たた&にせ猫さんの備忘録

―演劇、映画、展覧会、本などなど、思うままに―

『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』池澤夏樹 集英社

2020年04月25日 | 日記
     『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』池澤夏樹 集英社

  2月に腰の手術をして、術後4か月はコルセット装着、腰を曲げてはいけない動作制限。エアロバイクも駄目で、推奨されるのは散歩だけという生活、更にコロナ。早朝散歩以外は蟄居で一日が長い。ついに長年積んだままの本に手を付けることに。この本の奥付を見ると2004年4月30日刊行の第一版。ずいぶん長い間、本箱に眠っていた。

  著者が大英博物館で気に入った収蔵物を選び、それが作られた土地を訪ねるという紀行文。
  作家の文化と文明論。紀元前何千年前から文明が起こり、滅び、博物館や遺跡として残ったものはわずかだとしても、そこには人のくらしがかつてあった。人の思い、ヒトの本質とは、自然と文明と都市とは、に出会い、思索する旅。

  紀行文だが、写真は少なく、本を読んだだけでは、紹介されている作品や建造物はイメージしにくい。さらに、作家が目指された専門家の手前、観光客の先というあたりの立ち位置からか、専門用語も結構出てくる。多分調べるのが億劫になり、最初だけ読んで、放置になったと思われる。

  今回はネット探索が大活躍。地図検索で、デロス島を探し、ナイル川の上流をたどり、さらに、カナダの島々、イギリス、イラクやトルコ、オーストラリアの町の位置をあれこれ確かめる。そして、本に取り上げられている遺跡や歴史的建造物の写真を探す。

  どれを検索しても、たいてい美しい写真が出てくるし、用語解説も豊富。例えば「乳海攪乱」という神話の一場面も、本書だけではよくわからなかったが、Google検索するといろんな絵や写真と共に出てくる。

  作家の訪問地、東南アジアや中東等、この本に出ている土地は今後もあまりたどり着けそうにないところが多いが、それだけに、ネット検索しながら読んでいると、地図や世界歴史、古代の王様や伝説、神話―いろんな登場人物にも出会え、検索から検索へと、本よりネットを読んでいる時間が長くなる。なかなか本が読み終わらない。

  世界各地の情報や写真を居ながらに見ることができ、図書館に行って専門書を探す必要もないし、さらに、遠いかの地を旅しないでも情報を得ることができる。汗水たらす必要が無く、ある意味リアリティが遠のくけれど、楽しめる。

  作者は「文字を覚えて人間は実物より概念を扱うことを好むようになった。自然はそれだけ遠くなり、ヒトという生物はそれだけ自閉的に暮らすようになった。世界観がバーチュアルなったと言っていい。」と書いているが、2004年当時よりスマホが普及し、さらに今は、コロナ禍で仕事もテレワーク学校も動画配信。
  情報は近くて、世界は狭いけれど、コロナから身を守るためには、境を閉ざし、人との距離をとらなければいけない。

  文明は土地や自然に育まれ、自然災害や疫災、戦争で変わっていく。変化を牽引する背景にある技術。今の世界の在り様を、作家はどのように捉えておられるのだろうか。改めて聞いてみたい気がする。  

  さて、作者が廻られた13都市。手術前は歩行に痛みが伴い、美術館には歩けるうちにと思って行っていたが、旅行は程遠くなっていた。コロナ禍が終わり、術後の行動制限が取れたら、若い頃に駆け足で巡っただけの大英博物館やオーストラリアにも出かけてみたい気も。やはり、実物の圧力、その地の空気は素晴らしいと思う。
   
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『SONGS ラブソング特集 大泉&戸次のリクエストショー/青春の影』NHK 2020.3.14

2020年04月03日 | 日記
  『SONGS ラブソング特集 大泉&戸次のリクエストショー/青春の影』NHK 2020.3.14

  腰痛術後で外出がままならないというのもあるが、更にコロナで、演劇も美術館もお休み。
  このブログはお出かけの備忘録を専らにしていたので、書くことがない。というので、テレビや本の感想などを書いてみようかと。

  今回のSONGSはリクエストショーということで、『ルビーの指輪』などがかかったが、最後に2009年放送の『青春の影』が流れた。
  財津和夫さんが歌われ、優しい良い声だった。この曲の2番までが放送され、3番は放送されなかった。本当に、久しぶりにチューリップのCDを出して聞いてみる。
 
  歌詞をそのまま掲載するのはいけないだろうけれど、
  歌われなかった最後のフレーズは

  <君の家に続くあの道を今足元に確かめて、今日から君はただの女 今日から僕はただの男>

  歌詞の冒頭<君の心へ続く長い一本道はいつも僕を勇気づけた。険しく細い道だったけれど、君を迎えに行こう>で始まり、<今までは大きな夢を追うことが仕事だったが、君を幸せにすることこそがこれからの僕の生きるしるし>
  <君は、恋の喜びは愛の厳しさへの懸け橋に過ぎないと見つけて行って、風に涙を預け、そして、君は女になっていった>と彼女のことが歌われ、そして最後のフレーズに続く(正確な歌詞は検索してください)。

  SONGSを一緒に聞いていたにせ猫さん、「女になったとか、ただの男とか。今は言わないよね」と。
  それこそ、チューリップの『虹とスニーカーの頃』なんて、<わがままは男の罪 それを許さないのは女の罪>で始まる。男とか、女とか、今はジェンダー論としては問題発言になるのかな。

  でもここで歌われているのは、青春の影。
  青春の終わり。青春というモラトリアムが終わり、大人の男、女になって行く。恋から愛へ、人の持続的な深いつながりの模索。愛を志にする生き方。

  学生の頃、大学紛争の余波が残っていて、ロックアウトで授業がなくなったり、試験もレポート。およそ大学がいまのように就職や具体的な目的志向が強調される場所ではなく、それこそ<この長い冬が終わる前に、何かを見つけて生きよう、何かを信じて生きていこう:サボテンの花>と、何かを探す、観念的な思いは膨らむ一方で、具体的に何かというのは遠いモラトリアム。
  
  今は情報化社会だし、どんどん情報を取り入れて、人より後れを取らずスタートして努力しないといけないような印象があるけれど、ある意味放置されていたというか。でも、大人とは、大人になるということは、ということは今より求められていたかもしれない。

  青春の終わり、社会に組み込まれていくこと、その中で、大人としての自分の在り方ー自分が何を大事に生きていくのかという決意は、どこか肯定に哀愁が伴うものなのかもしれない。
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