アヴェ・マリア!
新しいミサについて
ベネディクト十六世教皇の言葉
「古代教会の聖体秘跡書以来、何世紀も綿々とつづいてきたミサ典書の使用禁止は、典礼の歴史における断絶を意味するものであり、その影響は計り知れないものです。(a breach into the history of the liturgy whose consequences could only be TRAGIC.)」
(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 162~163ページ)
「歴史的に成立してきたものに対して、新しい家を対立させ、これを禁止したと言うこと、典礼を生きたもの、成長するものとしてではなく、学者たちの仕事、法律家の権限によってつくりだされたものとしたこと、これらが私たちに大きな損害を与えたのです。これによって、典礼は人間に先立って神から与えられたものではなく、つくられたもの、人間の裁量の領域のうちにあるものであるという印象が出来上がってしまったのです。」
(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 163ページ)
「私たちが今日経験している教会の危機は、「もし神が存在しなかったとしても」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。今日、典礼において、神が存在しており、神が私たちに語りかけ、私たちの祈りを聞いて下さるということは、もはや問題外のこととなっているのです。
もし典礼において、信仰の共同体、世界に広がる教会の一致とその歴史、生きているキリスト者の神秘が現れるということがもはやないのであれば、どこにおいて教会はその霊的な本質を現すのでしょうか。そこでは共同体は自分自身を祝うだけであり、それは何の役にも立たないのです。共同体は、常に主から与えられた信仰によってのみ、一つの教会として存在するのです。教会は自分自身において存立しているのではないのですから、このような条件の下では、教会が自分自身を引き裂き、党派的な対立と党派への崩壊の道をたどることになるのは、必然的なことであります。」
(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164~165ページ)
だから、こそ聖ピオ十世会は、
まず、(1)ベネディクト十六世教皇様のために天から、トリエント・ミサと呼ばれている永遠のミサ聖祭を完全に解放するために必要な力を勝ち取るために、教皇様に百万環のロザリオの祈りを霊的花束としてお捧げしたいと思っています。
そして、聖伝のミサの聖寵を通して(2)私たちの主イエズス・キリストの社会的王権が復興するため、また(3)聖母の汚れ無き御心が凱旋するために、祈りたいのです。
兄弟姉妹の皆様の寛大なご協力をお願い申し上げます。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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