天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

仙台東照宮の石灯篭

2021-02-26 | Weblog
 昨年の11月28日に、仙台市の東照宮、所謂仙台東照宮に行って来ました。
 その概要は下記をご覧下さい。
 http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/480176254.html

 社殿などが重要文化財になっている立派な神社で、
 石灯籠も重要文化財になっています。
 この石灯籠について、下記のような説明がありました。
 「重要文化財 石燈籠
  昭和55年1月26日附指定
  創建時には伊達家一族家臣により38基の石燈籠が奉献されていたが
  寛文事件(伊達騒動)後、事件に関係した重臣の石燈籠は取り除かれ、
  現在はその後奉献されたものを合わせて37基が境内に立ち並ぶ。
  承応3年(1654)の刻銘があるもの31基、延宝8年(1680)の刻銘もの2基、
  天和2年(1682)のもの4基あり、
  文化財しての社殿とともに一体としてその価値を形成するものである。
  拝殿前の二基は花崗岩、その他は当地産の石に彫刻作成して奉納されたものである。」

 伊達騒動が神社の石灯籠にまで及んでいるのかと面白いと思いました。
 どの石灯籠が取り除かれたのか、少し調べてみましたが、分かりませんでした。
 しかし、一応の推測は出来ます。
 伊達騒動は、
 歌舞伎の「伽羅先代萩」や山本周五郎の「樅ノ木は残った」などで有名ですが、
 有名なだけに、広まっている話が、必ずしも史実とは限らないような気もします。

 伊達騒動は、仙台藩3代藩主の伊達綱宗が遊興放蕩三昧であったため、
 1660年(万治3年)に、幕府により、21歳の綱宗が強制隠居させられ、
 4代藩主にわずか2歳の伊達綱村が就任したところから始まります。
 幕府が隠居させた理由は、綱宗の素行不良ばかりではないとの説もあります。
 綱村が藩主になると、大叔父にあたる仙台藩の支藩である一関藩藩主の伊達宗勝などが、
 藩の実権を掌握し権勢を振るうようになります。
 「樅ノ木は残った」の主人公、原田宗輔(通称甲斐)は宗勝派です。
 これに対し、伊達家一門の伊達宗重(涌谷伊達家)などが対立し、
 幕府の裁定を仰ぐことになります。
 寛文11年(1671年)3月27日に、
 大老酒井忠清邸での審問の際、控え室で原田が宗重を斬殺し、自らも斬殺されたのが、
 伊達騒動の寛文事件です。
 事後処理では、藩主綱村は幼少のためお構い無しとされ、
 大老宅で刃傷沙汰を起こした原田家は元より、
 裁定の宗勝派などが処罰され、宗勝の一関藩は改易となりました。
 原田甲斐の4人の息子はすべて20代でしたが切腹となり、
 男の孫2人は4歳と1歳でしたが斬首になっています。

 伊達騒動は登場人物が多いため、人名は絞って書きましたが、
 石灯籠を取り除かれた家としては、
 改易された、伊達兵部少輔宗勝、斬殺された原田甲斐宗輔、
 宗勝派の中心人物の一人で、事件後逼塞処分を受けた津田玄蕃景康辺りは
 当然のような気がします。
 仙台藩を二分するようなお家騒動でしたから、
 他の関係者もいたのでしょう。


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東照宮の数

2021-02-13 | Weblog
 東照宮は、東照大権現たる徳川家康を祀る神社です。
 東照宮と言うと真っ先に思い浮かぶのが栃木県日光市にある日光東照宮です。
 東照宮の謂れについては以前書きましたので、宜しければご覧下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/26771763c3194323d97b1d72dba13607

 1616年6月1日(元和2年4月17日)に、
 徳川家康は駿府(現在の静岡市)で死去しました。
 遺命によって遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ、
 同年中に久能山東照宮が完成しましたが、翌年の1617年(元和3年)に
 下野国日光に改葬されることとなっていました。
 日光では同年4月に藤堂高虎が作事奉行となって社殿を完成させました。
 朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、
 5月12日(4月8日)に奥院廟塔に改葬され、
 家康死去の一周忌にあたる5月21日、(4月17日)に遷座祭が行われました。
 1634年(寛永11年)に、3代将軍徳川家光が日光社参し、
 1636年(寛永13年)の21年神忌に向けて寛永の大造替が始められました。
 これが現在の日光東照宮です。

 日光東照宮が、日本全国の東照宮の総本社的存在です。
 全国の東照宮は幾つあるのか調べてみました。
 東照宮は、各地の徳川・松平一門大名家が勧請して造営した他、
 徳川家光による諸大名への造営の進言もあって
 譜代大名や徳川家と縁戚関係がある外様大名家も競って建立しました。
 各藩にとっては、進言と言っても半ば強制のように感じたでしょうし、
 造営しない事で睨まれるのは避けたかったでしょう。
 江戸時代の藩の数は、概ね300藩あったとされていますが、
 それだけでもかなりの数になります。
 この他に、東照宮の中には、家康が立ち寄った場所に造営された東照宮もあります。
 鷹狩が好きだった家康は各地を訪れていますので、これもある程度の数になります。
 例えば、東京都府中市の大國魂神社にも東照宮がありますが、
 家康が大國魂神社の西、今の府中本町駅付近に御殿を建て、
 鷹狩りを行っていた事などから神社と縁が深く、
 歿後、駿河国久能山から下野国日光に霊輿を遷された時、
 その途次この国府の斎場に一夜逗留した事から造営されたものです。

 全国で500社を超える東照宮が造られたとの事であり、
 廃絶されたものを含めると約700社が確認されているとの事です。
 そんなに大袈裟な数ではないような気がします。

 日光東照宮の中に、東照宮連合会と言う組織があります。
 東照宮350年式年大祭にあたる1965年(昭和40年)に、
 全国の家康を奉斎する神社28社を以って結成されましたが、
 現在は、47社が加盟しています。
 この一覧を見ると、北は北海道函館市の北海道東照宮から、
 西は長崎県長崎市の諏訪神社まであります。
 多くの神社が東照宮の名称を入れていますが、
 この諏訪神社や、あるいは山形県の出羽三山神社などのように、
 東照宮の名称が入っていないものもあります。
 それぞれ調べてみると、境内には東照宮の社があります。
 こうした全国の東照宮を巡ってみるのも良いかなぁと思っています。

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桜田門外の変のその後

2021-02-01 | Weblog
 桜田門外の変は、安政7年3月3日(1860年3月24日)に、
 江戸城桜田門外で水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が
 彦根藩の行列を襲撃、大老井伊直弼を暗殺した事件です。

 午前8時、登城を告げる太皷が江戸城中から響き、
 それを合図に諸侯が行列をなし桜田門をくぐって行きました。
 午前9時頃、彦根藩邸上屋敷の門が開き、直弼の行列は門を出ました。
 彦根藩邸から桜田門まで距離は、3・4町(400m程度)です。
 彦根藩の供廻りは、
 徒士以下26名、足軽、草履取り、駕籠かき、馬夫など総勢約60人ほどでした。
 雪で視界は悪く、彦根藩護衛の供侍たちは雨合羽を羽織り、
 刀の柄、鞘ともに袋をかけていたので、とっさの迎撃に対応できませんでした。
 また江戸幕府が開かれて以来、江戸市中で大名駕籠を襲った前例もありませんでした。

 直弼の首級を挙げた有村次左衛門は、井伊の首級を持ち去ろうとしましたが、
 供回りだった彦根藩士小河原秀之丞に後頭部を斬り付けられて重傷を負い、
 若年寄遠藤胤統の辻番所付近で力尽きて自害を図り、
 直弼の首は遠藤家から井伊家に渡されます。
 井伊家では「主君は負傷し自宅療養中」と事実を秘した届を幕閣へ提出、
 直弼の首は彦根藩邸で藩医岡島玄建により胴体と縫い合わされました。
 当時の公式記録では、
 「井伊直弼は急病を発し暫く闘病、急遽相続願いを提出、
  受理されたのちに病死した」となっています。
 事件が起きた時には、後継ぎが決まっていなかったため、
 譜代筆頭井伊家の御家断絶などを防ぐため、幕府首脳の破格の配慮がなされ、
 直弼の子・愛麿(井伊直憲)による跡目相続が認められ、井伊家は取り潰しを免れました。
 井伊家の菩提寺・豪徳寺にある墓碑に、
 命日が「三月二十八日」と刻まれているのはこのためです。

 彦根藩の死者は、即死が4名、藩邸に帰った後死亡したのが4名でした。
 直弼の墓の背後には、主君を守るために闘死した8人のための、
 「桜田殉難八士之碑」が建てられています。
 これら8名の家には跡目相続が認められています。
 事変から2年後の1862年(文久2年)に、
 直弼の護衛に失敗し家名を辱めたとして、生存者に対する処分が下されました。
 草刈鍬五郎など重傷者8名は減知の上、
 藩領だった下野国佐野(栃木県佐野市)へ流され揚屋に幽閉されました。
 軽傷者5名は全員切腹が命じられ、
 無疵の士卒5名は全員が斬首・家名断絶となりました。
 何となく割り切れない思いがするのは、現代人の感覚なのでしょうか。

コメント (2)
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