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チベットでの事件について中国を批判するために聖火リレーの際に行動を起こした人について、「反中国」的行為を行ったと呼ぶべきでしょうか。個人的には、呼ぶべきではないと思う。聖火リレーで中国を批判している人は、現在の中国政府のあり方を正そうとしているのであり、そのような活動を通して中国政府が民主化されれば、中国市民の幸福につながるわけだから、「反中国」ではなく、むしろ、「親中国」といってもいいはずだ。
では、映画「靖国」は「反日」映画だろうか?映画「靖国」が靖国神社を批判するものだとしか受け止めることができないとした場合であっても、批判の対象は勝てない戦争と分かっていながら市民の戦意を高揚するために政府が利用した靖国神社なのだから、直ちに「反日」映画であるとはいえないのではないだろうか。
ドイツで、ナチズムを批判する映画に対して、「反ドイツ」映画というレッテルを貼ることができるだろうか?
では、日本で、戦争を拡大した軍人や政治家を批判する映画に対して、「反日」映画というレッテルを貼ることができるだろうか?
日本で、特攻攻撃を考案し実行した軍部を批判する映画に対して、「反日」映画というレッテルを貼ることができるだろうか?
日本で、戦意高揚に大きな役割を果たした新聞社を批判する映画に対して、「反日」というレッテルを貼ることができるだろうか?
日本で、戦意高揚に大きな役割を果たした天皇を批判する映画に対して、「反日」というレッテルを貼ることができるだろうか?
そして、もう一度改めて、問います。反靖国神社映画は、反日映画ですか?
ドイツでナチズムを批判する映画が上映中止に追い込まれたと聞いたら、どう思いますか?
ドイツでナチズムを批判する映画に公的資金に基づく助成金が支払われたことを批判する勢力が拡大していると聞いたら、どう思いますか?国会議員がそのことを問題にしていると聞いたら、どう思いますか?
「反日」というレッテルを貼る前に、何について反対しているのか、そこを見極める必要がある。戦争中に「反日」とレッテルを貼られる行動(反戦的行動)をとった人は実は最も「愛国」だったということができるように…。
もちろん、映画「靖国」については様々な評価があり、反靖国神社映画かどうかかも1人ひとりが判断すればよいわけだが、仮に反靖国神社映画だとしか受け止めることできないとしても、それで直ちに「反日」映画だといえるかどうか、そこはじっくりと考えて欲しいところだ。
JanJan(※1)によると、【弁護士として靖国神社を応援する立場から裁判をやってきたと語る稲田議員は、裁判で原告側が一貫して主張していたのは「靖国神社は国民が死ねば神になるとだまして、侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」というメッセージであったと述べ、南京虐殺にまつわる真偽不明の写真を数多く羅列し、その合間に靖国参拝をする昭和天皇や国民の姿を入れ、巧みに裁判の原告のメッセージを伝えている、と指摘しました】ということだが、そのようなメッセージを伝える映画だとしても、それに公的な助成金を出すことにいかなる問題があるというのだろうか?
先進国の有力メディアは、テロという言葉を安易に使うべきではないと考えているところが多い。なぜ、そのように考えるのでしょうか?「反日」映画だと批判する前に、それらメディアがテロという言葉を使わない理由を考えてほしい。
※1:http://www.news.janjan.jp/government/0803/0803283785/1.php
◆冒頭の画像は、映画「靖国」公式サイトより。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。
では、映画「靖国」は「反日」映画だろうか?映画「靖国」が靖国神社を批判するものだとしか受け止めることができないとした場合であっても、批判の対象は勝てない戦争と分かっていながら市民の戦意を高揚するために政府が利用した靖国神社なのだから、直ちに「反日」映画であるとはいえないのではないだろうか。
ドイツで、ナチズムを批判する映画に対して、「反ドイツ」映画というレッテルを貼ることができるだろうか?
では、日本で、戦争を拡大した軍人や政治家を批判する映画に対して、「反日」映画というレッテルを貼ることができるだろうか?
日本で、特攻攻撃を考案し実行した軍部を批判する映画に対して、「反日」映画というレッテルを貼ることができるだろうか?
日本で、戦意高揚に大きな役割を果たした新聞社を批判する映画に対して、「反日」というレッテルを貼ることができるだろうか?
日本で、戦意高揚に大きな役割を果たした天皇を批判する映画に対して、「反日」というレッテルを貼ることができるだろうか?
そして、もう一度改めて、問います。反靖国神社映画は、反日映画ですか?
ドイツでナチズムを批判する映画が上映中止に追い込まれたと聞いたら、どう思いますか?
ドイツでナチズムを批判する映画に公的資金に基づく助成金が支払われたことを批判する勢力が拡大していると聞いたら、どう思いますか?国会議員がそのことを問題にしていると聞いたら、どう思いますか?
「反日」というレッテルを貼る前に、何について反対しているのか、そこを見極める必要がある。戦争中に「反日」とレッテルを貼られる行動(反戦的行動)をとった人は実は最も「愛国」だったということができるように…。
もちろん、映画「靖国」については様々な評価があり、反靖国神社映画かどうかかも1人ひとりが判断すればよいわけだが、仮に反靖国神社映画だとしか受け止めることできないとしても、それで直ちに「反日」映画だといえるかどうか、そこはじっくりと考えて欲しいところだ。
JanJan(※1)によると、【弁護士として靖国神社を応援する立場から裁判をやってきたと語る稲田議員は、裁判で原告側が一貫して主張していたのは「靖国神社は国民が死ねば神になるとだまして、侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」というメッセージであったと述べ、南京虐殺にまつわる真偽不明の写真を数多く羅列し、その合間に靖国参拝をする昭和天皇や国民の姿を入れ、巧みに裁判の原告のメッセージを伝えている、と指摘しました】ということだが、そのようなメッセージを伝える映画だとしても、それに公的な助成金を出すことにいかなる問題があるというのだろうか?
先進国の有力メディアは、テロという言葉を安易に使うべきではないと考えているところが多い。なぜ、そのように考えるのでしょうか?「反日」映画だと批判する前に、それらメディアがテロという言葉を使わない理由を考えてほしい。
※1:http://www.news.janjan.jp/government/0803/0803283785/1.php
◆冒頭の画像は、映画「靖国」公式サイトより。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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だから、常に監視して批判する「権利」が大衆にはあります。
他方、腐敗する権力は腐敗するが故に堕落する人間性を糺される事を恐れ、真実を大衆から隠そうと悪智恵を重ねます。
反日だ反権力だと言って、人間として正当な権利を行使する人達を攻撃する勢力は、自分達もまた、腐敗する権力から死刑を宣告されているのだと云う事に、気が付いていません。
自国の政府を批判して糺す事は、この全人類の幸せを実現する未来に、繋がっている訳です。
〔メモ〕米国務省や台湾外務省から「国境なき記者団」への資金流入
「低気温のエクスタシーbyはなゆー」
だから、中国人の受け止め方は、余り変わらないでしょうね!
日本にも洗脳のフィルターは掛かってて、だからCIAの裏の顔なんて大して日本人は知らなくって、未だに正義役のハリウッド映画の印象が強いけど、でも中国ではこんな情報はフィルターの対象じゃないんで。
しかも、くどいようですが今の中国は全体として見れば『高度成長期直前の日本』。
まだまだ浅沼さん刺殺とかの記憶が生々しくて右翼が威張ってた頃の。
てな訳で、結構(南米の虐殺で名高い)ネグロポンテさんとかの方が親和性があり、理解が深いような発言してます。
翻って、日本はもう、成熟していい頃の筈なのに…。
安倍さんの置き土産、三谷秀史内閣情報官が結構色々手を回してるように聞きましたが…?
ただこの映画に関しては現在日本は共産主義ではなく民主主義なのですから肯定否定を問わず表現言論の自由という権利があるわけですから政府が介入してこの映画を肯定することは反日反権だなんていう権利はないと思いますね。
まぁ私が考えるに右派左派の方々の主張を2つに割ったぐらいが理想なんですがね(笑)
現在の政権に反対することは「政権批判」、権力一般を批判することは「反権力」、日本人ごと日本に反対することが「反日」ということになると思うが、現実には、「反日」っていうことはありえず、具体的には、反「日本現政権」、反「日本軍国主義」、反「日本経済政策」などのことであるはずです。
したがって、安易に「反日」というレッテルを貼ることは「そのような論点整理をしないで問題を紛糾させる方針で意見を述べています」と宣言しているようなもんであり、今後は、「反日」という修飾語に対しては、「何に反対という意味で使っていますか」と確認したうえで、議論を進めることにしてはどうでしょうか?
時事ネタと絡めたいんだろうけど。
言いたい結論に向かってるだけだと思いますよ。
承認コメントってのもある意味検閲だよね。
それぞれ個人が自由なのがブログの醍醐味だからいいけど自由な発想な人ほど即、コメント反映が多い気がします。
やっぱ承認コメントって「お役人」的で
個人的には受け付けないわ。
このコメントもブログ主の「検閲許可」受けてから
載るわけで。
ブログがそんなに過敏になるものかね?と思いますが・・・・まぁ自由ですよねー
②罵詈雑言合戦になるのを防ぐため
基本的には上記の理由から承認制にしています。特に①の観点については、このブログが不特定多数に公開されている以上、主宰者として当然承認制を採用するべきだと考えています。
さらに付け加えるならば、承認しないケースはほとんどなく、承認しなかったことについて、「不公平だ」などという指摘を受けたこともありません。それは、コメントした方が、上記①、②の理由のいずれかに触れていることを十分に理解されているからだと思います。
したがって、「検閲的」と批判されるいわれはないと考えます。
記事内容については、どこがどう強引なんだか、ぜひ具体的に説明して下さい。そのような具体的な指摘はとてもありがたいですから。
②罵詈雑言合戦になるのを防ぐため
これって誰が判断するんですか?
どういう基準で?
そういう物も含めブログに訪れる人、皆で議論して
適切かどうか判断していったほうが健全だと思いますが。削除するのはそれからでも全然遅くないですし。
検閲的な(個人的には)承認制よりは説得力ありますよ。やっぱり。
観る側も馬鹿ではないのですから中傷的なコメントや
罵詈雑言をするコメントを見てどう思うかはわかると思いますが・・
そういうものも含めまず全公開する方が筋が通ってるのでは?(前の日記で承認してないコメントがありましたがブログ主以外、内容がわからず「不適切」と言われても観る側には何が不適切なのか一切わかりません。これって映画「靖国」の経緯と本質同じような気がしますが)
あくまで削除するな。と言ってるわけではなく削除するコメントもまず皆の目に触れて議論してからでも遅くは無いんじゃないでしょうか。
特定の人たちだけで特定の方向で納得して自己満足に浸りたいならそれでもいいとは思いますけど。
せっかく万人が見れるブログなのに「もったいないな」と思います。
これからも期待しています頑張ってください。
もしくは、このブログに訪れる人たちの意見で訂正すべきだと思えばそういうコメントがブログ上で要請があるでしょうから。その時に警告なり注意なりして削除すれば良いかと。民主的で双方向に意見も通じブログの意味合いがあると思いますが。
前回の日記で2人の方が議論してらっしゃるのを眺めていた自分にとって中立的?な立場をとってらっしゃるヤメ蚊さんが突然「不適切なコメント」と遮ったのには違和感を感じずにいられませんでした。何が不適切なのかわからないし、話の方向性をヤメ蚊さんの行きたい方にしたいのかな?とも思いましたし。
それならそれでヤメ蚊さんの意見をそのまま聞きたかったです。もっといえばその「不適切」と思われるコメントを自分の目で見て判断して考えたかったです。
様々な議論を黙って中立な立場で見ている振りして賛同できる意見には頷いて、反対なら気難しい顔して、決まった結論に導かせようとするような議論は必ず腐っていくと思います。滞る水は必ず腐ります。
今の自民党もたぶんそうなんでしょう。
インターネットに性善説はどうかと思いますが、悪意の伝播の予防を重視して「表現の自由」が規制されないように願います。
でもそれをヤメ蚊さん一個人に言ってもしょうがないですよね。このブログはヤメ蚊さんのブログですから。雑言失礼いたしました。