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皇帝の新しい旗 その2

2009年06月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 新しいことが大好きだった皇帝は、新しい旗を発表すると間もなく崩御し、新しい旗にふさわしい新しい皇帝の御世になりました。

 若くして玉座を後継した新皇帝カルロスは、帝国の新しい時代を始めました。父君の偉功を続けるために、第二帝国旗にふさわしい新しい方針を打ち出しました。新しい帝国旗に合わせて、帝国憲法を改訂しました。教育勅語を改訂しました。学校制度も変わりました。州が、多数の小さな都道府県になり、県知事の数が増えました。選挙制度も変わりました。軍隊の制度を改訂しました。帝国の国語も方言中心に多様化させました。国技も改訂しました。多くの人権委員会が出来ました。帝国内にあった十字架を出来る限り卍型に変えました。ヘビもつけました。

 皆は、これらの変化を第二帝国旗の精神と呼んでいました。これは魔法の言葉で、誰も逆らうことが出来ませんでした。おかしいな、と思っても、帝国は変わりがない、良くなっている、昔と同じだと互いに言いあっていました。

 とりわけ目立った変化は、今まで帝国の敵対国と考えられ、帝国の版図を常に縮小させようと狙い、一方的に侵略を試みていた国々に対して、融和政策を打ち出し、それらの国民たちに一方的に選挙権と参政権を与えたことです。さらに、帝国領土も開かれた土地として、外国に自由に占拠させ使用を促したのです。学校では、帝国の言葉よりも、外国の言葉で勉強するのが普通になりました。

 すべては、第二帝国旗の精神です。

 今までは想像することさえ出来ないこと、口にすることさえ恐ろしいことでしたが、皇帝は自分は帝都の都知事で県知事の一人に過ぎない、と言い出し、古代から伝わった皇帝の権威の象徴の神器である三種の冠を放棄しました。

 カルロス皇帝は、近隣諸国に帝国の過去の歴史を一方的に謝罪しました。友愛のしるしに、帝国の皇后陛下以外の女性たちとの親しい交流が始まりました。皇后陛下は悲しい思いをしていたはずですが、報道されませんから国民は知りませんでした。これは、昔なら考えられなかったことです!!

 国民は当惑しましたが、新しい時のしるしを読め、新しい建国だ、おまえは皇帝よりも偉いのか、皇帝よりも帝国的なのか、と言いあっていました。

 ある人々は真理などない、と言いました。ある人々は、いや、真理はある、しかし誰にも分からない、と言いました。またある人々は、真理はあるが、真理などどうでもいいのだ、真理も間違いも同じく良いものだ、大事なのは、人数だ、権力だ、と言いました。仕事ができて、メシが食えて、みんなと楽しくあれば、真理なんかどうでもいいのだ、真理、真理などというから大同団結できなくなる、それでは数が取れない、帝国を動かせない、私たちにはそれが何であれ御旗が必要だ、錦の御旗がありさえすればいい、勝てば官軍だよ!と言う人もいました。

 カルロス皇帝の御世は、年ごとに凋落していきました。安い給料の公務員になりたい青年たちがいなくなりました。医者や看護婦さんになりたい青年たちもいなくなりました。特に、看護婦さんたちが真っ白の慎み深い制服をやめて、普通のおばさんのようになった病院では、とみにそうでした。警察官になりたい青年たちもいなくなりました。軍隊に入隊したいなどという青年は、ほとんどなくなってしまいました。軍人さんの平均年齢は年々増加し、しばらくすると65歳とも70歳とも言われるようになります。その時は、あと数年で帝国から帝国軍が消滅すると噂されることでしょう。だから、その時に備えて、国民たちが射撃訓練をしたり、病院にボランティアに行ったりし始めたのです。

 問題はそれだけでなく、多くの帝国民は外国に移民を始めたことでした。特に昔から皇帝に対する忠誠心の強かった地域では反動的に反帝国的、反皇帝的になってしまいました。今まで自分たちは間違いをしていた、帝国主義は懲りた、と無関心になった多くの国民がいました。

 若きカルロス皇帝に危機について進言する人々は、いなかったわけではありません。ルーブル大臣は、時あるごとに、皇帝にその憂慮を伝えていました。しかし、皇帝にはよく理解出来なかったように思われます。カルロス皇帝は、先祖の皇帝たちの偉業はほとんど語らず、父君と新しい帝国旗のことだけを語り続けたからです。

 ルーブル大臣は、皇帝から煙たがられるようになってしまいました。マスメディアは、これを機会にルーブル大臣を非難する報道を開始します。記事の見出しはだいたい、非国民ルーブル、です。マスメディアにとって売れれば良いのですから、ますますセンセーショナルな記事を書きたてていました。

 不幸中の幸いは、マスメディアによって、ますますルーブル大臣の存在が国民に知られるようになったことです。中には、シャーロック・ホームズの国からわが帝国に移民してきたウィルファインドザトゥルース氏や、バチカン近衛兵を多く生み出した永世中立国の名門家系からのエコン氏、帝国の名門ケント伯コルディリオ氏などが出て、ルーブル大臣を助けるようになったことです。

 ルーブル大臣は、誤解されても皇帝のため、帝国のため、それだけを考えていました。彼は、以前、帝国一の帝国大学を主席で卒業し、帝国の皇帝代理、帝国全権大使、州知事などの要職を歴任し、皇帝に使えてきた人です。帝国史や法令のことに精通していました。

 ルーブル大臣は、帝国旗が建国の当時からの歴史があること、今から500年ほど前に内乱があった時、当時の皇帝リアが昔の旗を永世の旗して定めたこと、第二帝国旗は法令的にはいかなる義務化もないこと、昔からの帝国旗は法令によって一度も廃止されていないこと、また新しい旗は帝国の基礎である天主教を暗黙のうちに否定し、新しい民主教に入れ替えられている、などの事実を指摘したのですが、誰も耳を貸そうとしませんでした。ルーブル大臣を非難し排斥するだけでした。

 こうして、カルロス皇帝の40年という長い御世が過ぎていきました。帝国始まって以来の、苦しみの時代、内乱や戦争や疫病や飢饉よりも恐ろしい急激な失墜の時代でした。

(続く)

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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