天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

源頼家の誕生

2023-11-17 | Weblog
 源頼家は、寿永元年8月12日(1182年9月11日)、
 源頼朝の嫡男として生まれます。
 『吾妻鏡』には、頼家誕生からその後までの様々な記述があるので、
 当時の風習が面白い事もあり、書いてみました。

 養和2年(1182年)2月14日に頼朝の妻の政子懐妊の噂があるとの記述があります。
 3月9日、政子の御着帯があり、頼朝が結んでいます。
 3月15日、頼朝は安産祈祷のため鶴岡八幡宮若宮大路の整備を行い、
 有力御家人たちが土や石を運んで段葛を作り、頼朝が自ら監督を行っています。
 これが現在も残り今も段葛と呼ばれる参道です。
 7月12日、政子は出産のため、比企能員の屋敷へ移ります。
 千葉小太郎胤正・同六郎胤頼・梶原源太景李等が御供します。
 梶原平三景時は御産の間の雑事を取り計らうようご命令を受けます。
 8月11日、晩になって、政子が産気づきます。
 このため、頼朝も比企邸に赴き、諸人も集まります。
 御祈祷の為、奉幣の御使いを伊豆・箱根両所権現並びに近国の宮社に立てます。
 伊豆山 (走湯権現) 土肥彌太郎遠平
 箱根 (箱根権現) 佐野太郎基綱
 相模一宮 (寒川町の寒川神社) 梶原平次景高
 三浦十二天 (横須賀市の十二所神社) 佐原十郎(三浦義連)
 武蔵六所宮 (府中市の大國魂神社) 葛西三郎清重
 常陸鹿嶋 (鹿島神宮) 小栗十郎重成
 上総一宮 (玉前神社) 小権介良常
 下総香取社 (香取神宮) 千葉小太郎胤正
 安房東條寺 (鴨川市天津の神明神社か) 三浦平六義村
 同国洲崎社 (洲崎神社) 安西三郎景益

 「8月12日、酉の刻(午後6時頃)、御台所男子御平産なり。」との記述があります。
 御験者は専光房阿闍梨良暹・大法師観修、
 鳴弦役は師岡兵衛尉重経・大庭平太景義・多々良権守貞義でした。
 上総権介廣常は引目役。
 戌の刻(午後8時頃)、比企尼の娘で河越太郎重頼の妻が召されて参入し、
 初めて乳を飲ませました。

 8月13日、若公誕生のため、代々の佳例に従い、御家人等に命じて、
 御護刀を召されました。
 宇都宮左衛門尉朝綱、畠山次郎重忠、土屋兵衛尉義清、和田太郎義盛、
 梶原平三景時、同源太景季、横山太郎時兼等これを献上しました。
 また御家人等が献じた御馬は二百余疋に及び、
 これらの馬を鶴岡宮、相模国一宮、大庭神館、三浦十二天、栗浜大明神以下の
 諸社に奉りました。
 父母の健在な若い武士を選んでお使いとしました。

 8月14日、若君三夜の儀があり、小山四郎朝政これを取り仕切ります。
 8月15日、鶴岡宮の六齋の講演が始められた。
 8月16日、若君五夜の儀があり、上総介廣常が取り仕切ります。
 8月18日、七夜の儀があり、千葉介常胤これをと知り切ります。
 常胤は子息6人を伴い侍所の上に着し、父子で白の水干袴を着、
 秩父大夫重弘の娘で胤正の母を頼家の陪膳としました。
 また進物のあり、嫡男胤正・次男師常が御鎧を担ぎ、
 三男胤盛・四男胤信が鞍つきの御馬を引き、
 五男胤道が御弓矢箭を持ち、六男胤頼が御剣を持ち、それぞれ庭に居並びます。
 兄弟は皆容貌すぐれた勇壮な武者であり、
 頼朝は特に感心し、人々も壮観であると感じました。
 8月19日、若君九夜の御儀がり、外祖(北条時政)が取り仕切りました。

 この他にも記述があるのかも知れませんが気が付きませんでした。
 なお『吾妻鏡』は、寿永元年(1185年)の次は元歴元年正月になっていて、
 寿永2年の1年分の記述が抜け落ちています。
 あるいは、ここに何かの記事があったのかも知れません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする