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私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ カトリック教会は、どの様な精神を持って御出現を識別するのか

2017年10月30日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

20年前に「私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ」という文書を書きました。ここに掲載いたします。


「私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ」

 天主は全能なお方です。私たちの信仰は、天主に出来ないことはない、と私たちに教えます。天主は、奇跡を起こすことが出来ます。奇跡を起こすことが出来ると言うことは、私たちの日常生活に直接的に干渉することが出来るということです。ですから、カトリック教会は今までに数多くの奇跡が起こったことを公認してきました。例えば、教会は聖母が私たちに御出現になったという事実を幾つか公認しました。例を挙げると、フランスのルルドにおける聖母の御出現(1858年)、或いは、ポルトガルのファチマにおける聖母の御出現(1917年)などがあり、これらは大変有名なことです。しかし、カトリック教会はこれらの事実を公認する前には、常に非常に慎重で賢明な調査を繰り返しました。カトリック教会は、真の御出現と偽の御出現を調査し、区別し、判定する権利と義務があるからです。

 私たちは、ここで母なる教会の導きに従って、御出現の識別について研究してみましょう。

 カトリック教会は、どの様な精神を持って御出現を識別するのでしょうか。ここではその手本に、ファチマの御出現を取ってみましょう。

そして次に、その原則をその他の御出現に適応させてみましょう。ここでは、その適応の例として、メデュゴリエの出現を取ってみましょう。

1997年9月8日トマス小野田神父

第一部 ファチマの聖母


ファチマにおける聖母の御出現は極めて典型的である

1御出現を受ける以前の幻視者

 まず第1に問われなければならないのは、御出現を受ける以前の幻視者についてです。

ファチマでは、幻視者たちは、どんな人だったのでしょうか。

 この問いに関して、私たちはまず、彼らの年齢の低さに驚かされます。天が彼らのような幼子をその伝令に選んだことは以前にはありませんでした。1917年の御出現の年には、ルチアは10歳、フランシスコは9歳、ヤシンタはわずか7歳に過ぎませんでした。彼らは読み書きを知りませんでした。彼らの両親は農業を営み、非常に貧しかったのです。彼らの生活は困難で、生活の糧を得るので精一杯でした。

 しかし、彼らには深くキリスト教の信仰が生きていました。彼らは子供たちに、罪の恐ろしさを良く教えていました。特に、子供たちは嘘をついてはいけないことを厳しく躾けられていました。ヤシンタとフランシスコの父親ははっきりとこう断言することが出来ました。「うちの子供らは、嘘をつくことなど出来ないのです」と。

 このことは、最年長のルチアについても同じでした。1917年、医者も彼らを検査して、彼らの肉体上・精神上の健康を確認しています。

 彼らは、敬虔です。特に1916年、ポルトガルの守護の天使の御出現を受けてからは、ますます敬虔になりました。真の御出現か否かを識別するために教会が定めている伝統的な基準に基づきますと、この敬虔さと、正直なことは、ファチマの御出現を肯定的に考えさせる点です。彼らは、洗礼の聖寵のうちの罪のなさを保ち、純粋な霊魂を持っていました。

2最初の御出現の際の状況

 第1の御出現がどの様にして起こったのでしょうか、その状況を詳しく調べるのは非常に重要です。1917年5月13日日曜日、朝早く三人はボレイロス(Boleiros)の聖堂に行き、第1のミサに与っていました。彼らは、家につくやいなや、羊の群をコヴァ・ダ・イリア(Cova da Iria)に連れていきました。昼頃に彼らは昼食を取ります。そして、これは重要なことですが、ロザリオを唱えます。それから、無邪気に遊び始めます。

 ルチアはこのときの状況をこう語ります。

「私たち、フランシスコとヤシンタと私は、コヴァ・ダ・イリアの坂の上で、茂みの周りに塀を作って遊んでいるところでした。すると突然、私たちは、稲妻のようなものを見ました。私は、従兄弟たちにこう言いました。『家に戻った方がいいわ。ほら、稲妻が光っているから。夕立が来るかもしれない。』『わぁー、ほんとだ!』それで私たちは坂を下り始め、羊の群を道の方に押しやりました。坂のだいたい真ん中ぐらいまで来ますと、そこにあった大きな緑の柏の木の高さぐらいのところにまた別の稲妻を見ました。それから、また数歩行った後に、今度は背の低い緑の柏の木の上に、真っ白な服を召されたご婦人を見ました。この方は、太陽よりも輝き、透き通った水の入ったクリスタルのカップに激しい日の光が貫き通るよりももっと明るい、強烈な光で輝いておられました。」

3御出現を受けた幻視者の反応

 ルチアは、御出現を受けてどの様な反応を示したのでしょうか。

「私たちは、この御出現にびっくりして立ち止まりました。私たちは、この方のほんのすぐそばにいたために、この方を包んでいた、と言いますか、この方から放たれていたその光の中にいました。だいたい1メートル半ぐらいの距離でした。」

 すぐさま、彼らは恐れる必要はないと言われます。

「恐れないで下さい。私はあなた達に悪いことはしません。」

この婦人は彼らの恐れをはらされました。そして、この子どもたちは、丁度、バルブデットの納屋の前で御出現を受けたポンマン幻視者たちのように、パリのリュ・ド・バックの聖堂で御出現を受けた聖カタリナ・ラブレーのように、大きな信頼と安心と平和に満たされました。

 御出現が終わると、彼らは喜びにあふれ、はち切れんばかりでした。ヤシンタはじっとしていることが出来ませんでした。彼女は『わぁ、きれいな女の方!あぁ、きれいなお方!』と何度も何度も繰り返しました。そしてその夕方には、(ルチアにこのことを黙っている、と約束したにもかかわらず)ヤシンタは母を見ると自分の見たことをつまびらかに語って見せました。

4御出現の頻度

 第1の御出現の時から、ファチマでは、いつ、何回御出現があるかが正確に定められていました。1度で、もはや、この御出現がこれからどこに行くのかが分かっていました。

「『あなた様は私に何をお望みですか』と(ルチアが)聞きますと、『私は、あなた達がこれから6ヶ月の間、月の13日の同じ時刻にここに来ることを求めに来ました。それから、私はあなた達に私が誰が、そして私が何を望むかを言いましょう。後に私はまたここに7回目に戻ってきましょう。』」

 毎月聖母は約束を守りここに御出現になりました。そして、全ては、最終の10月13日の御出現へと秩序付けられていました。聖母は、ご自分の言われた約束を正確に一字も違わずに守られました。ここには曖昧さが少しもありません。ハイはハイ、イイエはイイエです。

5御出現の言葉遣い、態度、たち振る舞い

 ファチマの御出現は、完璧に天主の御出現にふさわしいものでした。「聖母にしては、ちょっと・・・」と思わせるようなことも、「まさか聖母が・・・!」と思わせるようなことも、全く何もありません。御出現は常に厳粛で、憐れみに満ちています。

 子供たちからも、1つも無駄な質問がありませんでした。

「『あなた様はどこからいらっしゃったのですか?』と(ルチアが)尋ねますと、『私は天からのものです』と答えられました。」

6御出現前後の聖職者の態度

 これも全てがはっきりしています。御出現前にはこの子どもたちのことを良く知っていたという司祭は1人もいませんでした。最初の5月13日の御出現の後に、そして、毎月の13日にルチアの母親は子供たちを司祭館に連れていきました。主任司祭であったフェレイラ神父は、彼らを冷たく詰問し、厳しく脅迫します。恐るべき審問。人を冷たくこわばらせるほどの厳しい尋問。彼らに何らかの同情と愛情をいくらかでも示した司祭がいたとすればそれは、フォルミゴンFormigao師が最初でした。しかし、フォルミゴン師がアルジュストレルAljustrelに来たのが9月の13日のことでした。しかし、メッセージのテーマは全てその前に告げ知らされていました。

7脱魂

 ファチマでは幻視者は固有の意味での脱魂をしていません。ルルドでは、この固有の意味で脱魂の現象が見られました。ルチアが聖母に語るときには、大きな声で語り、周囲にいる人々は彼女の声を聞くことが出来ました。

 ファチマでは肉体上の変化は乏しいが霊魂上に生じた霊的変化には特筆すべきものがあります。

まず、天国へのあこがれです。彼らは、自分の目で無原罪の童貞女を見、全くこれに引きつけられました。その美しさに夢中になりました。彼らをある熱烈な望みが掴んではなしませんでした。天国に行く!これでした。ルチアが聖母に尋ねた最初の質問のうち、その一つはこのことでした。

『それから私も天国に行くでしょうか。』

『はい、あなたは行くでしょう。』

『それからヤシンタは?』

『ヤシンタもです。』

『それからフランシスコは?』

『フランシスコもです。でも、フランシスコはロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう。』

 6月13日、第2の御出現に時には、ルチアはフランシスコとヤシンタの名前でもう一度聖母にこう言って尋ねました。

『私はあなた様に、私たちを天国に連れていって下さるようにお願いしたいと思います。』

『はい、私はヤシンタとフランシスコを、もうすぐ天国に連れて行くでしょう。でも、ルチア、あなただけはもうしばらくここに残ることでしょう。イエズスはあなたを使って、私を知らせ、愛させるようにしたいと望んでおられます。彼は、世界に、私の汚れなき御心への信心を確立させたいと望んでおられます。』

 この天国へのあこがれは、この御出現が天からのものであると言うことの、議論の余地のない証拠の一つです。この後、3人の牧童の全生涯は、この天国へのあこがれによって、深く性格付けられています。ある日、フランシスコは将来何になりたいのかと聞かれました。司祭になりたいのか、それとも何か別の職業がいいのかと。するとフランシスコは、天晴れにもこういった。

『いいえ。僕は司祭になりたくありません。』

『そうかい、じゃあ、一体何になりたいのかい。』

『僕は何にもなりたくありません!・・・僕は死んで天国に行きたいのです。』

 3人が受けた神秘的な聖寵のもう一つの印は、私たちの主を傷つけ、侮辱し、苦しめる人々の罪を思い、それを悲しく思うことです。

6月と7月13日の御出現の後、フランシスコはこう言います。

『天主様はどんなだったか、ですか?説明できません。本当です、説明できません。そんなことを言える人は誰もいません。でも、天主様が、多くの罪のせいであんなにも悲しまれているというのは、つらいことです。あぁ、もし僕が天主様をお慰めすることが出来たらなぁ!』

フランシスコの今後の関心事は祈りと犠牲によって、天主様をお慰めすること、聖母をお慰めすること、これに尽きるようになります。

 ヤシンタは、非常に多くの霊魂たちが地獄の火に落ちるのを見、彼らの罪を償うために全てをし、全て苦しみを堪え忍びたいと望むようになります。そして、マリアの汚れなき聖心から彼らが回心する特別のお恵みを勝ち得たいと望みます。ヤシンタは如何なる犠牲を払っても、彼らが救われることを望みます。彼らが永遠の破滅へと落ちないように!

『祈りなさい。罪人たちのためにたくさん祈り、犠牲を捧げなさい。何故なら、彼らのために犠牲をし、祈る人が誰もいないので、多くの霊魂が地獄に堕ちるからです!』

 聖母は、8月19日に上のように言われ、このことが、ヤシンタの頭から離れることはありませんでした。

 シスター・ルチアは、こう書いています。「地獄を見たことで、[ヤシンタは]自分のする償いや、苦行は、霊魂たちを地獄へ堕ちないようにするには不十分であるように思えるほど、恐ろしがりました。・・・彼女はしばしば地面や石の上に座って、考え込んだようになり、こう言い始めるのでした。『あぁ!地獄!地獄!地獄に落ちる霊魂たちがかわいそう!』・・・そして半分ふるえおののきながら、手を合わせて跪き、聖母がお教え下さった祈りを唱えるのでした。『ああ、イエズスよ、我らの罪を赦し給え。我らを地獄の火より守り給え。全ての霊魂、ことに、最も必要とする霊魂を天国に導き給え。』」

 天国、地獄、聖母マリアの汚れなき御心の全能の仲介、これがファチマの第1の秘密です。彼らはこれを強烈に生きました。祈りと犠牲の生活、これがこの3人のその後の生活でした。

8癒し

 聖母は何度も病の癒しを下さいました。しかし、非常にしばしば、聖母は賢明に、そして堅く、まず病人のまじめな回心の意志がある印を求めになりました。

 10月13日、ルチアは幾人かの病人の癒しを聖母に願いますと、聖母はこうお答えになりました。

「治る人もいますが、治らない人もいます。彼らが生活を改めて、罪の赦しを求めなければなりません。」そして、もっと悲しそうな表情で、「願わくは、人々がもうこれ以上天主、私たちの主を侮辱しないように。何故なら、主はもう既に侮辱され過ぎておりますから。」

9謙遜の雰囲気

 ファチマでは、全ては全くの謙遜のうちに事態が進展しました。天主は、傲慢や虚栄心をあおるような啓示は決してなさいません。

 聖母は、ファチマで、かつてないほど大きな奇跡と印をもって現れ給うた。しかし、この御出現自体については、以前の御出現を上回るものであるとか、と言うことを一言も言われませんでした。長い間ファチマは、ルルドの小さなポルトガル版であるぐらいにしか思われていませんでした。

 人類は傲慢によって罪を犯しました。

 天主は、私たちに謙遜の徳を教えるために、私たちが洗礼の水によって、罪の赦しを受けることを望まれます。たかが、水によって!天主は、僅かなパンの中に隠れて住み給います。天主は、私たちに模範をもって謙遜を教えられます。

 10月13日には、実際、ファチマの聖母はごく僅かなことしかご要求になりませんでした。

「私はあなたたちに、人々がここに私の名誉のために、小聖堂を一つ(capelhina = a small chapel)建てることを望みます。私はロザリオの聖母です。願わくは、毎日ロザリオをいつも唱え続けるように。」

 この日に、全人類がかつて体験したこともない、未聞の大奇跡を7万人が見ています。フォルミゴン神父はルチアにこう質問しました。

「聖母は各地から多くの人々がここに来るようにとお望みになると言われたのですか。」

 ルチアはこう答えました。「いいえ、聖母は人々がそこに来るようにとは、誰にも命じられませんでした。」

 これが天のなさるやり方です。

 秘密については、幻視者たちはそれを明らかにする権限を与えられていません。彼らはこのことに関して全く口を閉ざしています。私たちは、天主様の時に、このメッセージの全容が公開され、これが一字一句実現するのを見てその重大さを知ることでしょう。

10誰にでもはっきりと分かる明確な印

 ファチマの牧童の慎ましさに関わらず、ファチマではこの御出現が真実のものであることを証明する全くはっきりとした印が与えられました。

 1917年10月13日には、7万人が太陽のダンスを目撃しています。一人残らず全員が目撃しました。当時、ポルトガルはフリーメーソンの政府によって全く牛耳られていました。フリーメーソンは報道機関を全て買い取っていました。ポルトガル共和国政府は、反聖職者主義、反カトリックを全面に押し出していました。政府は、ファチマへの巡礼が発展するのを全力を使って阻止しようとしていました。

 しかし、それにも拘わらず、いかなる報道機関にも、この奇跡が起こったことの事実を否定する記事は載りませんでした。また、太陽の奇跡を見なかったと主張する証人のリストが掲載されたことも、そのような話が載ったことも、一度もありませんでした。

 太陽の奇跡は確実に起こりました。それは誰も否定できません。この太陽のダンスは、天文学上の現象ではありませんでした。太陽は現実に踊ったわけではありませんでした。それは明らかです。この奇跡は、自然現象でもありませんでした。しかも、これは集団催眠でもありませんでした。幻覚、錯覚というのは必ず個人的現象であって、集団に発生するものでは決してありません。これについては、例えば、フランス語で1543ページからなるTraite des hallucinations, par H. Ey. Ed Masson, 1973という専門書が、集団幻覚と言うことがあり得ないと証言しています。ましてや7万人の集団錯覚というのは考えられません。

 これは、天主からのものです。天主だけがこの様な現象を引き起こすことが出来ます。しかし、この奇跡については既に7月のうちから預言されていました。聖母は約束の通り、約束の日に、約束の時間に、約束の大きな奇跡を起こされました。

 ルチアは、御出現の途中で突然叫びます。「太陽を見て!」前夜から朝までかけてひっきりなしに降り続いた雨はその時ぴたりとやみました。空には雲がなくなりました。人々は、それでも太陽をじっくりと凝視することが出来ました。

 火の車のように太陽は動き始めました。太陽は回りながら虹の全ての色を次々にとって、光を放ちました。しばらくたちますと、太陽は止まり、また回り始めました。太陽は3回踊り、突然群衆は叫び声をあげだしました。太陽は空から離れて、血のように真っ赤に染まって、地上に落ちてくるように見えたからです。火の固まりによって群衆は押しつぶされるようでした。全く恐ろしい瞬間でした。そして、太陽は元の位置に戻り、喜びがみなぎりました。人々は使徒信経(クレド)や、サルベ・レジナを歌い始めました。大群衆は、口々にこう言いました。「私たちは天主の印を見ました。私たちは天主の印を見た」と。

 これこそ、カトリック信仰の大勝利、天主の大勝利、聖母の汚れなき御心の大勝利の瞬間でした。

11幻視者の生活における超自然の実り

 これについては、シスター・ルチアの回顧録を読む必要があります。ここにヤシンタやフランシスコの聖徳が書かれています。彼らは聖徳の香りのうちに死んでいます。教会は近いうちにおそらく彼らを列聖することでしょう。

 シスター・ルチアについては、彼女の正直さ、彼女の慎ましさ、謙遜さが輝いているとだけ言いましょう。彼女は、天主のご計画が実現するためにいかなる犠牲を払うこともいといませんでした。

12信者の霊魂における超自然の実り

 ファチマはポルトガルの救いの曙でした。当時、一世紀以上にわたって、特に1910年の革命以来、聖マリアの地はフリーメーソンによって支配されていました。しかし、御出現の後、あからさまな迫害は止み、サラザールSalazarはあからさまなカトリック政府を作ることが出来ました。リスボンの総大司教であったチェレジェイラCerejeira枢機卿は、サラザールとともに、聖母がファチマの御出現によってポルトガルを救われたと公言するほどでした。

 ポルトガルの司教たちは、聖母のご要求に答えるという素晴らしい功徳を積みました。彼らは全員一致でポルトガルを聖母の汚れなき御心に奉献したのです。その後、聖マリアの地に、天からの祝福が雨あられと降りました。回心の奇跡。全国各地で、カトリック信仰の復興が起こりました。政治社会的刷新の奇跡。スペイン内乱中における平和、第二次世界大戦中の平和。ポルトガルは聖母によって奇跡的に保護され、守られました。

13メッセージ

 ファチマのメッセージは全くカトリック的です。

 1917年7月13日、聖母がされた第三回目の御出現の模様を、ルチアはこう書いています。

 「この光景は一瞬間しか続きませんでした。私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげでです。もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう。

 恐れのあまり、助けを求めるかのように私達は聖母に向かって目を上げました。聖母は優しく悲しそうにこう言いました。

『あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主はこの世に私の汚れ無き御心に対する信心を確立するように望んでいます。もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう。・・・』」

 これが第一の秘密です。

 そして、第二の秘密が始まります。聖母は、汚れなき御心に対する信心を、世界の救いと、平和の条件の最終の手段として提示されます。

「もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう。

 戦争は終わるでしょう。しかし、もし天主を侮辱することを止めないなら、ピオ11世の統治下で別の更にひどい戦争が起こるでしょう。

 あなたたちが、知らざる光によって照らされた夜を見るとき、天主がこの世をその罪のために戦争と飢饉、教会と教皇に対する迫害を使って罰を下そうという大いなる印を天主様があなたたちに下さっているのだと言うことを知りなさい。

 これを避けるために私はロシアを私の汚れ無き御心に奉献することと、月の初土曜日に償いの聖体拝領をすることとを求めに来るでしょう。

 もし人が私の要求を聞くなら、ロシアは回心し平和がやってくるでしょう。さもなければロシアはその誤謬を世界中に広め、戦争と教会に対する迫害とをもって挑発するでしょう。多くの善良なものが殉教し、教皇様は多く苦しまねばならないでしょう。無くなってしまう国々もあるでしょう。」

 ここで第三の秘密が来ます。

「ポルトガルでは信仰のそのドグマが常に守られるでしょう。等々[ママ]」

 この部分は1943-44年に書かれ、1957年にはヴァチカンに運ばれています。ピオ12世はこのことを知っていたがこれを読もうとはしませんでした。ヨハネ23世はこれを読みました。内容は、もはや世界の平和のことでも原爆のことでもありません。教会に関することです。カトリック教会にとって一番重大なこと、すなわち、公会議前後から始まった信仰の喪失の危機に関わることです。

 ファチマの第三の秘密は、教会の牧者たちが信仰を失ってしまうこと、教会の指導者たちの罰、聖母と悪魔との決定的な戦いの告知、サタンの時が来たことの告知、最後の時の大離教の時が来たことの告知です。

 聖書に預言されていたとおり、特に黙示録の12-13章に書かれているとおり、ファチマの秘密の内容は、これに一致します。

 しかし、この「悪魔的な方針の間違い(diabolic desorientation)」が終わりますと、カトリック復興の素晴らしい時代が来ることでしょう。これは、無条件の約束です。

 「最後には、私の汚れ無き御心が勝利を収めるでしょう。教皇様は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心するでしょう。そして世界には平和の一時期が与えられるでしょう。」

「ファチマのメッセージは、呼びかけであり、希望であり、この黙示録的な時代における救いです。ファチマは諸国の希望になりました。」「丁度パレ・ル・モニアルがイエズスの聖心の信心のためにあったように、ファチマは、マリアの汚れなき御心の信心のためにあるでしょう。ファチマは、或る意味で、パレ・ル・モニアルの続き、いやむしろ、その結論です。ファチマは、天主が贖いのみ業において一つに結びつけた二つの聖心を、堅く結びつけるものです。」(Cardinal Cerejeira)

 そうです、ファチマは、聖カタリナ・ラブレーに伝えられた「汚れなき仲介者たる聖母」のことを想起させます。その意味で、リュ・ド・バックの御出現の続きでもあります。

 ファチマは、聖ルイ・マリ・グリニョン・ド・モンフォールと、聖マクシミリアノ・コルベによって伝えられたマリア論の確認です。「聖母マリアが全ての聖寵の仲介者である」という教えの確認なのです。



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