tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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御所柿を食ひし事

2014年11月14日 | 奈良にこだわる
一般社団法人奈良のうまいもの会が運営する「奈良のうまいものプラザ」のサイトに、奈良の農林業や食べ物に関する文章を書いている。これまで、奈良茶飯県産畜産物造林王・土倉庄三郎の話から、同プラザのレストランで提供されている三輪そうめんカレーライス(ヤマトポーク使用)の話などを書いてきた。

担当嬢の話では、11月のテーマは「柿」だという。同プラザが販売している柿の写真を撮り、試食して感想を書く、という趣向だ。おそらく富有柿(ふゆうがき)や平核無(ひらたねなし)が出てくるのだろうが、1つ、心残りがあった。かつて正岡子規が食べて絶賛し「柿食へば…」の俳句にも詠んだ「御所柿(ごしょがき)」をまだ食べていないのだ。御所柿は、甘柿の代表的な品種である富有柿のルーツであり、果実は「天然の羊羹」と評されるほど甘いという。

子規は「くだもの」という随筆に「御所柿を食ひし事」という1章を設け、この柿のことを書いている。東大寺近くの「宿屋の下女にまだ御所柿は食えまいかというと、もうありますという。余は国を出てから十年ほどの間御所柿を食った事がないので非常に恋しかったから、早速沢山持て来いと命じた。(中略) 柿も旨い、場所もいい。余はうっとりとしているとボーンという釣鐘の音が一つ聞こえた…」。東大寺の鐘の音を聞いて「柿食へば…」の句の着想を得た、という話である。

御所柿については、有名な落首(世相を風刺した歌)がある。二条城の堀端の松に貼ってあったそうで、司馬遼太郎の小説『城塞』にも登場する。「御所柿は独り熟して落ちにけり 木の下に居て拾う秀頼」。高齢の家康が死ねば、天下(御所柿)は自然と豊臣秀頼のものになる、という意味だ。この柿に触れなければ、奈良で柿の話は書けない。

御所柿は名前の通り、奈良県御所市で産まれた。江戸時代には盛んに栽培され、極上の柿として、幕府や宮中にも献上されたという。江戸時代末期、美濃国大野郡居倉村(現在の岐阜県瑞穂市居倉)に植えられた御所柿が、別の木に接ぎ木して育成されたのが富有柿だ。富有柿は明治31年、岐阜県主催の品評会に出品して1等に入選したことで、広く世に知られることとなった。

御所柿について、奈良県農林部の中部農林振興事務所は「『御所柿』復活で産地振興」(平成24年度普及活動成果)というレポートを発表している。

「御所柿」は、奈良県御所市が発祥の地とされる完全甘柿の原種である。富有柿より糖度が高く食味はよいが、着果が不安定で収穫量も少ないため、徐々に経済栽培されなくなっていった。しかし、平成18年から地元の柿生産者が中心となり、その栽培を復活させ、産地の特産品にする取組を始めた。接ぎ木による生産規模の拡大と着果安定技術の検討を進めてきた結果、平成21年から市場出荷を開始し、平成24年には約700kg出荷できるようになった。

御所柿は、10月8日のNHKニュースでも紹介された。サイト「JCC TVすべて」によると

奈良・「御所柿」復活へ取り組み開始 (NHK総合・大阪「ニューステラス関西」)2014/10/08
「御所柿」は奈良・御所市などで栽培された高級品種だったが、他の品種と比べて収穫量が少ないことから、今はほとんど栽培されていない。しかし県内には古いものでは樹齢が200年を超える御所柿の古木が、少なくとも50か所ほど残っているということで、奈良県の果樹薬草研究センターでは、これらを調査し今も実をつけるのかどうかなど詳しいデータを集めている。そして得られたデータをもとに、収穫を安定するのに適した栽培方法を研究し、生産を復活させたいとしている。奈良県果樹薬草研究センター・林良考主任研究員は「安定して生産できるというのが最終的な目標」とコメント。


奈良新聞も、御所柿について何度も報じている(「“幻の甘さ”復活へ」など)。私は御所柿の現物は、目にしたことがある。一昨年(2012年)、会社の先輩で御所市にお住まいの藤井謙昌(よしまさ)さんご夫妻に、「御所まち 霜月祭(そうげつさい)」にお招きいただき、ご案内いただいた。そのとき書画や生け花を展示していたお屋敷に、御所柿も展示されていた。小ぶりで、ヘタが立っているのが特徴だ。「霜月祭に行けば、御所柿が入手できるかも知れない」と、今年のお祭りの日(11/9)に御所を訪ねた。


高松邸に展示してあった御所柿(11/9撮影)

御所まちに入るまでは山麓線を走り、JAなどの直売所を訪ねたが「まだ入荷していません」「今年、入荷するかどうか分かりません」というつれない返事だった。収穫の早い渋柿系と違い、御所柿は出荷が遅いのだ。やはり、霜月祭の会場を訪ねなければ始まらない。

「確かこの辺り…」と見当をつけて、本町通りの高松邸を訪ねた。すると、玄関先に御所柿の展示が! 和服姿の奥様に「この御所柿、1個で結構ですので分けていただけませんか?」と聞いてみた。すると「その柿を作られたのは、こちらの方ですよ」と、書画を鑑賞されていた男性を紹介してくださった。男性はご親切にも「御所柿は私の家の庭にたくさん成っています。来られますか?」とお誘いいただいたので、二つ返事でお邪魔することにした。

その男性は米田弘(こめだ・ひろむ)さんで、お住まいは青翔高校の近くだ。「まもなく後期高齢者です」とおっしゃるが、日焼けしてとてもお元気そうだ。足取りも軽い。「東海道五十三次を歩きました」とも。約500kmもの距離を歩かれたのだ。


米田邸の御所柿(トップ写真も)。鈴なりに実が成っている

米田邸では広いお庭の一角を仕切り、そこが畑になっている。おお、これはすごい! たくさんの御所柿が実をつけている。「例年200個ほど成ります。今年は落果も少ないので300個ほど成るでしょう」。確かNHKニュースでは「今年は不作」と言っていたが、ちゃんと手間暇かけて育てれば、たくさんの実が成るのだ。


この日(11/9)は、あいにくの小雨だった

米田さんは御所柿に関する資料をたくさんお持ちで、その一部を見せていただいた。天平倶楽部(奈良市今小路町45-1)の「子規の庭」の資料もあった。子規の庭にある御所柿の木は、米田さん宅の御所柿と同じ親木から接ぎ木したものだそうだ(御所柿の種を植えても御所柿はできず、渋柿になるという)。



「では、御所柿を獲りましょう」。剪定鋏を持った米田さんと一緒に、柿畑に入らせていただいた。木には防鳥ネットが張ってある。柿の葉が紅葉し始めていて、まもなく収穫期を迎えるとのこと。パチンパチンと5個ほどの御所柿を獲ったあと、「これはもう熟しているので、あとで食べましょう」と、食べ頃の熟柿(じゅくし)を1個、獲ってくださった。

向かって左の2個が御所柿。右はスーパーで買った富有柿(128円)。見た目は富有柿に軍配(11/11)

フルーツナイフで皮をむいたばかりの御所柿をいただいた。片側のさほど熟していないところは、富有柿のようなシャリッとした食感だ。確かに甘いが、富有柿より少し甘いという程度か。次にもう片側のよく熟した部分をひと口。おおっ、これは甘い! 脳天を突き抜ける甘さ、と言っても言いすぎではない。しかも上品な甘さだ。和三盆の甘さというか、羊羹の甘さというか…。甘い食べ物の貴重な江戸時代に、この甘さは衝撃を持って迎えられたに違いない。「あとの柿はしばらく置いておくと、食べ頃になります」とのこと。これは楽しみである。


御所柿の断面。よく熟した左半分は、羊羹のように甘い(11/11撮影)

米田さん、詳しくご説明いただき、また御所柿などをたくさん頂戴し、有難うございました。地元特産の美味しい御所柿、もっと多くの方に知っていただきたいですね。旅のお話も、とても興味深く拝聴いたしました。またひょっこりお邪魔するかも知れません。今後とも、よろしくお願いいたします。

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2 コメント

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御所柿 (国見山)
2014-11-14 09:56:29
先週の日曜日に御所柿を求めて霜月祭に来られことを知り、無事御所柿をゲットされたのか気になっていたところでした。「鶴瓶の家族にカンパイ」のような出会いがあったのですね。安心しました。
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御所に感激! (tetsuda)
2014-11-14 17:54:55
国見山先輩、コメント有難うございました。それもこれも一昨年、国見山ご夫妻にご案内いただいた「霜月祭」の賜物です。

> 無事御所柿をゲットされたのか気になっていたところでした。「鶴瓶
> の家族にカンパイ」のような出会いがあったのですね。安心しました。

お連れいただいた高松邸の奥さんの機転で米田さんを紹介していただき、あとはトントン拍子でした。偶然そこにご本人が居合わせた、という幸運でした。米田さんは、「人生の楽園」に紹介したいほどのスゴい方でした。

誠に僭越ながら、10/27(月)に、御所の多業種交流会で「再発見!御所の魅力」という講話をさせていただきましたが(神武天皇社や榎本住さんの話も含め)、ますます御所が好きになりました。また、時々お邪魔いたします!
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