情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

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「鳥取県人権侵害救済条例案」に対する弁護士会長声明全文

2005-10-11 22:16:53 | 人権擁護法案(原則必要派)
 2005(平成17)年10月5日、鳥取県議会に清風、自民党、信の三会派による標記条例案が提出された。本条例案は、昨年12月定例県議会で提出された条例案が、当会が昨年12月7日に発した会長声明での問題提起を受け、過度に市民生活に干渉する結果になるのではないか等の疑問から継続審議となったものを、当事者に対する弁明権の付与、行政機関の人権侵害をも対象とするなどの点を加味して修正したものとして、速やかに成立する可能性があると報じられている。しかしながら、本条例案はなお重大な欠陥を覆いがたく、憲法違反の恐れすらある。よって、鳥取県弁護士会としては、このまま可決されるについては強く反対の意を表せざるを得ない。また、可決されたとしても、このような制度であれば、人権救済推進委員会(以下「委員会」という。)委員(委員のうちには、弁護士の資格を有する者が含まれるよう努めなければならないこととなっている。)の派遣については、現時点において当会として明確な態度を表明することは出来ない。

 すなわち、本条例案には、少なくとも以下の5つの大きな欠陥がみられるからである。

 第1点は、適正な手続の保障に欠けるという問題である。
 人権侵害の救済予防の申出がなされた場合、5人の委員からなる委員会が調査にあたり、人権侵害性を認めた場合、侵害者に対し助言、説示、啓発などが行われ、さらに重大な人権侵害の場合、是正等の勧告を行うこととなっている。懸念されるべきことは、この勧告に従わない場合は、その旨を公表できることである。この公表は、刑事罰ではないにしても、間違いなく公表された者やその家族などの名誉や社会的信用を著しく失墜させることとなるはずである。内容如何によっては職業的あるいは社会的生命すら奪うことも十分にあり得る苛酷な処分であり、刑事罰に匹敵あるいはそれ以上の重大な制裁を科す可能性を否定できない。
 ところで、日本国憲法は第31条において「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定め、刑事罰を科す場合に法の適正な手続がとられることを求めている。裁判を受ける権利(憲法第32条)、資格を有する弁護人のもとで公平で公正な裁判を受ける権利(憲法第37条)はこれに由来する。この適正手続は、刑事罰に限らず国民の自由の制約を伴う行政手続においてもとられることが必要であり(最高裁平成4年7月1日大法廷判決)、それ故、告知・聴聞・防御の機会の付与が必要とされているところ、本条例案の如き刑事罰に匹敵する重大な制裁を科す場合は、刑事手続に匹敵する適正な手続がとられることが必要である。
 しかるに、本条例案は、一応は弁明の機会を与えてはいるものの、申立人に対する反対尋問権も保障されておらず名ばかりのものである。また、委員会の審理は非公開であり、弁護人選任権も制度として保障されておらず、さらには、刑事罰を科す場合に当然のこととして遵守されている事実を厳格な証拠のみによって認定するという原則も確立されていない。これでは到底実質的な弁明権を付与したとは言い難く、あまつさえ事実を適正に認定するという保障も無いに等しいと言わざるを得ない。

 第2点は、人権を擁護するはずの本条例案が却って国民の基本的人権を著しく制約する結果をもたらす懸念を払拭できないということである。
 本条例案が人権侵害として取り扱う対象範囲は一見極めて広い。「人種等を理由として行う不当な差別的取扱い又は差別的言動」、「虐待」、「性的言動等」「ひぼう・中傷」「人種等の属性に関する情報の収集・摘示等」「著しく粗野又は乱暴な言動」など、限定列挙となってはいるものの市民生活において発生する様々な紛争を極めて広範にその射程に含めようとするものとなっているだけでなく、近代市民社会において最大限に尊重されるべき報道の自由(国民の知る権利の保障)を含む表現の自由(憲法第21条)もその対象としている。
 しかも、現実にその人権侵害性を認定するのは極めて困難な作業である。「差別」「ひぼう・中傷」「虐待」「性的な言動」など対象行為はすべて抽象的な概念規定であり、現実に即した場合、その認定作業は至難であり誤判の恐れがあるにもかかわらず、それを防止する手続的保障すらない。さらに、表現の自由との関係から見れば、刑法第230条の2による、「公共の利害に関する事実が真実で、その目的が専ら公益を図る目的であったと認められる場合には罰せられない」との限定もない。
 市民生活における紛争は極めて多様であり、見ようによってはすべて人権侵害的な色彩を帯びていると言っても過言ではない。「ひぼう・中傷」などは、例えば、公人の汚職に関する報道や表現も公人に対するひぼう・中傷と評価される可能性があり、また、大声で不当な差別等に対して抗議する言動も「生活の平穏を害する著しく粗野な言動」と評価される可能性がある。このように本条例案の規制については一般市民の言論及び表現の自由、報道の自由と真っ向から対立する場面も予想される。このような個々の場面において、本条例案が規定するような、是正勧告が発動され、しかも勧告に従わない者が氏名を含めて公表されるというような事態を想定した場合、それは、憲法が厳しく戒める表現の自由の事前検閲に他ならない。言論・表現の自由に対する看過しがたい重大な制約となると言って過言ではない。本条例案には報道の自由を尊重するという規定が設けられているにしても、抽象的な規定であり、前述した刑法第230条の2の特例に比べて実効性に欠けるのみならず、国民一般の表現活動の自由を対象としたものではない。
 市民間の紛争や表現の自由に関わる問題は、国民の基本的人権の根幹に関わる問題である。その解決過程において、一方の基本的人権のために他方の基本的人権を制限せざるを得ないとすれば、それは本来司法の役割であり、行政権力の役割ではない。ましてや、本条例案が予定しているようないわば不完全な制度のもとの行政委員会の役割ではあり得ない。本制度は、人権を擁護するはずのものが却って国民の基本的人権を著しく制約する結果をもたらすという構造的且つ致命的な欠陥を有するものと言うべきである。

 第3点は、調査過程そのものが国民の基本的人権を侵すということである。
 すなわち、委員会が行う調査に対し、協力しない当事者に対して「5万円以下の過料」が科せられるという罰則規定に関わる問題である。刑事手続ですら、任意捜査が原則であり、被疑者を含め国民は捜査に応ずることは強制されない。罪を犯したと疑うに足る証拠がある場合に裁判官の発する令状によって逮捕されたり捜査・差押を受けることがあっても、供述や自白が決して強制されないこと(憲法第38条、刑事訴訟法第198条)は、近代憲法、近代刑事司法の大原則であるのに、本条例案ではこのような刑事被疑者にすら認められている人権も保障されていない。本条例案は、人権侵害の調査という美名の下に刑事司法すらはるかに乗り越えようとしているのである。

第4点は、行政権力による人権侵害に対する救済規定が極めて不十分であるという問題である。
 本条例案は救済対象を私人間の紛争のみならず公権力からの侵害についても含めるものとした旨説明されている。しかし、第3条は主に私人間の紛争を前提として考えられた限定列挙であり、公権力の行う人権侵害の類型を十分に含んでいるものではない。例えば、全国的に問題となっている刑務所の中での医療体制の不備などはどの類型にも該当しないとされる可能性が高い。また、調査協力義務の点についても、弁護士会の人権擁護委員会に対する人権救済申立において多数を占める刑務所・警察に対する人権救済申立においては、第19条第3項で「刑の執行」・「捜査」に支障を来すとまさに侵害者の立場にある側の刑務所長・県警本部長が判断しただけで調査を拒否できるというものであり、実効性に重大な疑問がある。それ以外の公権力からの侵害についても同条第4項の運用とあいまって関係行政機関の調査協力の義務は骨抜きとなっている。このような形で公権力の側の調査拒否が容易に認められる可能性を残す反面で、私人においては罰則等の不利益を科して極めて重い調査協力の義務を負わせるということは明らかに均衡を欠いている。
なお、実質上、私人間にのみ極めて重い協力義務を科す点に関し付言する。これらの協力義務の必要性の根拠と言われている児童虐待に対しては「児童の虐待の防止等に関する法律」「児童福祉法」が、家庭内暴力に対しては「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」が、ストーカー行為に対しては「ストーカー行為等の規制等に関する法律」が各整備されており、本条例案はこれらの法律との関係において屋上屋を架するものであり、本条例案はその必要性を支える立法事実にも乏しいと言わねばならない。

第5点は、委員会の独立性の保障が極めて不十分という問題である。
本条例案において救済機関とされる人権侵害救済推進委員会については、職務権能行使についての独立性は保障しているものの、その機構上の独立性は保障されていない。議会の同意を得て知事が任命するものとなっていることでは保障されていないことを昨年県提出の議案において当会は指摘した。すなわち、この条例案でも委員の任命権、予算編成、事務局職員、規則の制定がすべて県知事に握られており、私人間の人権侵害をも対象とすることから考えると、任命がこのような形でしか行われないとすれば、行政機関の市民生活への干渉を招くための道具となりかねない。
これについて当会は、委員の選任過程においての独立性を担保するために、議会内に推薦委員会を設け、その推薦委員会の委員として県議会議員のみならず司法、報道関係者、弁護士会、学識経験者・人権福祉関連団体等の外部委員を置くなどの対処により、上記弊害が生じないための工夫を考えるべきであると指摘していたものであるが、本条例案においても選任過程についての対処はなされていない。
また、事務局の職員及び専門委員について、本条例案では独立性担保の観点から守秘義務及び不適格者の排除の規定を入れている。しかし、僅か5名の委員に代わって職員が相談や調査を行うことを明文で認めている以上、実質的な申立の処理は職員中心でなされることになることが明らかであり、職員に対する監督をどのように行うのかが重大問題となる。そうであれば職員の選任過程についての工夫も委員同様に必要である。本条例案は独立性の保障が極めて不十分であり、権力の濫用的な行使の道具となりかねない。

 以上、本条例案は人権救済の名のもとに行政機関による人権侵害を引き起こす可能性が極めて高いものであると判断せざるを得ず、憲法違反のおそれすらある重大な欠陥を有するものであり、当弁護士会としては到底賛成し得ないものとして頭書の意見に至ったものである。

2005(平成17)年10月8日
鳥取県弁護士会会長松本光寿


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2005-10-16 23:23:54
嘆かわしい。地元民としても由々しきことだ。

人権擁護法案成立阻止及び人権救済条例案が廃案になることを祈る。
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