天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

風土記

2020-07-24 | Weblog
 風土記は、奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、
 天皇に献上させた報告書です。
 写本として5つが現存し、『出雲国風土記』がほぼ完本、
 『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が
 一部欠損して残っています。
 他に、他の文献に引用される形で残っているものがあり、
 これは逸文風土記と呼ばれています。

 『続日本紀』に記載されている、
 和銅6年5月甲子(ユリウス暦713年5月30日)の条に書かれている官命が、
 風土記編纂の出発点であるとされています。
 ただし、この時点では風土記という名称は用いられていません。
 律令制において、下級の官司から上級の官司宛に提出される
 正式な公文書を意味する「解」と呼ばれていた形式で求めていました。
 記すべき内容として下記の5つが挙げられています。
 1郡郷の名は、好き字をつける事。
 2郡内の産物について、その品目を記録する事。
 3土地の肥沃の状態について知らせる事。
 4山川原野の名前の由来を記す事。
 5古老の伝承する旧聞異事を記す事。

 この官命による報告が、いつ頃から風土記と呼ばれるようになったかは、
 定かではありません。
 最近読んだ瀧音能之さんの「風土記から見る日本列島の古代史」によると、
 914年(延喜14年)に文章博士だった三善清行が、
 醍醐天皇に提出した政治意見書である「意見封事十二箇条」が、
 風土記と言う名称が出て来る最初の文献との事です。
 この意見書は、当時乱れていた地方の土地問題について、意見を述べたものです。

 この意見書が書かれたには、官命が出てから約200年が経過しています。
 三善清行が名付けたとも思えませんが、誰が名付けたのか興味を感じます。
 僕はこの「風土記」、良い名前だと思っています。

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土用

2020-07-10 | Weblog
 土用と聞くと、すぐに土用の丑の日を思い浮かべます。
 因みに、今年は7月21日と8月2日との事で、2回丑の日があります。
 しかし、土用は夏にあるだけではなく、
 立春、立夏、立秋、立冬前の18日間を土用といいます。

 土用については、平安時代の陰陽師安倍晴明が著したとされている
 『簠簋内伝(ほきないでん)』に書かれているとの事です。
 『簠簋内伝』は正式の名前は、『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』で、
 安倍晴明が編集したとされていますが、
 現在では成立年代は諸説あるものの、晴明の死後に成立したものとされています。

 『簠簋内伝』は5巻からなり、その第2巻に、
 中国の開闢神である盤古(盤牛)が
 5人の妻を娶って五竜王を生んだとして記されています。
 盤古の第一の妻を伊采女といい、彼女との子供が青帝青龍王で、
 盤古は彼に一年の内、72日間を春として支配させます。
 盤古の第二の妻を陽専女といい、彼女との子供が赤帝赤龍王で、
 盤古は彼に一年の内、72日間を夏として支配させます。
 盤古の第三の妻を福采女といい、彼女との子供が白帝白龍王で、
 盤古は彼に一年の内、72日間を秋として支配させます。
 盤古の第四の妻を癸采女といい、彼女との子供が黒帝黒龍王で、
 盤古は彼に一年の内、72日間を冬として支配させます。
 盤古の第五の妻を金吉女といい、彼女との子供が黄帝黄龍王で、
 盤古は彼に一年の内、72日間を土用として支配させました。
 黄帝黄龍王が支配した土用は、
 前述のように、立春・立夏・立秋・立冬前の各18日間を指します。

 もちろん、『簠簋内伝』の作者が考え出した事ではなく、
 中国から伝わったものを成文化したのでしょう。
 陰陽五行説では、木火土金水の中央に位置する土の運気が働いて、
 春(木)、夏(火)、秋(金)、冬(水)が始まるとされています。
 従って、黄龍王は四季の運行を司る事になり、
 五龍王の中でも、主神の位置を占めます。

コメント (2)
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