情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

やっぱり共謀罪は寝たふり?!~国会開会間近、気合いを入れ直しましょう!

2007-01-16 02:56:18 | 共謀罪
 教育基本法改悪案が多くの方の反対活動にもかかわらず、可決された。そのため、共謀罪の与党担当者は相当焦っているはずだ。教育基本法のような重要法案でさえ、改悪法案を成立させたのに、共謀罪担当者は何をやっているのか、もう大臣の目はないな、というような会話が料亭でなされることを…。
 ということで、今国会では共謀罪は審議しないというような情報も流れているが、踊らされないようにしないといけない。これまで何度も寝たふりをされてきたのだから…。
 早速、以下のような反対運動が予定されているので、積極的に参加されたし。                   

●1月25日(木)8時30分~国会前駅ビラまき 
12~昼休み集会(13時終了)

●1月26日(金)18時30分~ さらば!共謀罪1・26集会
@東京しごとセンター(飯田橋)

主催:「破防法・組対法に反対する共同行動」(日本基督教団社会委員会気付)
   www.hanchian.org








★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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靖国問題Q&A-「特攻記念館」で涙を流すだけでよいのでしょうか-№1【内田雅敏弁護士著】

2007-01-16 00:59:33 | 靖国問題Q&A
憲法問題、戦後補償問題などに取り組んできた内田雅敏弁護士が靖国問題と向き合った「靖国問題Q&A」を書き上げた。内田弁護士の許可を得たので、今後、連続して紹介したいと思う。著者・出典を明らかにしていただけるのであれば、転載歓迎します。今回は、前書き部分を紹介します。


■■引用開始■■

はじめに -「特攻記念館」で涙を流すだけでよいのでしょうか-

いつの時代にも若者が時代の大義に殉ずる姿は美しい物語です。でも実情を知れば涙ではなく怒りが沸いてきます。
知覧の「特攻記念館」、靖国神社の「遊就館」に先の大戦末期特攻出撃した若者達の写真、遺書等が展示され、見学した人々が涙すると云います。だが両館には「統率の邪道」(大西瀧治郎海軍中将・航空特攻の創設者、敗戦時、軍令部次長として降伏に頑強に反対する。8月16日割腹自決)とも云える特攻という無謀な作戦を遂行し、あたら若い命を無残に散らした軍指導者らの責任を問う展示は一切ありません。
戦争末期、軍幹部らは撃ち落されることが分かっていながら本土防衛のための時間稼ぎ、国体護持の名のために「温存」という名目で、海軍兵学校、陸軍士官学校出の職業軍人には特攻をさせず、もっぱら学徒・少年兵らを次々と特攻出撃させました(特攻死した少尉以上の士官769名中、658名(85%)が飛行予備学生・生徒であったといいます。財団法人白鴎遺族会)。それも速成で伎倆も充分でなく、しかも満足に飛べないような整備不良の飛行機で出撃させ、敵艦に近づく前にほとんどが撃墜されました。戦争末期の特攻基地では、整備員たちが「こんな子供をこんなボロ飛行機で!」と泣いたといいます(小沢郁郎「つらい真実─虚構の特攻隊神話」同成社)。
「完全ナル飛行機ニテ出撃致シタイ」(後藤光春・69頁)とはどういうことでしょう。特攻機のほとんどはおんぼろで250キロの爆弾を積むと、やっと離陸できる仕末だったとか。なかには木製でジュラルミン張りの機もあったり、ノモハン事件(昭和14年)のとき使用した旧式のおんぼろもあったとか。
私は昭和21年6月8日、知覧基地跡の真ん中あたりに積み重ねてある残骸の中に、素人眼にもわかる、木製でジュラルミン張りの機を見ました。そのとき私は怒りをおぼえるとともに、勇士の心が思いやられ、涙が出てしようがありませんでした。戦争末期には、もう完全な飛行機をつくる力は、日本にはなかったのです。
それでも勇士は、与えられた機をこよなく愛しました。不幸にも徳之島の沖で散華した藤野道人曹長を陸揚げしたとき、曹長の腕と足はしっかり機に結んであったと、潜水夫は証言しています。勇士の多くはきっと愛機もろともにと、体を機に結び付けて征ったのでしょう。おんぼろの機に……(村永薫編「知覧特別攻撃隊」<おわりに>)

かつて戦没学生について書かれた『学徒出陣』を読んだとき、文字どおり「消耗品」扱いをする軍幹部に怒った学徒兵が、特攻出撃の前夜、酒に酔って兵学校出身者の宿舎の窓ガラスにビール瓶を投げつけ「アナポリ出て来やがれ……沖縄で戦っているのは予備学生と予科練だけだぞ!」と大声で叫ぶ記述に驚かされた記憶があります(「アナポリ」とは米国の海軍兵学校のあるアナポリスつまり兵学校出身者のこと)。  
大岡昇平著『レイテ戦記』(中央公論社)は、海戦とか航空戦を勇壮に描くのではなく、個としての兵士一人ひとりの生と死を克明に記す作業を通じて戦争の愚劣さを訴えた戦争文学の名作ですが、同書中で氏は「特攻」について、「勝利が考えられない状況で面子の意識に動かされ、若者に無益な死を強いたところに神風特攻の最も醜悪な部分がある」と書いています。
前述した特攻隊生みの親、大西瀧次郎海軍中将も1945年11月には「こんなにムダでは体当りは中止するべきでは」との疑問に、「こんな機材や搭乗員(の技量)では敵の餌食になるばかりだ。部下に死所を得させたい」「特攻隊は国が敗れるときに発する民族の精華」「白虎隊だよ」と言ったという(前同「つらい真実─虚構の特攻隊神話」)。
ところが、その大岡昇平氏が、他方では「しかしこれらの障害にも拘らず、出撃数フィリピン4000以上、沖縄1900以上の中で、命中フィリピンで111、沖縄で133、ほかにほぼ同数の至近突入があったことは、われわれの誇りでなければならない。想像を絶する精神的苦痛と動揺を乗り越えて目的を達した人間が、われわれの中にいたのである。これは当時の指導者の愚劣と腐敗とはなんの関係もないことである。今日では全く消滅してしまった強い意志が、あの荒廃の中から生まれる余地があったことが、われわれの希望でなければならない」と書いてしまっています。
敗残兵として生き残ってしまい、死んだ戦友達に対する後ろめたさ故からか、天皇の兵士として軍隊に狩り出された体験を基に「文化勲章を辞退する」という気概を示した大岡昇平氏もまた「特攻」の呪縛から抜け出せないのです。

大岡昇平氏と同じく『ゲゲゲの鬼太郎』など妖怪漫画作家の水木しげる氏も、ニューギニアの戦場で爆撃により左腕を失い餓死の境界を彷徨うという苦労をし、そのことを題材とした作品も書いています。水木しげる氏の弟子を自認する私の学生時代以来の畏友、漫画評論家の呉智英氏は、同氏から以下のような言葉を引き出しています。
「水木しげるのラバウル通いが始まった頃、私にこんな話をした。『以前は自分は、戦地だったところへ行きたがる者の心境が理解できなかったですよ。食うものも満足になく、餓死した戦友も多くいる。当人も九死に一生で助かっている。辛く苦しい思い出しかない。そんな戦地に、戦後20年も30年もたってなぜわざわざ行くのか』
水木しげるは、かつてはそういう人たちの気持ちが理解できなかった、と語る。
『しかし、自分はラバウルに行って初めてわかったんです。自分はあの戦争で生き残った。日本へ還ってこられた。でも、戦友たちは食糧も薬もなく、ここで死んでいった。そして、自分だけ、今では何でも食べられて生きている。そう思うとですなぁ……』
戦争体験者は、誰でも自責の念を語る。シベリア抑留体験のある詩人石原吉郎は、それをあえて逆転させ「死者におれたちがとむらわれるときだ」(『礼節』)と詩った。今、水木しげるは戦後初めてラバウルを再訪した日のことを私に語っている。死んでいった戦友たち、生きのびた自分。『戦友たちは、うまいものも食えずに若くして死んでいったんですよ。その戦地に立って、ああ、自分はこうして生きていると思うとですなぁ』
水木しげるは確信を込めて言った。『そう思うとですなぁ、愉快になるんですよ』
私は遠慮なく笑い転げた。目から涙がほとばしった。笑いは止まらないままであった。『ええ。ラバウルに行ってみて、初めてわかりました。』
これほど強い生命賛歌を私は知らない。生きていることほど愉快なことがこの世にあろうか。歴史は死者で満ちている。しかし、自分は生きているのだ。なんと愉快なことだろう。山陰出身者特有の古風な訛で、水木しげるは『ゆくゎい』と言った」(呉智英『犬儒派だもの』双葉社)。

  今、戦後61年、
   「国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦にむかって何を思い、なんといって、散っていったのだろうか。………………
    今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。
    たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。……」(『美しい国へ』安倍晋三著・文春新書)
などと述べる戦後生まれの新首相が現れました。

  私的な世界で親が子を守るために大切な命を投げ出すようなことはあるかも知れません。しかし、公的な世界で政治家が国民に向って言うべき言葉ではありません。
  それが61年前、戦後の再出発に際しての確認であったはずです。戦後の平和と繁栄は若者達の命が無駄に失わさせられたのを乗り越えてなし得たものであり、その死ゆえにではありません。繁栄の功績を死者に譲ることは死者への追悼であるよりは、無駄な死を強いた者の責任回避に通ずるのではないでしょうか。
「人類が歴史から学んだことは、人類は歴史から何も学ばなかったということだ」と云うことにならないためにも以下のような指摘には耳を傾けたいと思います。

   「21歳の松浦喜一少尉は、大きな爆弾を抱えた戦闘機で、鹿児島から沖縄をめざしていた。アメリカの艦船に体当たりするためだ。1945年6月19日のことだった。アメリカのレーダーを避けるため、豪雨の中を海面すれすれに飛んだ。何も考えていなかった。大和魂や忠君愛国という言葉は存在しなかった。身内の愛する人々のことは少し考えの中に現れた。………
    3機のうち、沖縄の目前で1機が墜落する。隊長は機首を転じ、引き返す。これでは任務を果せないと判断したのだろう。松浦さんは隊長に従った。…
    戦後、松浦さんは東京に戻り、麻布十番で家業のカステラ店を継いだ。特攻隊は志願したのですか。
『学生出身で未熟な飛行機乗りとしては、もうこの戦法しか残ってないと思った。しかし、数多くの若者が志願したことと、軍上層部が特攻作戦を採用したことは全く別の話です。戦争を始めるべきではなかったし、絶対に特攻作戦などを計画してはいけなかった』
特攻で亡くなった人たちを神格化する風潮がある。その危うさを語り続けることが生き残った者の務めだ、と松浦さんは考えている。」
(2006年8月7日、朝日新聞・天声人語)

 「特攻」を、武士道、日本精神の神髄だなどと賛美する人々がいますが、「特攻」こそ人の命を『鴻毛ヨリモ軽シ』(軍人勅諭)とする日本の軍隊の特性から生まれてきたものであることを、しっかりと認識しておく必要があります。
  靖国神社併設「遊就館」に1945年8月15日、日本の敗戦当日、九州、大分の海軍飛行場から第五航空艦隊司令長官海軍中将宇垣纏が部下22名とともに「特攻出撃」する際の写真が展示してあります。
すでに前日の14日、ポツダム宣言の受諾によって日本の敗戦が決定しており、司令長官に対しては停戦命令が出されており、15日正午には天皇による「玉音」放送が予定されていました。
ところが宇垣中将はこのことを秘し、この日、夕刻5時、自決のために艦上爆撃機「彗星」11機(搭乗員22名)を率い、「神州の不滅を信じ、気の毒なれど余の供を命ず。参れ」と訓示を締めくくり「出撃」し、16名(3機は不時着)の若者を死への道連れにしたのです(内藤初穂『桜花』・中公文庫)。
  生きていれば戦後日本再建の任を担ったであろう若者達の命を、日本の敗戦決定後においてなお、無駄死にさせたのです。
宇垣中将の「特攻出撃」の隊長を務めた中津留大尉の父親は、戦後次のように語ったと云われてます。
    「私にとっては、たった一人きりの息子でしたからなあ。
     軍の方でもその点を考えてくれるじゃろうち思うちょりましたが。
     やっぱあ非情なもんですな、そこまでは考えてくれんじゃったですなあ。
     とうとう特攻に連れて行ってしもうてですなあ。
     それも戦争が終わった放送の後でっしょうが。
     宇垣さんは部下を私兵化して連れて行ったわけですわ。
     私はそのことで、ずぅっと宇垣さんを怨み続けてきましたわ。
     戦後しばらくは、その事を考えると気が狂うごとありましたもんな。」
最愛の1人息子を失った父親の気持は察して余りあります。
宇垣中将の行為は、海軍刑法第31条「指揮官、休戦又ハ講和ノ告知ヲ受ケタル後、故ナク戦闘ヲ為シタルトキハ死刑ニ処ス」に該当する「私兵特攻」であり、重大な違反行為です。指導者として絶対に許されない行為です。「宇垣特攻」を知らされた小沢海軍総隊司令長官は『玉音放送で大命を承知しながら、私情で部下を道づれにするとは以てのほか、自決するなら一人でやれ』と口をきわめて難詰したといいます(前同)。しかし、敗戦のドサクサの中で彼は裁かれていません。
宇垣の部屋には「抱夢征空」の遺書が置かれていましたが、その署名は「海軍大将宇垣纏」とあったとのことです(前同)。海軍中将宇垣纏は、早々と「戦死」による大将への進級を自らの手でなしたのでしょうか(実際にはこの進級はなされず中将のまま据置かれた。なお中津留大尉らについても特攻による2階級特進でなく、通常の戦死による1階級の進級に留め置かれた)。
このような退廃的な軍指導者が靖国神社に英霊として祀られ、その写真が展示されているところに靖国神社の本質を垣間見ることができます。

2005年8月13日の紙面から、1年間かけて「戦争責任の所在を明らかにするキャンペーン」を展開してきた読売新聞主筆の渡辺恒雄氏は、ノンフィクション作家の保阪正康氏との対談「読売新聞『検証戦争責任』を終えて」の中で、以下のように述べています。

 渡辺 「軍人勅諭」や「戦陣訓」で説かれていることは、下の者は上の者に絶対に抵抗してはいけない、上の者は下の者をいくらぶん殴ってもいいということに尽きます。そういう精神風土が日本軍全体にあり、みんな徹底的にそういう暴力的なしごきを受ける。兵というのは「1銭5厘」、どこで殺そうか死のうが構わないという人命軽視の哲学-哲学なんて立派なものではないけど-から、特攻とか玉砕という思想が出てくるんですね。
 保阪 今回の特集の項目の中にも、「人命・人権の軽視」というのがありましたね。満州事変から日米開戦までの縦の軸と、議会、世論形成といった横の軸をおいて戦争の実相を描いているように思いました。その横軸の項目は、渡辺さんの発想ですか。
 渡辺 ええ。僕らも中学時代からさんざん、肉弾攻撃というか、最後は突撃で決めるんだと教え込まれ、そういう訓練をさせられたけど、あれは日露戦争で乃木大将がやったことですね。203高地とか、兵がどんどん殺されるのがわかっているのに、忠義だ、国家のためだといって肉弾突撃をさせる。そのような乃木思想が神格化されて「軍人勅諭」や「戦陣訓」となり、人間を物資、兵器として考えるようになった結果、人間魚雷・回天や人間爆弾・桜花という特攻兵器が発明され、絶望的に使われたわけですね。
   日本軍の残虐性を象徴的に示しているのは、特攻だと思います。みんな志願して特攻に望んだと言われていますが、上官に命令されたんですよ。上官の命令は天皇の命令であり、志願しないとぶん殴られるから出撃する。だけど怖くて途中で帰ってきちゃう人もいた。3度帰ってきて、ひどい目にあったという特攻兵だっているんです。人間魚雷・回天にいたっては出撃すると外に出られませんでしたからね。
 保阪 回天という特攻兵器は、見ただけで涙が出ますよね。本当にひどい。この特攻兵器の搭乗員として訓練中に亡くなった学徒兵(東大生)は、機器が故障し、海中で1時間ほど閉じこめられたままで亡くなっています。私は、この学徒兵がその間何を考えていたのかと考えるのですが、自らの生まれた時代の残酷さに強い怒りを持ったと思うんです。
 渡辺 ねえ。あんな残虐なことを20世紀に、天皇の名においてやったんですから。こういうことをはっきりさせなきゃいかんですよ。
  (『論座』2006年11月号)

憲法に関しては、いろいろ問題発言もある渡辺主筆ですが、戦争責任・靖国問題については、ブレが見られません。それは彼が、日本の敗戦時に将校ではなく陸軍2等兵であった体験に裏打ちされているものだからと思います。
特攻記念館で、短き命を散らされた若者たちに涙するのは、自然な気持だと思います。
しかし同時に、彼らの無念さに思いを馳せるべきです。そして、このような愚行を強いた政府・軍の指導者達に怒り、その責任を追及すべきです。
《特攻隊員達の犠牲の上に、戦後の平和と繁栄が築かれた》などと無責任なことを言わせてはいけません。彼らの死が、戦後の平和の実現に不可欠であったなどとどうして言えましょうか。

■■引用終了■■

…戦争によって犬死にさせられたことの怒りを忘れてはならない。








★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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