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神保哲生さんが翻訳した「オルタナティブ・メディア 変革のための市民メディア入門」(大月書店)をざっと読んだ。著者は、ミッチ・ウォルツという女性。障害者の権利保護に関する書籍も多く書いており、マスメディアに期待できないことを身をもって学んだ末に、本書を書いたのではないかと思われる。
この本は、コミュニケーションのツールを市民が回復するための取り組みを紹介しつつ、読者自らが立ち上がることを呼びかけている。
著者は言う。「現状のメディアについての法律や規制では、コミュニケーションは市民的価値や公民権ではなく、経済的活動だと考えられている。メディアのアクセス権や著作権、さらに名誉毀損などに関連する法律は、読者や視聴者、あるいは市民ではなく、むしろ、営利企業を守るために制定されている。そして、こうした法律は、メディアに掲載される言葉の内容や思想の普及に対して、ますます大きな影響力を持ってきている」
日本の状況にもぴったり当てはめる分析だ。メディアを産業として発展させようという動きはグローバルな流れだ。
この状況のなかで、著者は、最後に、3つの選択肢を上げている。
一つは、「わずかなメディア企業が自ら思うままにグローバルな規制を作り変え、メディアを媒介したコミュニケーションのあらゆる側面を支配するというもの」、そして、もう一つは、「企業メディアが抜本的に改革されるというもので、空洞化現象のような形でさらに多くの人々(ブロガーなど、プロフェッショナルでない人々も含まれる)がメディア制作者になるというもの」であり、残る一つは、「自分のメディアを持ち、作り、そして公開するために必要なツールをすべての人々に提供することを前提とする」ものだ。
最後の選択肢においては、コミュニケーションをめぐる草の根革命によって、選択のための通貨が貨幣ではなくむしろ情報となるような、新しいグローバルな公共圏が切り拓かれる可能性だってあるという。
先日のNPJの集会で、マスメディアと市民メディアの役割について問われたとき、「市民メディアは当事者のメディアだ」という説明をした。たとえば、NPJ(News for the People in Japan)を立ち上げた理由の一つには、司法に関するマスメディアの報道の仕方への不満があった。
マスメディアが伝えないなら、自分で伝えよう。これが「市民メディア」の発想の原点ではないだろうか。
そういう意味で著者がいう第三の選択肢こそが本来のあり方であることは明白だろう。
しかし、マスメディアの力は大きいし、そのマスメディアを利用する与党自民党(公明党)の力はもっと大きい。
私たちは、簡単に第1の選択肢の社会を受け入れてしまうかもしれない。
来年、日本では、放送と通信(インターネットなど)を融合する法制度が設計される。
いみじくも著者は、あなたに問いかけている。「私たちは今、重大な局面にいる。どの道を私たちは選択するのだろうか?」
はっと思った方は、ぜひ、市民メディアに必要なツールを提供することを訴えようとしている「ComRights」(http://www28.atwiki.jp/comrights/pages/13.html)の動きに注目し、参加してほしい。
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★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。
なお、「インターネットに匿名言論は必要か」というテーマでインターネットユーザーの声を募集していますので、お時間があったら上記記事(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/939a3835c15440b7d8d5ccb9905c34f1)にコメントしてください。
この本は、コミュニケーションのツールを市民が回復するための取り組みを紹介しつつ、読者自らが立ち上がることを呼びかけている。
著者は言う。「現状のメディアについての法律や規制では、コミュニケーションは市民的価値や公民権ではなく、経済的活動だと考えられている。メディアのアクセス権や著作権、さらに名誉毀損などに関連する法律は、読者や視聴者、あるいは市民ではなく、むしろ、営利企業を守るために制定されている。そして、こうした法律は、メディアに掲載される言葉の内容や思想の普及に対して、ますます大きな影響力を持ってきている」
日本の状況にもぴったり当てはめる分析だ。メディアを産業として発展させようという動きはグローバルな流れだ。
この状況のなかで、著者は、最後に、3つの選択肢を上げている。
一つは、「わずかなメディア企業が自ら思うままにグローバルな規制を作り変え、メディアを媒介したコミュニケーションのあらゆる側面を支配するというもの」、そして、もう一つは、「企業メディアが抜本的に改革されるというもので、空洞化現象のような形でさらに多くの人々(ブロガーなど、プロフェッショナルでない人々も含まれる)がメディア制作者になるというもの」であり、残る一つは、「自分のメディアを持ち、作り、そして公開するために必要なツールをすべての人々に提供することを前提とする」ものだ。
最後の選択肢においては、コミュニケーションをめぐる草の根革命によって、選択のための通貨が貨幣ではなくむしろ情報となるような、新しいグローバルな公共圏が切り拓かれる可能性だってあるという。
先日のNPJの集会で、マスメディアと市民メディアの役割について問われたとき、「市民メディアは当事者のメディアだ」という説明をした。たとえば、NPJ(News for the People in Japan)を立ち上げた理由の一つには、司法に関するマスメディアの報道の仕方への不満があった。
マスメディアが伝えないなら、自分で伝えよう。これが「市民メディア」の発想の原点ではないだろうか。
そういう意味で著者がいう第三の選択肢こそが本来のあり方であることは明白だろう。
しかし、マスメディアの力は大きいし、そのマスメディアを利用する与党自民党(公明党)の力はもっと大きい。
私たちは、簡単に第1の選択肢の社会を受け入れてしまうかもしれない。
来年、日本では、放送と通信(インターネットなど)を融合する法制度が設計される。
いみじくも著者は、あなたに問いかけている。「私たちは今、重大な局面にいる。どの道を私たちは選択するのだろうか?」
はっと思った方は、ぜひ、市民メディアに必要なツールを提供することを訴えようとしている「ComRights」(http://www28.atwiki.jp/comrights/pages/13.html)の動きに注目し、参加してほしい。
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★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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