“その昔、高校を卒業した後は大学への進学を希望してきましたが、農家だった実家には経済的余裕なんてなく、いったん就職しました。それでも夢を諦めきれず、翌年春から夜間大学に通って法律を勉強しました。病気や仕事でなかなか授業に出席できないこともありましたが、何とか四年で卒業できました。
その後は就いた仕事に専念し五十三歳で退職しました。以降、農業やアルバイトをしながらも、夜間大学で学んだ法律の知識を生かせる裁判所の調停委員になりたいという思いが強くなり、六十歳で委員になることができました。
それからは、司法委員時代も含めた七十五歳までの十五年間は、わが人生の中で最も充実できた時期だった気がしています。消費者金融で多額の借金をした男性が過払い金を請求した事案は私たちの努力で解決できました。その昔、苦労して大学に通い続けたことが報われた瞬間でした。”(1月29日付け中日新聞)
三重県東員町の水谷さん(男・81)の投稿文です。人間真価を発揮できるのはいつのことか分からない、と思っているが、その見本のような水谷さんの人生です。「七十五歳までの十五年間は、わが人生の中で最も充実できた時期だった」という言葉にそれがよく現されています。夜間大学で学んだ法律の知識を生かせる裁判所の調停委員になりたいと思い、60歳でなられる。これにも驚きです。20代で学んだことを60代で生かす。本当に人は様々です。
ボクの妻は、中学卒業後勤めに出、やはり高校に行きたくて翌年夜間高校に入ります。そして夜間大学まで行きます。ボクは昼間の大学を卒業し、就職した後、学士入学で夜間大学へ行きます。そこで妻と知り合いました。ボクはそんな努力家の妻に好意を持ちました。でもボクと結婚したことで、専業主婦になり、今に到ってしまいました。妻の努力は報われたのでしょうか。専業主婦となって時間的余裕はあり、PTA活動や公民館活動を長くしてきました。悔いはないと言っていますので、ホッとしています。ボクが老人会など地元デビューしたとき、ある人から「“○○子の夫です”と言った方が分かってもらえますよ」、と言われたことがあります。これで安心しました。