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●有期雇用契約に関する法律規定●

2013年01月29日 12時14分54秒 | 労働法

 期間の定めの無い正社員に対して、雇用期間の定めのある、いわゆる契約社員については、その期間が満了するときに、契約を終了するのか、更新するのか、を決定することになります。しかし大半の有期雇用契約は、契約期間満了によって契約が終了することを想定していないため、引き続き契約を更新するようになっています。
 このように契約期間と業務の継続する期間が一致していないことが多く、期間契約は柔軟に人材を活用できるようにするための契約形態となっているのが実態です。こうした契約にメリットもありますが、一方で労働者にとっては、契約期間が満了する度に、更新か、雇い止めか、の判断にさらされることになります。
 期間契約であっても、その契約が反復更新され、その後も契約が更新されるだろうという期待が生まれることが通常想定される場合には、期間が満了したことのみを持って雇い止めが認められるものではなく、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないとき」でなければならないという、解雇に準じた考え方(いわゆる(雇止め法理)が適用されることになります。
 労働契約法19条は「有期労働契約であって…契約期間が満了する日までの間に労働者が当該有期労働契約の更新の申込みをした場合又は当該契約期間の満了後遅滞なく有期労働契約の締結の申込みをした場合であって、使用者が当該申込みを拒絶することが、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、使用者は、従前の有期労働契約の内容である労働条件と同一の労働条件で当該申込みを承諾したものとみなす。」と規定しています。
 この労働契約法19条は平成24年8月10に施行した新しい規定ですが、その考え方はこれまでの裁判での考え方をトレースしたもので、判例法理を法律として明文化したものです。ですから、この規定の考え方を理解するためには、その基となった判例を検討することが大切になってきます。


申命記14章21節

2013年01月29日 12時10分18秒 | 聖書

14:21 「あなたがたは自然に死んだものを、いっさい食べてはならない。あなたの町囲みのうちにいる在留異国人にそれを与えて、彼がそれを食べるのはよい。あるいは、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。」


主は天と地を創造された時、人に食べ物として、神様が作ってくださったものを与えてくださいました。

従って、その時に食物で禁じられていたものは、エデンの園の中央にある木の実のみでした。

ところが、罪が人の世界に入ってきた時に、状況は変わりました。

主を知らない民は、どれを食べても特別に禁じられませんでした。

ここでも、外国人が死んだ動物を食べることを何も禁じておりませんし、また彼らにそれを売ることも禁じておりません。

しかし、主の民は「自然に死んだものは食べてはならない」と厳しく禁じられたのです。

 その理由は、彼らが主にとって御自分の民であり、清い民であるからと言われたのです。

主の側につく者とされたので、主の命令に従いなさいと言われたのです。

それによって彼らは、知らないうちに守られたのです。



◆金銀にまさる知恵

2013年01月29日 11時59分59秒 | 聖書

幸いなことよ。知恵を見いだす人、
英知をいただく人は。
それの儲けは銀の儲けにまさり、
その収穫は黄金にまさるからだ。(箴言三13―14)

現在、物価がジリジリ上がっているようです。そこで、もうお金の値打ちに信用がおけず、金や銀や宝石類に換えて取っておこうとしている人が多いと聞きます。しかし、ちょっと考えただけでも宝石類には問題があります。
・ にせものとほんものの区別がつかず、うっかりにせものをつかまされる。
・ いつ盗まれるか分からない。
・ いざという時、金銀宝石は煮ても焼いても食べられない。
・ 金銀宝石を子孫に残すと、争いが起こったりなまけ者ができたりして、よいことがあまりない。
ところが、宝にもまさってすばらしいのは、神を知る知恵・英知です。
・ これは目べりもしないし、盗まれもしない。
・ 神を知る知恵は、どんな苦しい時でも悲しい時でも、心の中からわきあがる力を与えてくれる。
・ 子孫に伝えれば、どんな遺産を残すより確実に子孫を幸いにする。
・ 神の知恵は、その人にいつも上を向いて希望に満ちて生活させるだけではなくて、他の人にまで恵みと力を与える。
神を知ることによって得るもうけは、神がすべてを支配していて、神に従う者に最善を与えてくださるという確信です。それは、神があなたを愛していてくださり、慰め・力・希望をいつも満たしてくださるという確信です。また神の知恵は、いつもほんものとにせもの、一時的なものと永遠のものを見分けさせてくださるのです。
心を尽くしてこの知恵を自分のものとすべきです。

 


◆私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。

2013年01月29日 11時57分48秒 | 聖書

(Ⅱコリント四・一八)

クリスチャンの歩みにおいて、前を見つめていることはよいことである。冠は未来にあり、ゴールは前方にある。それが希望であろうと、喜びであろうと、慰めであろうと、私たちの愛を奮い立たせることであろうと、信仰の目をもって見る主な対象は、未来でなければならない。前途を望んでこそ、私たちは罪をきよめられ、罪と死のからだが滅ぼされ、たましいが完全な者とされ、光の中にある聖徒たちの資産を受け継ぐにふさわしいものとされるのを見ることができる。
さらに前方を眺めるなら、信者の輝いた目は死の川を横切り、悲しみの川を渡って、天の都の建てられている光の丘に到達する。彼は真珠の門をくぐり、圧倒的な勝利者として歓呼を受け、キリストの手から冠を授けられ、その腕に抱かれ、イエスとともに栄光を受け、共に王座に座る。それはちょうどイエスが勝利を得て、父なる神とともに御位に着かれた時のようだ。
このすばらしい未来を考えると、過去の暗黒も現在の憂いも消えてしまう。天上の喜びは地上の悲しみを償って余りあるものである。恐れの思いよ、静まれ。この世はつかの間であり、まもなくそれを通過することになる。疑いよ、退け。死は狭い流れにすぎず、すぐにそれを横切ることになる。時はいかに短く、永遠はいかに長いことであろう。死は瞬間であり、永遠のいのちには限りがない。私は思う。私はすでにエシュコルの谷のぶどうを食べ、天国の門の内にある泉をくんで飲んでいるのである。目標は近づいた。まもなく私はそこにたどり着くであろう。
 この世にあって私の心が
 憂いの嵐に悩む時
 思いははるか天を駆けて
 嘆きも消える避け所を見つける
 この世での巡礼が終わるまで
 輝く幻が私を支える
 憂いに悩み、困難が私を責めるとも
 ついに私は天の家に帰るだろう