Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

被昇天のしるしのもとで. 日本におけるカトリックの歴史

2008年05月20日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 新しいNouvelles de Chrétienté 第110号が発行されましたので、お知らせします。

 特に、表紙には今年11月に列福される予定のテクラ橋本の京都での殉教の画像があり、19ページから27ページまで、Sous le signe de l’Assomption, Histoire du catholicisme au Japon(被昇天のしるしのもとで、日本におけるカトリック教の歴史)という題の記事があります。
 28ページは、パウロ永井隆博士に関する記事です。




(以下の文章は、必ずしもNouvelles de Chrétienté 第110号の内容であるとは限りません。)

 1281年6月23日から始まった蒙古軍の襲来により、上陸しようと黒々と埋められていた博多湾の15万人の蒙古軍勢を載せた艦隊は、聖母被昇天の大祝日の8月15日から2日間博多湾を襲った台風「神風」によって、全滅してしまったことがありました。

 聖フランシスコ・ザベリオが鹿児島に到着し、私たちの主イエズス・キリストの聖福音を伝え始めたのは、1549年8月15日、聖母被昇天の大祝日でした。

 最初の都の「南蛮寺」は、高山右近たちの協力によって1576年の8月15日に完成、聖母の被昇天に捧げられる(しかし、秀吉により打ち壊されてしまう)。
 狩野派の画家である元秀(狩野永徳の弟)の描いた扇面に今もその姿が偲ばれます。(神戸博物館蔵)

都の「南蛮寺」 元秀(狩野永徳の弟)の描いた扇面

都の「南蛮寺」 元秀(狩野永徳の弟)の描いた扇面


 右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれている。


都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年

都の南蛮寺の鐘 1577年



 長崎の原爆は1945年8月9日に浦上天主堂「無原罪の聖母」教会の近くで炸裂、無原罪の御宿りの祝日(12月8日)に始まった戦争は、8月15日に奇跡的な終戦を迎えた。

 永井博士はこう弔辞で言う。「浦上を愛し給うが故に浦上に苦しみを与え給い、永遠の生命に入らしめんが為に此世に於て短きを与え給い、しかも絶えず御恵みの雨をこの教会の上にそそぎ給う天主に心からの感謝を献ぐるものでごさいます。」


ダウンロードは、次をクリックして下さい。
Télécharger Nouvelles de Chrétienté n° 110

============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============
【関連記事】



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。