2001年9月11日の出来事を受けて,米国下院は,同月20日,大統領に軍事行動をする権限を与える決議を420対1で行った。この反対票を投じたのが,カリフォルニア州選出の女性議員バーバラ・リーさんだった。イラクで市民を虐殺した事実(ここ←)が明らかになったいま,彼女のスピーチの重さが実感できる。
■■引用開始(このブログ←に原文も掲載されています)■■
議長、私は今日、ニューヨーク、バージニア、ペンシルベニアで殺され傷つけられた家族と愛する人々への悲しみでいっぱいになりながら、耐えがたい気持ちで演説に立っています。
アメリカ国民と全世界の何百万もの人々をとらえた悲しみを理解しないのは最も愚かな者か最も無神経な者だけでしょう。
アメリカ合衆国に対するこの筆舌に尽くしがたい攻撃のために、私は向かうべき方向を求めて自らの道徳指針と良心と神に頼らざるをえませんでした。
9月11日は世界を変えました。最も深い恐怖が今や私たちの心に付きまとってます。しかしながら、私は軍事行動はアメリカ合衆国に対する国際的なテロリズムのこれ以上の行動を防がないと確信しています。
私は、大統領はこの決議がなくても戦争を行なうことができることを私たち全員が分かっているにもかかわらずこの武力行使決議が通過するのだということを知っています。
この[反対]投票がどんなに困難なものであろうとも、私たちの何人かが自制を行使するように説得しければなりません。
しばらく距離を置いてみて今日の私たちの行動のもつ意味を通して考えよう、その結果をもっと十分に理解しよう、と言う何人かが私たちの中にいなければなりません。
私たちは従来型の戦争を扱っているのではありません。私たちは従来型のやり方の対応はできないのです。
私はこの悪循環が制御不能になるのを見たくありません。今回の危機には国家の安全や外交政策や社会安全や情報収集や経済や殺人といった諸 問題が入っているのです。
私たちの対応はそれと同様に多面的でなければなりません。
私たちはあわてて判定を下してはなりません。
あまりにも多すぎる罪のない人たちが既に亡くなりました。
アメリカ合衆国は喪に服しています。もしも私たちがあわてて反撃を開始すれば、女性や子どもやその他の非戦闘員が十字砲火を浴びるという大きすぎる危険な目に遭う恐れがあるのです。
同様に私たちは、残忍な殺人者によるこの狂暴な行為に対する正当な怒りがあるからと、あらゆるアラブ系のアメリカ人やイスラム教徒や東南アジア出身者や他のどの人々に対しても人種や宗教や民族を理由として偏見をあおることはできません。
最後に、私たちは退場の戦略も焦点を合わせた標的もなしに無制限の戦争を開始しないように注意を払わなければなりません。
私たちは過去の過ちを繰り返すことはできません。
1964年に連邦議会はリンドン・ジョンソン大統領に攻撃を撃退しさらなる侵略行為を防ぐために「あらゆる必要な手段をとる」権力を与えました。
その決定をした時に、本議会は憲法上の責任を放棄し、長年にわたるベトナムでの宣戦布告なき戦争へとアメリカ合衆国を送り出したのです。
当時、トンキン湾決議にただ二人反対票を投じたうちの一人であるワイン・モース上院議員は言明しました。
「歴史は我々がアメリカ合衆国憲法をくつがえし台無しにするという重大な過ちを犯したのだということを記録するであろうと私は信じる。……次の世紀のうちに、将来の世代の人々はこのような歴史的な過ちを現に犯そうとしている連邦議会を落胆と大いなる失望をもって見ることになるだろうと私は信じる。」
モース上院議員は正しかったのです。私は今日、同じ過ちを私たちが犯しているのではないかと恐れています。
そして私はその結果を恐れています。私はこの投票をするのに思い悩んできました。
しかし私は今日、ナショナル・カテドラルでのとてもつらいが美しい追悼会の中でこの投票に正面から取り組むことにしたのです。
牧師の一人がとても感銘深く「私たちは行動する際には、自らが深く悔いる害悪にならないようにしましょう。」と語ったのです。
■■引用終了■■
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。
■■引用開始(このブログ←に原文も掲載されています)■■
議長、私は今日、ニューヨーク、バージニア、ペンシルベニアで殺され傷つけられた家族と愛する人々への悲しみでいっぱいになりながら、耐えがたい気持ちで演説に立っています。
アメリカ国民と全世界の何百万もの人々をとらえた悲しみを理解しないのは最も愚かな者か最も無神経な者だけでしょう。
アメリカ合衆国に対するこの筆舌に尽くしがたい攻撃のために、私は向かうべき方向を求めて自らの道徳指針と良心と神に頼らざるをえませんでした。
9月11日は世界を変えました。最も深い恐怖が今や私たちの心に付きまとってます。しかしながら、私は軍事行動はアメリカ合衆国に対する国際的なテロリズムのこれ以上の行動を防がないと確信しています。
私は、大統領はこの決議がなくても戦争を行なうことができることを私たち全員が分かっているにもかかわらずこの武力行使決議が通過するのだということを知っています。
この[反対]投票がどんなに困難なものであろうとも、私たちの何人かが自制を行使するように説得しければなりません。
しばらく距離を置いてみて今日の私たちの行動のもつ意味を通して考えよう、その結果をもっと十分に理解しよう、と言う何人かが私たちの中にいなければなりません。
私たちは従来型の戦争を扱っているのではありません。私たちは従来型のやり方の対応はできないのです。
私はこの悪循環が制御不能になるのを見たくありません。今回の危機には国家の安全や外交政策や社会安全や情報収集や経済や殺人といった諸 問題が入っているのです。
私たちの対応はそれと同様に多面的でなければなりません。
私たちはあわてて判定を下してはなりません。
あまりにも多すぎる罪のない人たちが既に亡くなりました。
アメリカ合衆国は喪に服しています。もしも私たちがあわてて反撃を開始すれば、女性や子どもやその他の非戦闘員が十字砲火を浴びるという大きすぎる危険な目に遭う恐れがあるのです。
同様に私たちは、残忍な殺人者によるこの狂暴な行為に対する正当な怒りがあるからと、あらゆるアラブ系のアメリカ人やイスラム教徒や東南アジア出身者や他のどの人々に対しても人種や宗教や民族を理由として偏見をあおることはできません。
最後に、私たちは退場の戦略も焦点を合わせた標的もなしに無制限の戦争を開始しないように注意を払わなければなりません。
私たちは過去の過ちを繰り返すことはできません。
1964年に連邦議会はリンドン・ジョンソン大統領に攻撃を撃退しさらなる侵略行為を防ぐために「あらゆる必要な手段をとる」権力を与えました。
その決定をした時に、本議会は憲法上の責任を放棄し、長年にわたるベトナムでの宣戦布告なき戦争へとアメリカ合衆国を送り出したのです。
当時、トンキン湾決議にただ二人反対票を投じたうちの一人であるワイン・モース上院議員は言明しました。
「歴史は我々がアメリカ合衆国憲法をくつがえし台無しにするという重大な過ちを犯したのだということを記録するであろうと私は信じる。……次の世紀のうちに、将来の世代の人々はこのような歴史的な過ちを現に犯そうとしている連邦議会を落胆と大いなる失望をもって見ることになるだろうと私は信じる。」
モース上院議員は正しかったのです。私は今日、同じ過ちを私たちが犯しているのではないかと恐れています。
そして私はその結果を恐れています。私はこの投票をするのに思い悩んできました。
しかし私は今日、ナショナル・カテドラルでのとてもつらいが美しい追悼会の中でこの投票に正面から取り組むことにしたのです。
牧師の一人がとても感銘深く「私たちは行動する際には、自らが深く悔いる害悪にならないようにしましょう。」と語ったのです。
■■引用終了■■
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。