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ダブルスタンダード?! 聖伝主義に対する態度とエキュメニズム

2006年11月02日 | エキュメニズム関連情報

アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、

日本でのエキュメニズム運動の一端をお知らせします。



 ●2001年2月25日大阪教区阿倍野教会で池長大司教は日本聖公会主教、日本基督教団牧師、バプテスト教会牧師らと23人で共同司式の「創立55周年記念の感謝ミサ」を行った。



大阪カトリック時報2001年4月1日号より転載

 

阿倍野教会創立55周年記念祭

「55年の歩みをふり返り、21世紀に生きる共同体」


 阿倍野教会では、二月十二日、創立五十五周年記念の感謝ミサと祝賀会がおこなわれ、三百五十人が参加した。テーマは「五十五年の歩みをふり返り、二十一世紀に生きる共同体」。

 阿倍野共同体は、ふだんからエキュメニカルな活動をたいせつにしている。当日も、池長潤大司教はじめ、カトリック司祭、近隣の日本聖公会主教、日本基督教団牧師、バプテスト教会牧師ら二十三人が祭壇を囲んだ


(諸宗教の指導者が最後の祝福を与えている)

 信徒のひとりは「なぜ五十五年?はんばな数字!何人かの信徒たちからこんな声があがりました」といい、「五十五周年」記念祭が決まった経緯や方針、当日の様子についてつぎのように話した。「五年前、五十周年のときは、阪神・淡路大震災の翌年でした。災害にあわれた方々と痛みを分かち合う意味でも、この 『五十五』という数字は私たちにとって貴重な数字です。この計画をたてたときから、たんなる昔をなつかしむだけでなく、この機をステップとして 『これからの教会』を模索しょうと決めました。

お祭り騒ぎはやめ、多くの信徒が参加できるよう考慮しました。それにはまず、子どもたちが生かされ、外国人たちと交わりがもてるミサ典礼を考えました。たとえば、奉納には、外国の文化を理解しょうとの試みから、子どもたちはバンプーダンスを披露(=写真)。

(外国文化理解の試み:これが日本文化へのインカルチャレーションになるのだろうか?)


 ほかに、パンとぶどう酒とともにお米・・・・これは、毎週、釜ケ崎に届けられるおにぎりから 『隣人愛』を表現。それから、麦の穂大地の恵みに感謝。

(天主に感謝ではなく、大地の恵みに感謝)


 そして、外国との関係から輸入フルーツ。阿倍野教会を拠点として、すでにはじまっている宣教活動をあらわす『古いサンダル』など。
 古いサンダルについては、ミサ後、あるかたから『なんできたないサンダルを祭壇の上にのせるねん。国によっては、牛や羊を奉納するところもあるんやから、祭壇の下でええねん』という忠言があり、大笑いの一幕もありました。


(大笑い??)


 全信徒が一丸となつて関わったこの日は、私たち阿倍野小教区の大聖年のテーマ 『交わりと証し』を実践する契機になつた、と確信できた記念祭でした」。(取材協力 杉田恭子氏)

 

●教会での禅


 教会での禅と称して、宗派を超えた交流の場としてカトリック北野教会様の御協力を得て、相国寺専門道場師家田中芳州老大師が、座禅と法話を開催し、カトリック神父との対談を致します。


http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/tatcyu/daitsuin-kyokai.html


 

▼何故、日本ではこのようなことが許されてしまっているのだろうか? 何故、池長大司教様は、日本聖公会主教、日本基督教団牧師、バプテスト教会牧師らにカトリック信徒の方々を祝福してくれと頼んだのだろうか? 日本のカトリック聖職者のうち何人がカトリック司祭職とは何か、ミサ聖祭とは何かをカトリック教会が常に理解してきた通りに理解し信じているのだろうか?

 何故、日本ではこのようなことが許されてしまっているのだろうか? この答えはあまりにも明らかだ。何故なら、ヨハネ・パウロ二世教皇様が、アシジの諸宗教の祈祷集会を開いて、「第二バチカン公会議を正しく理解する挿絵(イラストレーション)である」と言ったからだ。



 日本でエキュメニズム運動があり、諸宗教の指導者を招待して祈ってもらったり、他の宗教の施設に祈りに行くのは、第二バチカン公会議が望んだことだった。

 これらのことは第二バチカン公会議以前には、全く考えられないことだった。天主の十戒に全く反することだから



 だから、日本でこのようなことが起こっても誰も文句を言わなかった。ただヨハネ・パウロ二世教皇様の真似をしただけだったのだ。



 では、私たちはどうすればよいのか?

 レオ13世によって不可謬的に(ex cathedra)明らかにされた英国聖公会の司祭叙階が無効であることを信ずるか、あるいはパウロ六世やヨハネ・パウロ二世教皇様のエキュメニズムの風潮を信じるべきか?


 マルチン・ルターを不可謬的に(ex cathedra)排斥したレオ10世を選ぶか、ヨハネ・パウロ二世教皇様のエキュメニズムの風潮を選ぶべきか?

 「教会の外に救いなし」とする聖会の教義を信ずるか、それとも、非キリスト教さえも救いの手段であり、多神教さえも敬うべしとするヨハネ・パウロ二世教皇様の指針に従うべきか?

 《異端者》、あるいは/かつ、《破門されたもの》は「カトリック教会の外にいる」のか、それとも、「さまざまなキリスト教と呼ばれる団体」は「深さが」異なるのみで、全き交わりの中にいるのか。したがって、これらさまざまな異端の、あるいは/かつ、破門された党派も、パウロ六世やヨハネ・パウロ二世教皇様にならって「教会として、又は、教会的団体として」「尊敬すべき」なのか??

 

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