準備をしないで集会が始まるわけではありません。リーダーシップにいる先生方40人が毎回の集会1時間前に集まり、共に祈り、どのように集会を導くのかを主に伺っています。また月に1度くらい集まって共に主の御心を聞いているようです。その集会のリーダーである、ディミアン先生がこのように語っていました。

「私達(リーダーシップグループ、しかし彼らはこのグループの事をしもべチームと呼んでいる)は、集会の前に主の御心を尋ね、それに従い、集会を導く。しかし、時には聞き間違えることがあり、集会中に流れが変わってしまう事もある。けど、その時その時に、主の語りかけに従う。なぜなら、主の中で間違いを起こすほうが、語りかけに何も反応しないよりずっと良いからだ!」(私の日本語訳なので正確ではありませんが…」

この姿勢の結果、このホームカミングの集会では、沢山の実がむすばれています。今、このエルサレムの集会に中国人が約1000人、日本からも80人ほどの方々が参加しています。また、全世界からも来ており、ユダヤ人、アラブ人の方々も一緒に参加しており、本当に神の大家族が集まったって感じです。

主に用いられている世界の器達が、神の御声を聞き間違えることがあり、また間違いを起こすことがあるなら、私達は、どうなんでしょうか?

キーは従順です。

聞き間違えてもいい。間違いを起こしてもいい。
とにかく、心をいつも柔らかく主の前に保ち、主が語られたことに毎回従順になればいいのです。


■A:考えてみよう
主から語られていることありますか?結果がどうなるかを気にせず、まず祈り、主に力を頂き、聖霊様によって従って行動していきましょう。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


11月12日(水)のつぶやき

2014年11月13日 01時41分54秒 | キリスト教