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クリストファー A. フェララ,Esq.著「ファチマの第三の秘密と公会議後の総崩れ」を読んで

2006年08月19日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで

アヴェ・マリア!


「保守的」カトリシズムの出現



 クリストファー A. フェララ,Esq.著「ファチマの第三の秘密と公会議後の総崩れ (第四部 第五部)」(http://www.d-b.ne.jp/mikami/fn980421.htm)の「保守的」カトリシズムの出現に関する考察はとても興味深かった。以下、ポイントを拾ってみた。

【詳しくは是非とも、http://www.d-b.ne.jp/mikami/fn980421.htmをご覧下さい。】



(前回のまとめ)

 第二バチカン公会議の前にはすべてのカトリック教徒は「伝統主義者」であった。しかし、第二バチカン公会議はすべての断罪を放棄し、リベラル派「カトリック」が教会内に存在するようになった。今日のリベラルなカトリック教徒たちは本来ならば破門されていなければならない人々であった。

 


【「保守派」カトリックの出現】


 リベラルな立場と伝統主義者の立場との間のギャップの中に今「保守的」カトリシズムと呼ばれているものが現れた。


 保守派は、一方において教会を統治する教皇の至上のそして完全な権力(plena et suprema potestas)と、他方においてキリストの代理者[教皇]でさえ所有していない絶対的な権力との間の混同に基づいている。


 「保守派の人々」は、教皇の権威はすべての実践的な目的のために絶対的なものと見なされなければならない、と考える。



 「保守派の人々」は、教皇についてプロテスタントたちが誤ってそうであると主張しているまさにそのカリカチュアを主張し出した。すなわち教皇は専制君主であり、教皇の布告はそれらが教会の共通善を害するものであったとしても、文字通りに遂行されなければならない、とする。



 「保守的」カトリシズムは伝統に対する「真の」忠実と教導職に対する「真の」従順によって動機づけられていると主張する。 「保守的な」カトリック教徒は、どんなことであれ、単純に盲目的に教皇に従う。「私は教皇なしに正しい者であるよりはむしろ教皇ととともに誤った者でありたい」ということが「保守的」カトリック教徒の慰め言葉の一つである。



 保守派の人々は教皇がされることはどんなものであれ何でも定義によって伝統的であると単純に宣言する。


「教会が承認することは定義によってカトリックの諸々の伝統と矛盾しない。なぜなら教会は、特に聖座は、...伝統の決定者であり裁定者であるからである」と。


 こうすることによって、カトリックの伝統から、客観的な内容が奪われ、本質的に何であれ「教皇の望まれること」(主観)=「伝統」へと還元している。



 その結果は、例えば、
 祭壇奉仕の少女たちは、全二千年の教会の歴史にわたって彼女らが禁止されてきたにもかかわらず、そして教皇ヨハネ・パウロ二世によって彼が彼自身の以前の布告を突然逆転されるまでは禁止されてさえいたにもかかわらず「伝統的」となったのである。


 新しい自国語ミサのために伝統的なミサが放棄されたこともまた「伝統的」となる。実際、刷新それ自身が「伝統的」となった。


 保守派の人々は、彼らに加わることを拒否した人々(=伝統主義者たち)を公然と非難する傾向がある。そうすることによって、「保守的な」カトリシズムは、現在の教会の危機を大いに悪化させた。「保守的な」カトリシズムの出現のおかげで、教会史において初めて信頼に足るカトリック伝統主義は一つのののしり言葉となった。


 公会議後の革命の不本意な監視人たち、保守派の人々は、夜盗たちの一団が[カトリック]信仰の王室を掠奪している間まどろんでいるが、しかし、ときどき階段を駈け昇るために立ち上がり、いくつかの「非合法的な」ラテン語ミサを含む彼らのわずかに残った財産をもって屋根裏部屋に避難した伝統主義者たちに吠えついている。そうこうしている間に夜盗たちは妨害されることなく彼らの仕事を続けているのである。


 革命と伝統との間の偽りの「保守的」中間地のまさに存在そのものが、本当のカトリックである伝統主義者たちをマージナル化して外に追い出すことを革命家たちに許した。


 主要なリベラル派の一人であるリチャード・P.マクブライエンはその著書カトリック教会の改造においてこう述べている:「穏健な保守派による極右の批判は穏健な進歩派によるよりも遙かに効果的である。」そうすることによって、保守派の人々は、どれほど不本意にであれ、革命によく奉仕してきた。


 「保守的な人」は、教会の共通善を保存することを委ねられた人々(教会の当局者たち)が教会からその太古の典礼や多くの他の貴重な伝統をほとんど一夜のうちに剥ぎ取りながら、まさにキリストの花嫁のイメージそのものを敢えて変えようとしたことがあたかも言語に絶する一つの不法行為ではなかったかのように、どっちつかずに述べるのである。


 「保守派」はわれわれの信仰が一つの特定の公会議、そしてそれが産み出した革命的な諸改革や新しい態度によって定義されるようになったと言っている。このことが意味していることは、「保守的な」考え方が進歩的あるいはリベラルなカトリシズムの一つの形式そのものだ。




【保守的な人々のための一つの新しい名前】


 「エキュメニカルな運動」を断罪され、そして王たるキリストの祝日を設けられた他ならぬ教皇ピオ十一世はその問題を以下のような言葉で表明された:


 「われわれが経験しつつある危機は歴史において類のないものである...可もなく不可もないものであることはもはや許されない。すべての人は各人が彼の活動の諸々の制約の範囲内で世界をキリストへと立ち帰らせるために果たすべき一つの使命を持っているということを想起する避けられない義務を持っている。右翼の急進派であることによってのみカトリック教徒は左派の急進派に抵抗し、キリストのために世界を征服する力強さを持つであろう。



 スーネンス枢機卿自身が認められた「教会におけるフランス革命」であったもの(=第二バチカン公会議)に直面して「保守的な」カトリック教徒は、増大する伝統的運動が証明しているように、彼の教会における身分への完全な安全を保って合法的に抵抗できたにもかかわらず、破滅的な諸々の変化に対して何の抵抗もしなかった。



 「保守的」カトリシズムは、ネオ・カトリシズムを実践するネオ・カトリック教徒たちと呼ばれるべきである。


 典礼の一致がローマ典礼に回復されるとき、カトリックという言葉が信徒のすべての成員のために同一の意味、そして同一の感覚を回復するとき、伝統主義、リベラル、ネオ・カトリックなど、そのような用語のいかなる必要性もなくなるであろう。



 しかし今は必要がある。ネオ・カトリック教徒たち(=「保守的」カトリック)は正義において、彼ら自身のために健全な正統性のマントを主張し続けることは許され得ない。


 また彼らはもはや、カトリック教徒たちが常に礼拝してきたように礼拝し、そしてカトリック教徒たちが常に信じてきたように信じることに対して伝統主義者たちを、過激主義者ととして表現することを許されるべきではない。

 



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