座間コミニティー

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●非正規社員とは何か?●

2012年10月26日 15時30分08秒 | 聖書

 改正労働契約法では、有期契約の社員であっても5年間継続雇用されれば、労働者の求めによって「無期」契約へ変更される旨の規定が設けられました。また有期契約の社員であっても、正規雇用の社員と同等の業務に就労している場合には、労働条件の格差には合理性が無ければならないとする規定も盛り込まれました。
 そもそも正規社員とは何か、という法的な定義が明確でないまま正規社員とか非正規社員などの文言を使うことには、誤解や疑問がでてきます。
 一般的には、正規社員とは、契約期間の定めが無く、配転もあり、フルタイムで働く社員といったイメージですから、非正規社員はその反対に、契約期間がある契約社員であったり、職種や勤務地が限定されていて、また労働時間が短時間であったりするものと考えられるでしょう。
 ここで改正労働契約法による無期契約への転換規定によって、有期契約が無期契約となった場合、これは非正規社員が正規雇用社員となることを意味するのかどうかは疑問です。
 まずそもそも有期契約社員として入社する場合と、正規雇用社員として入社する場合とでは、入社に至るプロセスや就労内容も異なってくるはずです。ここで有期契約社員が、無期契約となっても、これは契約期間に関する契約内容が有期から無期に変わるだけで、必ずしも正規雇用社員とは、全く同じ立場になるわけではないと考えられます。
 しかし一方で、パート社員に対して責任ある立場を任せるようなケースもある一方、正規社員であっても、職種や勤務地の限定がある場合もあるわけですから、もはや正規社員と非正規社員という分け方に意味がなくなりつつあるのかもしれません。今日の労働契約の内容は、極めてバリエーションに富んでいて、この2つのカテゴリーだけで社員の種類を分けることに無理があります。会社によっては、社員全員が役員などという極端な例もあるようですから、大切なことは就労実態と労働条件がどのようなものであるかという具体的な事実にほかなりません。


◆愚かな者ナンバーワン

2012年10月26日 07時36分08秒 | 聖書

自分を知恵のある者と思っている人を
見ただろう。
彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。(箴言二六12)

この一週間は、ずっと「愚かな者」についての箴言を読んできました。人をのろう愚かな者・人のことばを聞かない愚かな者・売りことばに買いことばの愚かな者・口先で語る愚かな者・人の誉れを受けていい気になる愚かな者がいました。さてきょうは、愚かな者中の愚かな者。愚かな者ナンバーワンが出てきます。それは、「自分を知恵のある者と思っている人」だというのです。
イエス・キリストは、ヨハネの黙示録の中でこう言われました。「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」(黙示録三17)。パウロはコリントの人々に、「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(Ⅰコリント一〇12)と、警告しました。
小さな子どもさんたちをかかえ、ご主人の浮気と借金に、いうにいわれない苦労をしている方があります。でもその方は、そんな苦しさの中から神を見いだし、ご主人に仕えきり、ほんとうにしっかりと生きている若い婦人です。この家庭にも、祝福がふりそそがれるようになりました。
そして、手紙でこう書いてこられました。「奥さま、そして先生。私が救われ、神さまから助けられ強めていただくためには、私は罪人でありさえすればいいのですね。」私も妻も、美しいことばだと言い合いました。
神の救いや助けや励ましを必要としない自己満足の者こそ、愚かな者ナンバーワンだといわれています。

 


◆あなたがたは多くを期待したが、

2012年10月26日 07時35分03秒 | 聖書

見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。――万軍の主の御告げ。――それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。(ハガイ一・九)

けちな人は、内外の伝道のために献金することを惜しみ、それを倹約だと言う。彼らはそのために自らを貧しくしているとは夢にも考えない。彼らは口実を設けて、家族を見なければならないのだと言う。しかし神の家をなおざりにすることは、必ず彼らの家に破滅をもたらすことを忘れている。
神は摂理によって私たちの努力を成功させることも、失敗させて茫然とさせることもなさる。神が手をひるがえされることにより、私たちの舟は良い水路に進むことにも、貧困と破産の暗礁に乗り上げることにもなる。主は心の広い者を富ませ、利己的な者に対して、出し惜しみが貧乏への道であることを知らされる。
私は非常に広い範囲を観察した結果、最も物惜しみしない人は常に幸福で、ほとんど例外なく繁栄していることを発見した。気前よく与える人が思いがけぬ富を受け、心の狭い卑しい金の亡者が、極端な節約によってお金を蓄えようとして、かえって貧しくなっていくのをしばしば見た。この世の人は良い管理者に多額のお金をゆだねる。主もまた多くの場合そうされる。俵で与える者に対しては車いっぱいのもので報いられる。たとえ多くをささげることができないとしても、惜しまずに主にささげたならば、主はその人に喜びを与えることによりささげたものを倍にしてくださる。
利己主義者はまず自分の家を見るが、敬虔な者は第一に神の国と神の義を求める。しかし終局においては、利己主義者は損失をこうむり、敬虔な者は大きな利益を受ける。神のために惜しみなくささげるには、信仰が必要である。しかし神にはこのようなささげ物を私たちに求める権利が十分にある。私たちになし得ることは、私たちがいつくしみ深い神から測り知れない恩を受けていることを、謙虚に承認することだけである。