天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

年賀の品

2019-01-03 | Weblog
 明けましておめでとうございます。
 今年も、面白そうな話を書き留めておきたいと思いますので、
 宜しくお願いいたします。

 正月に年始の挨拶に伺う時に、年賀の品を持参される方も多いかと思います。
 正月に限らず、折々の季節に贈り物をするのが、日本の昔からの風習です。
 2015年(平成27年)9月19日から12月23日までの間、
 東京都文京区の永青文庫で開催された「春画展」では、
 江戸時代、大名の間の年賀の品として豆判春画が使われていたとの説明があり、
 その現物が展示されていました。

 江戸時代、各大名などは正月三が日に江戸城に登城し、将軍に拝謁する儀式がありました。
 この登城は、位階、格式によって拝謁する日が違っていて、
 元日には、御三家・御三卿・譜代大名・加賀前田家・表高家などが登城し、
 御座の間に着座した将軍へ年頭の賀辞を述べました。
 二日は御三家・御三卿の子息・外様大名・従五位の幕臣・神官・御目見以上などが
 年始の御礼に登城し、
 三日は無位無冠の大名・寄合・非役の御目見などでした。
 こうした行事の際、待つ間にでも、年賀の品を渡したのでしょうか?
 豆判春画は、一般には12枚揃えで9×12cmほどの手のひらサイズのものですから、
 がさばらないので、城中で渡すのには、都合が良かったのかも知れません。

 その年の大の月と小の月を文字・記号・絵などで表した
 私的な正月用の配り物を大小と呼んでいましたが、
 そこに春画を付けたのだと思います。
 昭和の時代には、年賀の品でヌードカレンダーなどがありましたが、
 それと同じ感覚なのかも知れません。

 こうした大小がいつ頃から制作されたのかは分からないようです。
 古い大小の遺品は18世紀の初めのものが現存するとの事ですが、
 しかし、天明期(1781~89年)のものを中心に、かなりの数が制作されたとの事です。
 当時の大名や裕福な町人が、
 新年の暦を記した豆判春画を交換して楽しんでいた事に目をつけた浮世絵の版元が
 販売を始めました。
 小さな冊子ですから価格も安く、庶民にも人気が出たようです。
 しかし、庶民が年賀の品として使ったかどうかは分かりませんでした。

コメント
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