たた&にせ猫さんの備忘録

―演劇、映画、展覧会、本などなど、思うままに―

『ジャコメッティ展 国立新美術館開館10周年』 国立新美術館

2017年06月18日 | 日記
   『ジャコメッティ展 国立新美術館開館10周年』 国立新美術館  2017.6.16
         2017.6.14(水)―9.4(月)

   ―20世紀を代表する彫刻家、没後半世紀を経た大回顧展―
   “没後半世紀を経た”となっているのはジャコメッテイ(1901-1966)で没後51年目だからかな。

  美術書を読んだりするのが好きだけれど、彫刻を体系的に取り上げてある本をきちんと読んだことがなくて、彫刻をどのように鑑賞したり、楽しんだらよいのかよくわからないところがある。ただ、彫刻というのは不思議な存在感があって、例えば、渋谷でハチ公の像があるだけで、そこは単なる場所から、名前のある、意味ある空間になるというか。
  横浜美術館ではイサム・ノグチの作品が常設展示されていて、魅力的な空間を作っている。

  ジャコメッテイは2014年11月に『チューリッヒ美術館展』で≪森≫という表題の作品を見て、多分それ以前もジャコメッテイの作品は見ているのだろうけれど、印象に残った。今回もこのシリーズ作品が「4.群像」というコーナーで示されていた。

  細い人物像という独特のスタイルの不思議で美しい存在感。
  彫刻という動かないものに、「生きた眼差し」をとらえようとする。「見えるものを見えるとおりに」捉え、形造ろうとするが次の瞬間に同じには見えない。その困難と葛藤の先に独自の造形に行きつき、実存主義の哲学者や同時代の詩人に高く評価されたと。

  モデルを使ったり、記憶で作ったり、葛藤して、像がどんどん小さくなったり。すごく小さい作品が印象的。
  人物像が中心だが、犬と猫の像も。猫好きなので、やはり猫の像が好きかな。
 絵画も少し展示されていたが、独特のスモーキィな色彩。

  彫刻展はあまり人気がないのか、平日だからなのか、結構空いていて、広い空間の置かれた彫像をゆっくり見ることができた。展示が工夫されていて、それぞれの像がそれぞれの空間を邪魔していないというか、全体として存在感のある空間になっているというか、なかなか素敵でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『METライブビューイング R.シュトラウス≪ばらの騎士』2017≫―そして1994年クライバー『ばらの騎士』の思い出

2017年06月12日 | 日記
   『METライブビューイング R.シュトラウス≪ばらの騎士≫2017』―そして1994年クライバー『ばらの騎士』の思い出 
                                           109シネマズ川崎 2017.6.11 

    指揮:セバスティアン・ヴァイグレ 演出:ロバート・カーセン
    キャスト:ルネ・フレミング(元帥夫人) エリーナ・ガランチャ(オクタヴィアン) ギュンター・グロイスベック(オックス男爵) 
    エリン・モーリー(ゾフィー) マーカス・ブリュック マシュー・ポレンザーニ(イタリア人歌手)
  
  にせ猫さんがクライバーの大ファンで、クライバー指揮ウィーン国立歌劇場の引っ越し公演の『ばらの騎士』を上野の東京文化会館で見たのが1994年10月7日(金曜日)、初日(チケットが残っている)。公演キャンセルも多いクライバー氏、登場しただけで大拍手。C席4階で5万円。初日ということもあって、皇太子夫妻が臨席。
   二人で行ったオペラで一番高額の席だったかも(メトのコジ・ファン・トウッテやスカラ座の椿姫とかも高かった記憶があるけれど)。オペラが好きで、今から思うとよくそんな高いチケットを買って行ったなあと思うけれど、クライバーはにせ猫さんにとって特別。東京文化会館でのクライバーの『ばらの騎士』は、これがクライバー最後のオペラタクトで、伝説の公演。

  クライバーの『ばらの騎士』、DVD、ビデオ、録画とそろっていて、何度もお気に入り場面を見ている。クライバーのウィンナワルツにのって滑るように振り下され、弧を描くタクトの美しさ。3幕、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーがそれぞれの気持ちを同時に歌う三重唱のすばらしさ。

  さてお話は、32歳の元帥夫人、17歳のいとこのオクタヴィアンと愛人関係にある。元帥留守中の逢瀬、愛の余韻の中で、元帥夫人は時の移ろい、老いを感じ、いつかオクタヴィアンを手放す日が来ることを予感。誇りある別れを思う(32歳で老いを感じる時代!)。
  屋敷内が騒がしく、元帥の突然の帰宅かと思うと、地方貴族の従兄オックス男爵が登場。オクタヴィアンは小間使いの服を着て女装し、引き上げようとするが、好色なオックス男爵に引き留められる。オックス男爵は金持ちの新興貴族の娘と結婚しようとしており、貴族の風習として、ウィーンの貴族が婚約の申し込みの儀式として、婚約の印として銀のバラを届ける使者を元帥夫人に推薦してくれる様に頼みに来ていた(ちなみに本当はこのような習慣はなく、ホーフマンスタールの創作とのこと)。男爵は経済的に困窮し、実際は娘の資産目当てなのだが、貴族の血を誇り、貴族の血を与えるのだから当然という態度。元帥夫人は修道院を出てすぐに結婚したわが身を、男爵の若い結婚相手に重ねて、男は何をしても許されるという態度に不快を感じる。
  オクタヴィアンが薔薇の騎士として新興貴族のもとにやってくる。オクタヴィアンはゾフィーに一目ぼれ。ゾフィーは好色で貴族とはいえ年の離れた粗野な印象のオックスとの結婚を拒否し、オクタヴィアンに救いを求める。
  オクタヴィアンの女装した小間使いに呼び出され、オックス男爵が居酒屋(今回の演出では、少し娼館的な作り)にやってくる。オックス男爵を父親とする子供や結婚しているという女性が登場し、そこにゾフィーの父親が呼び出されてくる。結婚を御破算にする策略だが、更に元帥夫人、ゾフィーも登場し、てんやわんやの中、元帥夫人は若い二人の愛を認め、誇り高く去り、若い二人は愛を確かめ合う。

  今回はロバート・カーセンによる新演出。ハプスブルグ帝国の最晩年、戦争に向かう時代を反映した演出とのことで、男性陣は軍服で登場。オックス男爵の使用人、新興貴族の家の使用人、そして娼館風の作りの酒場での女性たちと、登場人物が多く、さすがメトのお金がかかった華やかな世界。もちろん舞台美術も素晴らしく、奥行きある舞台が存分に使われている。

  ルネ・フレミングの男爵夫人はさすが。メトの女主人の趣。エリーナ・ガランチャのオクタヴィアン、声はもちろん、容姿的にも合っている(ばらの騎士は声だけでなく、容姿もあってないとちょっと辛い)。ギュンター・グロイスベックのオックス男爵、素晴らしいバス。そして、エリン・モーリーのゾフィーは夢見る跳ねっ返り娘を生き生きと。オックス男爵の貴族主義の強調、ゾフィーの闊達さ生き生きしているところなど、クライバー版との違いを感じる。映画で表情もよく見えるし、また字幕も丁寧で、今まで見た中で一番話が、それぞれの登場人物の感情や背景などが良くわかり、満足度が高いライブビューイングでした。

  クライバーの『バラの騎士』が世紀末の退廃と哀愁を、人生の悲哀を感じさせ、メト版は変化へと進んでいく人の強さを描いているような気がしたけれど、にせ猫さんはどう感じたかな。

  ちなみに最近はチケットが高いのと、演劇にシフトしたので、オペラにほとんど行かなくなってしまった。NHK―BSがメトロポリタンオペラを放映していた時、たくさん録画したが、いまはWOWOWでしか放映しなくなったのが残念。
  大学生の時にNHKの放映した歌劇ラファボリータ、どんな話だったか筋も忘れてしまったが、とても印象的で、オペラに魅せられ、ずいぶんたくさんのオペラの放映を楽しみ、また劇場に足も運んだことを思い出した。次のシーズンもライブビューイングがあるようなので、また、足を運べたらと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする