規制っていうと自由を侵害するような感じはあるが,自由を守るための規制もあります。その例としてあげたのが,メディアの集中排除原則。そこでは,表現の自由(多様な言論の確保)を守るために経済的自由(独占化,寡占化による経済的メリット)が制限されている。
生活する限り,自由と自由が衝突する場面がある。そのときに,いずれが優先されるべきか,ということについては,その社会ごとによって,一定の基準が設けられます。
しかし,表現の自由は,いかなる社会においても優先されなければならない。それは,表現の自由が失われたら,その社会において間違ったルールがあったとしてもそれを訂正することすらできなくなるからです(二重の基準論)。
今後,インターネットがメディアの主流となるのは間違いない。検索システムはその入り口であり,その入り口に安価に広告を出せるのであればそのスペースは誰もが利用できるものであるべきでしょう。
ヤフーがトヨタを買収し,検索連動型広告システムにおいて日産の広告掲載を拒否したとしたら,それは許されるべきでしょうか。いまの法制度だと明文では拒否が違法だとはされていません。また,現状だと,ヤフーもしくはグーグルで検索するしかありませんから,グーグルがマツダを買収して,日産の広告を掲載しなくなることも考えられる。そうなると,日産はインターネット上の情報発信が非常に制限されることになる。さらに言えば,検索連動型だけでなく,バナーとかトップページに出てくる広告についても掲載拒否をするかもしれない(法的には明文で規制はされていない)。
しかし,それでは,日産の方がトヨタよりも優れたものを発売しても,その存在を知る機会が減少し,社会全体としては不利益な結果となります。
それが政治的表現となるともっと深刻だ。例えば,憲法改正の国民投票がされようとするとき9条改編に反対するサイトが広告を出そうとしたら拒否され,9条改編に賛成するサイトの広告のみが掲載された場合,投票行為にどえらい影響を与えるだろう。
いま,どうやって,そのような恣意的な不掲載を防ぐことができるかを考える必要がある。
マイクロソフトのようなOS販売業者に対して,有効な規制をかけなかったことでネットスケープコミュニケーターは消滅し,インターネットの世界にアクセスするためにはインターネットエクスプローラーを利用するしか方法がなくなっている。これも表現の自由が侵害された一例ではないでしょうか。
BigBanさんが言うように,表現の自由が為政者の掌を飛び回る孫悟空ではあってはならないのは当然です。しかし,立法的に,例えば,検索連動型広告について寡占企業のシェア率を一定程度以内に制限することや違法性が認められる広告以外は掲載するというルールを定めることが,為政者の掌を大きくすることになるでしょうか?何か具体的な弊害が考えられるでしょうか?
立法によって,優越的な企業の掌を小さくするとともに,為政者の掌をも小さくすることもできるのではないでしょうか。
もちろん,新しい企業が検索システムに参入してくれれば状況は変わるでしょう。しかし,OSの世界でも,結局,新規参入は実現されていません。
だからこそ,いま,インターネットにおける表現の自由を守るための枠組みを利用者の側から働き掛けて実現する必要があると考えるのです。
生活する限り,自由と自由が衝突する場面がある。そのときに,いずれが優先されるべきか,ということについては,その社会ごとによって,一定の基準が設けられます。
しかし,表現の自由は,いかなる社会においても優先されなければならない。それは,表現の自由が失われたら,その社会において間違ったルールがあったとしてもそれを訂正することすらできなくなるからです(二重の基準論)。
今後,インターネットがメディアの主流となるのは間違いない。検索システムはその入り口であり,その入り口に安価に広告を出せるのであればそのスペースは誰もが利用できるものであるべきでしょう。
ヤフーがトヨタを買収し,検索連動型広告システムにおいて日産の広告掲載を拒否したとしたら,それは許されるべきでしょうか。いまの法制度だと明文では拒否が違法だとはされていません。また,現状だと,ヤフーもしくはグーグルで検索するしかありませんから,グーグルがマツダを買収して,日産の広告を掲載しなくなることも考えられる。そうなると,日産はインターネット上の情報発信が非常に制限されることになる。さらに言えば,検索連動型だけでなく,バナーとかトップページに出てくる広告についても掲載拒否をするかもしれない(法的には明文で規制はされていない)。
しかし,それでは,日産の方がトヨタよりも優れたものを発売しても,その存在を知る機会が減少し,社会全体としては不利益な結果となります。
それが政治的表現となるともっと深刻だ。例えば,憲法改正の国民投票がされようとするとき9条改編に反対するサイトが広告を出そうとしたら拒否され,9条改編に賛成するサイトの広告のみが掲載された場合,投票行為にどえらい影響を与えるだろう。
いま,どうやって,そのような恣意的な不掲載を防ぐことができるかを考える必要がある。
マイクロソフトのようなOS販売業者に対して,有効な規制をかけなかったことでネットスケープコミュニケーターは消滅し,インターネットの世界にアクセスするためにはインターネットエクスプローラーを利用するしか方法がなくなっている。これも表現の自由が侵害された一例ではないでしょうか。
BigBanさんが言うように,表現の自由が為政者の掌を飛び回る孫悟空ではあってはならないのは当然です。しかし,立法的に,例えば,検索連動型広告について寡占企業のシェア率を一定程度以内に制限することや違法性が認められる広告以外は掲載するというルールを定めることが,為政者の掌を大きくすることになるでしょうか?何か具体的な弊害が考えられるでしょうか?
立法によって,優越的な企業の掌を小さくするとともに,為政者の掌をも小さくすることもできるのではないでしょうか。
もちろん,新しい企業が検索システムに参入してくれれば状況は変わるでしょう。しかし,OSの世界でも,結局,新規参入は実現されていません。
だからこそ,いま,インターネットにおける表現の自由を守るための枠組みを利用者の側から働き掛けて実現する必要があると考えるのです。
突然のコメントで申し訳ありません。
ネット上でこの件に関する文章を書く際に、
こちらのエントリー等を
引用させていただきましたので、
そのご報告をするために参りました。
URL欄にアドレスを貼っておきます。
僕は「さるさる日記」を利用していまして、
トラックバックのような機能がないため、
このようにコメントでお邪魔することを
お許し下さい。
また、引用が事後報告になってしまったことも
あわせてお許し下さい。
その他、いろいろお気に障ることが
あるかもしれませんが、
とりあえず今日はこんなところです。
それでは。
しかし,検索連動型広告は入札制のため,ごまかしが効きません。したがって,せめて,この広告スペースくらいは広く門戸を開くべきだ,と考えています。
通常の検索が公平に行われていないのではないか,という指摘は阿修羅さんのサイトなどで指摘されているところです。
通常の検索の方が、広告よりずっと公平だという一般の合理的期待が大きいぞ。
しかも広告出させろってことは、表現の自由でもアクセス権に属するものだろ。
「表現の自由」とか言ってるけど、積極的権利だから一般の表現の自由と違う特殊の制約があるぞ。
あとさ、「受け手の権利」はわざわざ国連憲章B規約引っ張らなくても憲法21条で十分だし、(404 Blog Not Found)の管理人も当然受け手の自由があることを前提としたエントリーをかいてるし。
あ、ついでに。
俺、Firefoxだから、
>インターネットの世界にアクセスするためにはインターネットエクスプローラーを利用するしか方法がなくなっている。
とか言われてもね。
また,アクセス権とはいっても,検索連動型広告の場合は,スペースが限られているわけでもなく(許容性),不透明なアルゴリズムを避けてメッセージを伝えられる貴重な場(必要性)だと思うので,これまでと違う発想が必要では?
受け手の自由については,B規約19条の1項に注目していただきたい。ここが表現の自由の現代的性格を明確にしていると思うのです。ですから,引用しました。
インターネットエクスプロラー以外を使えるようになりたいもんです…。
広告スペースの透明性確保の理由に、通常の検索が不透明だからっていうのは、理由になってないっていうことさ。
「メッセージを伝えられる貴重な場」だから、俺にも使わせろって、なんかフツーに考えてもジャイアン的な発想じゃね?
なんかもおState Actionですらない理屈だしさあ。
アクセス権はスペースの問題だけじゃなくて、掲載される側の表現の自由の問題でもあるってこと指摘しないし。
>インターネットエクスプロラー以外を使えるようになりたいもんです…。
使えばいーじゃん。
いいぞFirefox。
タブが便利だし、検索プラグイン追加すれば、ググルやヤフ以外にもいろいろ手軽に使えるし。
結局私企業が支配してるネット世界なんだから、自分で出来ることは自分でしなきゃ。
みんなが使ってるブラウザや検索しか使わずに、自分でそれ以外を探そうともしないで不自由だって文句ばっかり言ってるのって、おかしいと思うぞ。
「メッセージを伝えられる貴重な場」うんぬんという点については,http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/38960514b99e400132d6f598f646744d
での奥平教授の「公共的なことがらについて人々にメッセージを伝達したいと欲する者がつねにかならずしも,この目的のために必要な場所あるいは空間を自ら所有・管理しているとは限らない。いやむしろ,それにふさわしい場所・空間を自らが所有・管理していないのが,普通一般である。そこで,実際には他人の所有・管理する場所・空間であるが機能上多かれ少なかれ公共的な場所・空間と見なされているところを用いて,伝達行為を行うことが現代社会では事実上比較的に大目に見られている状況がある」というコメントをご参照下さい。
奥平か。奥平じゃ、しょーがねーな。
つか、奥平でもPublic forumについちゃ「事実上比較的に大目に見られている状況」程度の書き方なんだけどな。
まーいーや。後は自分で記事でも書くよ。