天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

ローマの友達

2020-02-16 | Weblog
 先日、小長谷正明さんの『ローマ教皇検死録』を読みました。
 その中に「ローマの友達」との表現が出て来ました。
 ローマの友達はマラリアの事です。
 マラリアはいまだに制圧できていない
 世界3大感染症(HIV感染症・結核・マラリア)の一つであり、
 年間2億人以上の罹患者と40万人以上の死亡者があるとされています。
 マラリアは熱帯・亜熱帯の感染症と考えがちですが、
 かつては欧州や米国、日本にも土着のマラリアが存在しました。
 マラリア(mal-aria)は「悪い空気・空間(ariaはオペラなどのアリアと同義)」で、
 ラテン語圏の病名です、
 色々な別名を持っていますが、「ローマ熱」とも呼ばれ、
 古代のローマにも土着していました。
 現在のバチカン宮殿あたりは低い沼地だったようで、
 ハマダラ蚊が生息して多くのローマ人やキリスト者の命を奪いました。
 しかし、ローマ人の命を奪うだけではなく、ローマを他民族からの侵略も防いで来ました。

 古代ローマが崩壊した後、イタリアは今日に至るまで、大国になりませんでした。
 410年、ゲルマン民族の1つ、西ゴート族がローマを攻略しました。
 西ゴート族の最初の王だったアラリック1世は、3度ローマを包囲し侵略しますが、
 嵐によって艦隊が破壊されたことで、北に戻る帰途、
 マラリアらしい熱病を発病して病没します。

 962年、それまで何度かローマに侵攻していたオットー大帝が、
 ローマ皇帝となり、神聖ローマ帝国が成立します。
 オットー大帝は、ローマに政治権力を打ち立てようとしますが、それが叶わず、
 彼の後を継いだオットー2世は28歳の若さで、さらにその子のオットー3世は21歳で、
 それぞれマラリアに罹って死去します。

 1077年にカノッサの屈辱と言われる、
 教皇グレゴリウス7世と皇帝ハインリッヒ4世の対立がありました。
 1081年ハインリッヒ4世がローマに侵攻し、グレゴリウス7世を追い出しますが、
 ローマを落とすことはできませんでした。
 やはり、マラリアの影響で、
 春までは良いのですが、夏になるとやはりローマから撤退せざるを得なくなりました。

 1527年5月、神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の軍勢がイタリアに侵攻し、
 ローマ劫掠と呼ばれる事件が起こります。
 ドイツ、スペインの傭兵部隊が5月に侵攻しますが、夏は勢いをなくし、
 11月には傭兵の数が激減し、最終的にローマから撤退します。
 このようにマラリアがローマを守って来たとも考えられます。

 マラリアをローマの友達と呼んだのは、
 フランク王国のカール大帝の相談役を務めた神学者のアルクィンとの事です。
 アルクィンは師のエゼルバートと共に、写本を探すためにローマを訪れていますが、
 ローマでマラリアに罹患します。
 ドイツに戻ってきて、時々マラリアの発作が起こります。
 その時に、自分に執拗に再発をくり返す熱病へ皮肉を込めて、
 「またローマの友達が来た」と言っていたとの事です。

コメント
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