Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【死者の月】死と救われる人々の数についての黙想

2007年11月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖書には、旧約に前兆として起こったことは私たちへの戒めとして書かれている(コリント前10:11)とあります。

 教父たちによると、次の史実は私たちの救霊の難しさの前兆だとのことです。すなわち、エジプトを脱出したときイスラエルの人々の数は二百万でした。しかし、約束の地に辿り着いたのはたったの二名でした。天主様から選ばれて、天主様によって導かれた民が!

 聖ペトロも、やはりノエの大洪水のことを救霊の類比に使っています。全世界の大洪水から救われたのは、方舟にはいることが出来たノエを含めてたった八名だった、と。

 コルネリウス・ア・ラピデ(Cornelius a Lapide)は教父たちの書き物に従って、こう言っています。
「しばしば、千人のうち、いや一万人のうちただ一人が救われるか救われないかだ。」

 聖アンブロジオはもっと厳しいことを言います。救われるものは「無ではない non utique nollus」と。

 次のことは、聖ヴィンチェンチオ・フェレルが私たちに教えたことですが、フランスのリオンの助祭長(Archdeacon)は、隠遁者として砂漠に身を退けて祈りと償いの生活をしたそうです。かれは聖ベルナルドと同時に亡くなったのですが、死後、自分の司教に現れてこう言ったそうです。
「司教様、私が息を引き取ったその時、三万三千人が亡くなりました。このうち、聖ベルナルドと私とが天国に直接行きました。そのうち三名が煉獄に行きました。その他はみな地獄に堕ちました。

 愛する兄弟姉妹の皆様、これはカトリック教会の信仰の全盛期にそうでした。

 主よ、我らを憐れみ給え!
 聖母の汚れ無き御心よ。我らのために祈り給え!

============
ブログランキング <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============

【関連記事】

私たちはカトリックのローマに、聖伝の保護者である永遠のローマによりすがる

2007年11月21日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、
 今から33年前、ローマにてルフェーブル大司教様は、次のように宣言しました
 天主様の御恵みによって、使徒から伝えられたその聖なる信仰を、カトリック教会が二千年間そのまま信じ・教え・実践してきたその信仰を私たちも信じ・教え・実践し続けることが出来ますように!
 私たちもこの言葉を今日、繰り返したいと思います。

私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる

 私たちは、しかしながら、第二バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。実に、これら全ての改革はカトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている。

 たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、いかなる権威といえども、十九世紀もの長きにわたって教会の教導職によって明らかに表明され、宣言された私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように強制することは出来ない。

 聖パウロはこう言っている。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、また聖座の諸聖省の文書において、一つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、その時私たちは、常に教えられていたことを選び、私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。

 Lex credendi(信仰の法)を変更することなく les orandi(祈りの法)を深く変更させることは出来ない。新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、新しい神学校、新しい大学、カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。

 この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、その全てに毒が含まれている。これは異端から生み出され異端へと辿り着く。良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、なにがしらであれそれに従うことは出来ない。

 私たちの霊魂の救いのために、教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、改革を受け入れることを断固として拒否することである。

 それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。私たちは聖なるカトリック教会のために、教皇様のために、そして未来の世代のために、これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。

 それ故、聖伝の真理の光が永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを全て固く保持する。

 天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ十世の御助けによって、こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)となることができると確信している。アーメン。

童貞聖マリアの奉献の祝日
ローマにて、1974年11月21日

+マルセル・ルフェーブル



* * * * *


 人々がもはや健全な教えを忍ばず、私欲のままに、耳に快いことを聞かせる教師を集め、真理から耳を背け、作り話に耳を傾けるときが来るであろう。(ティモテオへの第二の手紙4:3)

 たとえ聖伝に忠実なカトリック信者が数えるほどの少数になったとしても、彼らこそがキリストの本当の教会のものである。(聖アタナシウス)

 もし誰かが、成文のものであれ不成文のものであれ、教会の聖伝を全て捨て去るものは、排斥される。(ニケア第二公会議:8世紀)

 私たちの信仰が昔の信仰と同一ものでように確実に保て。このことを否定するものは教会の一致を崩壊させるものである。(聖トマス・アクイナス)

============
ブログランキング <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============

【関連記事】

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】