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3.観想的な哲学の学生(続き その2)

2006年02月23日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

3.観想的な哲学の学生(続き その2)



 聖トマス・アクィナス講話会


 神学校の内部で、天使的博士聖トマス・アクィナスの名誉のために「聖トマス・アクィナス講話会」という慎ましい催しが、哲学と神学を学ぶ神学生達のために、彼らが毎日のニュースになる問題を聖トマス・アクィナスと教皇様たちの教えの光に照らして考察する味をしめさせるために開かれていた。


 12月2日、カンブレの大司教ショレ大司教(Mgr Chollet)の列席の元で、ジョルジ・ミシェル(Georges Michel)は人権宣言の吟味を発表した。この講話は後述するように有名になった。神学部の神学生であったジョルジ・ミシェルの発表の終わりにショレ大司教はこう付け加えた。


「天主のみが純粋な権利であり、・・・私たちは元来、天主に借りがある。私たちに権利があるのは、その借りを満足させるためである。」


 これは権利の客観的本性をうまく言い表している。また共通善という概念は、フランス革命のリベラルな個人主義によって無視されるようになったが、これは共通善が古人の善よりも首位に立つことを断言した言い方だ。


 続いてピエール・ド・ラ・シャノニー(Pierre de La Chanonie)が思想及び良心と礼拝の自由を論駁した。ロベール・プレボ(Robert Prevost)は学生たちの間では「民主主義者」と渾名されていたが、政教分離の起源について短く発表した。ここでなされた講話の中には内部用の小冊子として印刷されたものもあった。中にはルル神父(l'abbe Roul)のように『カトリック教会と一般権利 L'Eglise catholique et le droit commun』という本として1931年に出版された。


(つづく)

 


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