「……王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず……。」(ダニエル三・一六、一八)
この三人の聖なる子どもたち、否、むしろ戦士たちの男らしい勇気と、驚くべき救いの物語は、悪政下に苦しみ、死のあごにはさまれながらも堅く信仰に立ち、真理を掲げるクリスチャンを大いに励ます。特に若いクリスチャンは、信仰上の、また職業上のどのようなことにおいても、良心を犠牲にしないことをこの実例から学ぶべきである。誠実さを失うくらいなら、あなたはむしろすべてを失ったほうがよい。たとえすべてを失っても、澄みきった良心だけは、人間の胸を飾る最も高貴な宝石として大切に抱きしめるようにせよ。
狐火に惑わされてはならない。北極星のように神の権威に導かれよ。どんな危険を冒しても、正義に従え。たとえ今、何の益も与えられないように思われても、見えるところによってではなく、信仰によって歩め。主義のため損害を受けることがあっても、神に信頼せよ。神があなたの債務者となられるかどうかを見よ。主がこの世においても、次のみことばを行われるのを見よ。「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
神の摂理によって、あなたが良心に従ったため損害を受けることがあったとしよう。主が、もしこの世の繁栄という銀貨を支払ってくださらないとしても、霊的な喜びという金貨をもって、必ず約束を果たされることを見いだすであろう。人のいのちは、その所有物の多い少ないによらないことを覚えよ。潔白な精神、罪過なき心、神の恵みと笑顔、それらをもつことは、オフィルの金山も産出できない、ツロとの貿易によっても得ることのできない莫大な富をもつことである。「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」一オンスの安らかな心は、一トンの金に相当する。