アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
皇帝フランツヨーゼフは、知的な学者肌でした。皇帝は、このところ物思いにふける時があり、よく帝国の昔話しを思い出していました。
帝都アモールから遥か離れた東方には、聖マルコと聖パウロと捧げられたマルコパウロ州がありました。今では、新しい帝国旗の後に、いくつかの県になりましたが、マルコパウロ地方の自治体として残っています。この州は、火山地帯であるからか、昔から金の産出が豊かで、今でも或ゴミ焼却場のゴミの土を精製すると金鉱山よりはるかに高い含有率の金が産出されるそうです。マルコパウロ州だけに生息している鳥として金の卵を生む鳥もいました。
この州の臣民は、昔から勤勉で、真面目で、柔和で、優秀な頭脳に恵まれていました。確かに完璧主義者のきらいがありました。全てが完璧でなければならないのです。それでも、毎日ご飯が食べられること、一日一日が無事に暮らせたこと、つらいことがあってももっと酷くなくてありがたい、ありがたい、と感謝のうちに幸福に楽しく暮らしていました。彼らは、玉の緒の命よりも名誉と誠実を重んじ、キリストの教えに従って、はかない浮き世の栄枯衰勢を後目に、永遠のパラディーソの名誉を求めていたのです。
元来マルコパウロ州では、カトリック的な家庭生活、助け合い、家庭的な同業者組合、忍耐、質素、感謝、堅実、懸命、誠実、人間らしさ、智恵を大切にしていました。彼らにとって、イエと呼ばれた家族が最も重要でした。また家族らが作る共同体でした。帝国は、この家族らの自律と権威と価値を大切にしていました。帝国があるのは、家族を守るためで、帝国の安全も国防も秩序も、それなくして成り立たない家族らの本当の安定した繁栄のためでした。全ての家族は幸福に自発的に帝国の眼差しのもとで、生活していたのです。家族こそ帝国の繁栄の第一の条件であり基礎でした。天主、天国、来世の幸福、霊的喜び、キリストの神秘体の天主の子供としての兄弟愛、これが彼らの最高の規律でした。彼らは、家族の共同体の共通善のために個人的利己主義や情欲の幻想を犠牲にすることを知っていました。
マルコパウロ州にはそんな人々が住んでいたのです。
彼らはまた、完璧を追求するので、学問的に緻密で、特にマルコパウロ州で作られた工業製品は素晴らしいと有名でした。
以前は、質素で朗らかな性格でしたが、新しい帝国旗が導入され、マルコパウロ州がいくつかの県になった時、ここにも、新しいイデオロギーとして「金儲け」が浸透してきました。彼らは金儲けにも完璧主義者となっていったのです。
最初に追求したのは金儲けの完璧な個人の「自由」でした。レッセ・フェール主義です。州民は、マルコパウロ州の全体の皆のための共通善を誰も考えなくなってしまいました。
ただ自分さえ最大の利益を得れば、他はどうなっても構わない、市場を支配し、財産をかき集める、財産を通して権力と名誉を一人占めにする、カネで買えないものはない、富は神々からの祝福のしるしだ、と。自由な競争で最高のサービスと製品が勝ち残るはずだ。規制がなければ、消費者が利益を得る。より安くより良い製品とサービスを手に入れるだろう。全ては市場だ、全てはカネで計られる、と。
こうして、マルコパウロ州民は、人間に対してオオカミとなっていきました。家庭よりも、地域よりも、個人の利益・収益が重要になったのでした。しかし、同時に、家族や地域という保護と援助とを失い、個人は身を守る手段を失っていきました。自由を追求すればするほど、州民は自由を失ってしまったのです。全てはカネで測られたからです。子供はカネがかかる、障害を持って生まれた子供は負担がかかる、老人も負担だ、弱者は切り捨てて行くしかない、コストカットだ、というスローガンのもとに人々は労働ロボットになってしまったからです。
フランツヨーゼフ皇帝は、いろいろな実話を思い出しました。例えば、マルコパウロ州を一時覇権していた、A (キャピタルエーとかビッグAとか呼ばれていました) という百貨店の話。小さな小売りが立ち並ぶいたるところの田舎町の商店街の近くに、消費者のための格安大型百貨店が立ち、消費者は安い商品を最初喜んで購入していたが、小売りの商店街は幽霊シャッター街となり、町を捨てて多くの人が大都市に引っ越し、過疎化が進み、ついに格安大型百貨店も客がなくなってたち消えてしまったこと。
マルコパウロ州の各県経済がうまく行っていたころ、より高い競争性を持つように、彼らがコストカットしやすい派遣法を作ったことをもフランツヨーゼフ皇帝は思い出しました。競争力がつく、良い安価なサービスを提供できるというためでした。しかし、そのために家族は犠牲をしいられました。家族は消費者であるとともに生産者だったからです。皇帝は考えました、彼らのうちで保護を受けるべき人々が保護されなくなってしまったこと、過労、病気、弱者切り捨て、大量のドレイの発生、若者たちが結婚する経済力もなくなってしまったこと、少子化がますます進み、消費者が減少し、市場も縮小し、マルコパウロ州全体の競争性が減少したこともフランツヨーゼフ皇帝は思い出しました。
際限のない自由の追求のあと、真理や正義よりも、一部の物質的に強いものがますます自由になり、その他の多くは自由を失っていったのです。
マルコパウロ州でも、この「自由」のイデオロギーの後に控えていたのが「平等」でした。
マルコパウロ州には、他の州と同様に、莫大な財政赤字がありました。マルコパウロ州の州都があるアソ県の県知事は、「将来の子供たちに莫大な借金を残して、われわれがおもしろおかしく生活してはならない、われわれは将来の世代には、夢と財産を残したい。われわれの財政赤字は、われわれが痛みを受けて処理しよう」と主張しました。
しかし、堅実で賢明な政策は、マルコパウロ州の多くの良識ある人々にもかかわらず、マスメディアによって、かき消されてしまっていました。マスメディアによれば、今、自分たちがおもしろおかしく生活できれば、子供たちはどうなってもよかったようです。大量生産で大量販売、大量消費、全ての商品化、家族も無い、道徳も宗教も無い、国も無い、人間の顔も無い、過去とのつながるを絶ち切られた、将来の世代のための善と未来を配慮することも無い、今の欲望をあくまで追求することだけをあおりたてていました。
マスメディアの批判によれば、アソ県の県知事は、漢字を間違える、人事のやり方が上手くない、議会の解散をする時期を逃した(つまりマスメディアの命じる通りにやらなかった)、などなどと、マルコパウロ州の全体のこと以外のことを大問題としていました。
マルコパウロ州のもと州都アソ県知事フランシスコは、なんとか昔の良いマルコパウロ州の民族性、州民性を回復させたいと思っていました。
そんなときちょうど七夕の夜、帝国都アモールで、フランツヨーゼフ皇帝とフランシスコ県知事との初めての謁見が持たれることになりました。マルコパウロ州の心ある人々は、この謁見の成功を祈って、短冊に帝国のため、州のための、未来の世代のための願いを書いて、天主の御母聖マリア様の足元に祈りとともに捧げていました。
(続く)
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
皇帝フランツヨーゼフは、知的な学者肌でした。皇帝は、このところ物思いにふける時があり、よく帝国の昔話しを思い出していました。
帝都アモールから遥か離れた東方には、聖マルコと聖パウロと捧げられたマルコパウロ州がありました。今では、新しい帝国旗の後に、いくつかの県になりましたが、マルコパウロ地方の自治体として残っています。この州は、火山地帯であるからか、昔から金の産出が豊かで、今でも或ゴミ焼却場のゴミの土を精製すると金鉱山よりはるかに高い含有率の金が産出されるそうです。マルコパウロ州だけに生息している鳥として金の卵を生む鳥もいました。
この州の臣民は、昔から勤勉で、真面目で、柔和で、優秀な頭脳に恵まれていました。確かに完璧主義者のきらいがありました。全てが完璧でなければならないのです。それでも、毎日ご飯が食べられること、一日一日が無事に暮らせたこと、つらいことがあってももっと酷くなくてありがたい、ありがたい、と感謝のうちに幸福に楽しく暮らしていました。彼らは、玉の緒の命よりも名誉と誠実を重んじ、キリストの教えに従って、はかない浮き世の栄枯衰勢を後目に、永遠のパラディーソの名誉を求めていたのです。
元来マルコパウロ州では、カトリック的な家庭生活、助け合い、家庭的な同業者組合、忍耐、質素、感謝、堅実、懸命、誠実、人間らしさ、智恵を大切にしていました。彼らにとって、イエと呼ばれた家族が最も重要でした。また家族らが作る共同体でした。帝国は、この家族らの自律と権威と価値を大切にしていました。帝国があるのは、家族を守るためで、帝国の安全も国防も秩序も、それなくして成り立たない家族らの本当の安定した繁栄のためでした。全ての家族は幸福に自発的に帝国の眼差しのもとで、生活していたのです。家族こそ帝国の繁栄の第一の条件であり基礎でした。天主、天国、来世の幸福、霊的喜び、キリストの神秘体の天主の子供としての兄弟愛、これが彼らの最高の規律でした。彼らは、家族の共同体の共通善のために個人的利己主義や情欲の幻想を犠牲にすることを知っていました。
マルコパウロ州にはそんな人々が住んでいたのです。
彼らはまた、完璧を追求するので、学問的に緻密で、特にマルコパウロ州で作られた工業製品は素晴らしいと有名でした。
以前は、質素で朗らかな性格でしたが、新しい帝国旗が導入され、マルコパウロ州がいくつかの県になった時、ここにも、新しいイデオロギーとして「金儲け」が浸透してきました。彼らは金儲けにも完璧主義者となっていったのです。
最初に追求したのは金儲けの完璧な個人の「自由」でした。レッセ・フェール主義です。州民は、マルコパウロ州の全体の皆のための共通善を誰も考えなくなってしまいました。
ただ自分さえ最大の利益を得れば、他はどうなっても構わない、市場を支配し、財産をかき集める、財産を通して権力と名誉を一人占めにする、カネで買えないものはない、富は神々からの祝福のしるしだ、と。自由な競争で最高のサービスと製品が勝ち残るはずだ。規制がなければ、消費者が利益を得る。より安くより良い製品とサービスを手に入れるだろう。全ては市場だ、全てはカネで計られる、と。
こうして、マルコパウロ州民は、人間に対してオオカミとなっていきました。家庭よりも、地域よりも、個人の利益・収益が重要になったのでした。しかし、同時に、家族や地域という保護と援助とを失い、個人は身を守る手段を失っていきました。自由を追求すればするほど、州民は自由を失ってしまったのです。全てはカネで測られたからです。子供はカネがかかる、障害を持って生まれた子供は負担がかかる、老人も負担だ、弱者は切り捨てて行くしかない、コストカットだ、というスローガンのもとに人々は労働ロボットになってしまったからです。
フランツヨーゼフ皇帝は、いろいろな実話を思い出しました。例えば、マルコパウロ州を一時覇権していた、A (キャピタルエーとかビッグAとか呼ばれていました) という百貨店の話。小さな小売りが立ち並ぶいたるところの田舎町の商店街の近くに、消費者のための格安大型百貨店が立ち、消費者は安い商品を最初喜んで購入していたが、小売りの商店街は幽霊シャッター街となり、町を捨てて多くの人が大都市に引っ越し、過疎化が進み、ついに格安大型百貨店も客がなくなってたち消えてしまったこと。
マルコパウロ州の各県経済がうまく行っていたころ、より高い競争性を持つように、彼らがコストカットしやすい派遣法を作ったことをもフランツヨーゼフ皇帝は思い出しました。競争力がつく、良い安価なサービスを提供できるというためでした。しかし、そのために家族は犠牲をしいられました。家族は消費者であるとともに生産者だったからです。皇帝は考えました、彼らのうちで保護を受けるべき人々が保護されなくなってしまったこと、過労、病気、弱者切り捨て、大量のドレイの発生、若者たちが結婚する経済力もなくなってしまったこと、少子化がますます進み、消費者が減少し、市場も縮小し、マルコパウロ州全体の競争性が減少したこともフランツヨーゼフ皇帝は思い出しました。
際限のない自由の追求のあと、真理や正義よりも、一部の物質的に強いものがますます自由になり、その他の多くは自由を失っていったのです。
マルコパウロ州でも、この「自由」のイデオロギーの後に控えていたのが「平等」でした。
マルコパウロ州には、他の州と同様に、莫大な財政赤字がありました。マルコパウロ州の州都があるアソ県の県知事は、「将来の子供たちに莫大な借金を残して、われわれがおもしろおかしく生活してはならない、われわれは将来の世代には、夢と財産を残したい。われわれの財政赤字は、われわれが痛みを受けて処理しよう」と主張しました。
しかし、堅実で賢明な政策は、マルコパウロ州の多くの良識ある人々にもかかわらず、マスメディアによって、かき消されてしまっていました。マスメディアによれば、今、自分たちがおもしろおかしく生活できれば、子供たちはどうなってもよかったようです。大量生産で大量販売、大量消費、全ての商品化、家族も無い、道徳も宗教も無い、国も無い、人間の顔も無い、過去とのつながるを絶ち切られた、将来の世代のための善と未来を配慮することも無い、今の欲望をあくまで追求することだけをあおりたてていました。
マスメディアの批判によれば、アソ県の県知事は、漢字を間違える、人事のやり方が上手くない、議会の解散をする時期を逃した(つまりマスメディアの命じる通りにやらなかった)、などなどと、マルコパウロ州の全体のこと以外のことを大問題としていました。
マルコパウロ州のもと州都アソ県知事フランシスコは、なんとか昔の良いマルコパウロ州の民族性、州民性を回復させたいと思っていました。
そんなときちょうど七夕の夜、帝国都アモールで、フランツヨーゼフ皇帝とフランシスコ県知事との初めての謁見が持たれることになりました。マルコパウロ州の心ある人々は、この謁見の成功を祈って、短冊に帝国のため、州のための、未来の世代のための願いを書いて、天主の御母聖マリア様の足元に祈りとともに捧げていました。
(続く)
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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麻生首相、ローマ法王と会見へ 伊G8サミットの際2009年6月25日11時24分
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【トリエステ(イタリア北部)=南島信也】麻生首相が来月8日からイタリア中部ラクイラで開催される主要国首脳会議(G8サミット)出席のためにローマを訪れた際、ローマ法王ベネディクト16世と会見することが固まった。ローマ法王庁(バチカン)関係者が明らかにした。
首相は7月7日に法王と会見する方向で調整が進んでいる。日本の首相がローマ法王と会見するのは、99年1月に小渕首相(当時)が欧州歴訪の際にヨハネ・パウロ2世を訪ねて以来となる。国際会議で立ち寄った各国首脳に法王が単独で会うのは異例で、麻生首相がカトリック信者であることも考慮したものとみられる。