tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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平寿夫氏の写真展

2006年02月06日 | 日々是雑感
「枯れた木さえない、草っ葉一つない、一とかけらの土もない、一滴の清水もない。アデンは、死火山の噴火口で、底には海の砂が一杯詰まっている。見るもの、触れるもの、ただわずかばかりの植物を辛(かろ)うじて生やして置く熔岩と砂ばかりだ」
(ランボーの手紙 1886.9.28. 小林秀雄「ランボオⅢ」より引用)

アデンは、中東・アラビア半島の南端「イエメン共和国」にある町だ。聖書の「エデン」はアデンだとされるほど、古い町である。詩人アルチュール・ランボーは20歳で詩作を捨て、この町で貿易商人となった。

「その瞳の先に有るもの-イエメンの肖像」(平寿夫 写真展)は、このアデン・イエメンを舞台とした写真展だ。
※写真は、梅田キヤノンギャラリー入口(1/16)

写真家・平寿夫(たいら・ひさお 45歳)氏とは、3年ほど前に仕事をお願いして以来の付き合いである。特に肖像写真の腕が素晴らしい。先日この写真展のご案内をいただき、拝見してきた。

タイトルどおり、被写体の目がすごい。射すくめるような目、深い悲しみや絶望感をたたえた目。一方、純朴で優しい目もある。銃を持った男も、ナイフを持った男もいる。荒涼たる岩山や鋭いトゲのある裸子植物も登場する。

平氏がこの地に魅せられた契機は、ランボーだった。アデンの何が天才詩人を引きつけたのか。その問いに対する平氏の答えが、モノクローム写真の一コマ一コマに焼きつけられている。

ランボーの手紙は続く。
「何のことはない、穴の底で、僕らは石炭の窯(かま)の中にいるように焼ける。こんな地獄へまで使われに来るとは、よくよくの宿命の犠牲者に違いない」

平氏が初めてこの地を訪れた時期はラマダン(イスラム教徒の断食月)で、食事はおろか飲み水にさえ事欠いたという。彼も「こんな地獄へまで撮りに来るとは…」と自問したに違いない。そんな事態に翻弄されながらも、彼は次第にこの地に魅了され、土地の人々の心に近づいて行った。

撮影助手をされる奥様の内助の功も、計り知れないものがあったろう。
今後も、一層のご活躍を期待したい。

※平氏の写真集「その瞳の先に有るもの-イエメンの肖像」
http://www.tohoshuppan.co.jp/s06-976-2.html
※今後の写真展スケジュール
2月 福岡http://www.canon-sales.co.jp/camera/gallery/fukuoka.html
3月 名古屋http://www.canon-sales.co.jp/camera/gallery/nagoya.html
5月 仙台http://www.canon-sales.co.jp/camera/gallery/sendai.html

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