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愛は制度化されうるか

2008年11月08日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 私たちはどうしたら苦しむ方々を少しでも助けることができるでしょうか?そのための上手い制度を作ることができるでしょうか?

 苦しむ方々を助ける人々も人間ですから、食べていかなければなりません。家族も養っていかなければなりません。たとえ苦しんでいる方を助けたいという気持ちと志しがあったとしても、経済的理由でやっていくことが出来ないこともあるでしょう。苦しむ方々には、十分にお礼をすることが出来ないかもしれません。

 私たちはどうしたらいいのでしょうか。

 私たちは福祉国家に補助金を当然のこととして要求するべきでしょうか?国家は、どこまで面倒を見るべきでしょうか?

 そのために、国民である私たちは税金をどこまで払うべきでしょうか?

 カトリック教会には、全く別の解決策があります。第二バチカン公会議の前までは、解決策がありました。

 修道会の修道士、修道女の方々の奉仕です。清貧の誓願を立てて、無償の奉仕をする修道士・修道女の方々です。貞潔の誓願を立てて天主様のために苦しむ方々を助ける兄弟、母親、父親である修道士・修道女の方々です。

 彼らは天主様を愛するために、教育に、医療に、高齢者の世話に、孤児や身よりの無い方の世話に、献身していたのです。

 修道生活は、キリスト教の生み出した愛徳の華、聖徳の極みです。歴史上、いかなる企業もシステムも、これほど献身的で従順で低賃金?な労働力を生み出したことがありませんでした。

 カトリック教会の司教様は、修道生活を開花させ、多くの実りをもたらすことができるのです。一体どうやって?私たちは、国家を信じているのではありません。国家に希望を置いているのではありません。

 ミサ聖祭です。聖伝のミサ聖祭です。十字架のいけにえの再現であるミサ聖祭、昔の聖伝のミサです。聖伝のミサ聖祭は、私たちに十字架の生活、いけにえの生活について教え、いけにえを捧げ、イエズス・キリストと共にいけにえを生きることを促しているからです。

 ただし、修道生活はカトリックの教えが真理だから、多くの人々がその道に入ったのです。王家の人々も、貴族の子女も、皇帝の子女もそうです。それがあると便利なシステム・制度だから、それがあったのではありません。

 私たちの主イエズス・キリストの十字架の生活に従うため、救霊のため、多くの若者たちが自分を天主様に捧げたのです。かつて、ヨーロッパでは、国家が教会に希望を置いていたのです。

 願わくは、聖伝のミサ聖祭が復活し、多くの若者たちが救霊のために修道生活を目指しますように!

イエズス・キリストの至聖なる聖心よ、我らを憐れみ給え!

天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が愛する兄弟の皆様の上に豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)モンタレンゲの聖ピオ十世会の修道院にて

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