たた&にせ猫さんの備忘録

―演劇、映画、展覧会、本などなど、思うままに―

『YUKI KOYANAGI THE LUXUARY 2018』ビルボードライブ東京 2018.9.24

2018年09月25日 | 日記
     『YUKI KOYANAGI THE LUXUARY 2018』ビルボードライブ東京 2018.9.24

  小柳ゆきさんのライブに行ってきました。小柳ゆきさんのライブは18年前に武道館ライブに行って以来。にせ猫さんが古いCDを整理していて、久しぶりにYouTubeで小柳さんの歌声を聞き、ライブに行ってみようかと、チケットを取ってくれました。

  ビルボードライブ東京は初めて(東京ミッドタウン内:六本木)。1階の自由席8000円でした(5階席まであるらしい)。開場時間に行くと受付をしてくれて、係りの人が順に案内してくださる。自由席は相席ということですが、一組ずつ案内がありました。ごく前の方の席。それでなくても1階自由席のキャパはそれほど大きくはないので、どこからでも近い感じ。開演は7時半なので、まずは食事を注文。リーズナブルなディナーショーの趣。食事をいろいろ注文したら、係りの方が結構量があるから減らしたらとアドヴァイスしてくださり、良心的。

  7時半になり小柳さん登場。片肩の空いた、片方は大きなボンボンの飾りと袖のある赤いドレス。なかなか素敵です。早速パワフルな歌声。ネットでセットリストを探してみたけれど、見つからなかったので、どの曲がとは言えないのですが、どの曲も熱唱で、9時近くまで歌いっぱなしでした。改めて喉の強い方だなあと。

  時々お話されるのですが、お話はカミカミで、お世辞にも上手とは言えませんが、20周年になることや、歌が好きだけで初めて今日まで歌い続けて来れたことへの感謝など述べられていました。まだ、詩など確定していないけれどと、いいながら、年明けにリリースする新曲を披露、大晦日に大阪でカウントダウンディナーショーの告知もされていました。

  バンドの方もすごく頑張っておられ、ドラムやベースの方もすごかったし、そしてクラッシック畑のチェロ奏者の方も参加され、これも素敵でした。

  ヒット曲の『あなたのキスを…』も歌われたのですが、やはりヒット曲があるということは強みだなあと。

  熱心なファンの方も多いようで、会場盛り上がり、にせ猫さんもノリノリ。最後のアンコール曲では、大部分の観客が立ち上がっている中、後ろの方に座っておられた年配男性が、突然立ち上がってツイスト(懐かしい)を踊られたのが、これもまたなかなか良かったです。

  ビルボードライブ東京は初めてだったのですが、雰囲気がよいので、にせ猫さんはまた行ってみたいと。
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『幸せをよぶ手仕事 ユキ・パリス コレクション展』松屋銀座8階イベントスクエア

2018年09月22日 | 日記
     『幸せをよぶ手仕事 ユキ・パリス コレクション展』松屋銀座8階イベントスクエア
        9月13日(木)-24日(振・月)  2018.9.18

  刺繍教室に通い始めて3年ほどになるのかな?いろんな種類の刺繍を教えてくださる教室、月1回なので、何となく続いている。
  刺繍は場所も取らないし、大作でなければ道具もコンパクトで、手仕事として魅力的なのだけれど、年々目がついて行かない感じではある。
  教室で展覧会の入場券をいただいたので、日本橋での所用の後、久しぶりに銀座に。

  『小さな手芸ミュージアムからの針仕事』ユキ・パリス:文化出版局1500+税の作品がとても素敵で、ユキ・パレスさんのコレクションを一度見てみたいと思っていた。

  40年かけて収集された古い刺繍やレースのコレクションのうち、約500点が展示されている。とても緻密なレースや刺繍の数々。完成までに、どれだけ時間がかかっているのか、ため息が出る作品ばかり。

  サンプラー(いろんな刺繍の技法を練習したもの、かけはぎのサンプラーなど)、教習布(刺繍、縫い物の技法を施した高校生の作品など)など、ごく日常的な作品も。糸や布が貴重な時代、若い頃に作った作品を一生大事にされていたんだろうなと。客人が来た時に、壁やベッドを覆うための布など、その家の主婦の趣味や器用さなどがアピールされていたとか。

  緻密なものが多く、圧倒されるので、作品のケースや展示ごとに「すごいわねー」のご婦人たち観覧者の声がここかしこ。
  観覧の後は、アクセサリー、京都の輸入リボンのお店などいろんなショップが出ていて、こちらもちょっと楽しい。
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『モネ それからの100年』 横浜美術館

2018年09月22日 | 日記
    『モネ それからの100年』横浜美術館   2018.9.17          2018.7/14SAT➤9/24

   ―モネの初期から晩年までの絵画25点と、後世代の26作家による絵画・版画・写真・映像を一堂に展覧し、両者の時代を超えた結びつきを浮き彫りにします。そして、印象派の巨匠という肩書にとどまらず、今も生き続けるモネの芸術の豊かな魅力に迫ります。―

  モネの睡蓮は若い頃から何度見たかわからない。今はないインプレッション美術館、一室ぐるりと睡蓮の大作が掲げられた部屋で拝見したのが印象深い。最近では直島でモネの部屋があったり。
  「モネの睡蓮、もうずいぶん見たから、今更、いいんじゃない。」といったのですが、モネだけでなく他も結構充実していて良いらしいからと、にせ猫さんのお誘い。

  横浜美術館は空いていることが多いけれど、印象派は結構人気だからということで、事前チェック。結構混んでいて、行列ができているらしいということで、開館前にと出かける。
  開館前にすでに行列。途中でチケットのある人とない人に分けられ、チケットのある人から入場。にせ猫さんによると、みなとみらい駅のコンビニでチケット販売していたらしいので、チケットのあらかじめ購入がお勧め。

  館内は混んではいるけれど、見にくいほどではない。
  入ると勿論さっそくモネ。モネが25点ということで、結構ありました。モネの作品では『霧の中の太陽』、ピンクが生きている『睡蓮』が好みかも。

  堂本尚郎の『1960-5』。湯浅克俊の油性木版がすごい。
  アルフレッド・スティーグリッツ、エドワード・スタイケンの写真、スタイケンの『暮れなずむフラットアイアン・ビル、ニューヨーク』。
  マーク・ロスコも2点。ロスコの作品はロスコの空間として展示してほしい気も。

  モネに捧げるコーナー。リキテンスタインの『日本の橋のある睡蓮』が印象的。絵葉書を一応購入したけれど、絵葉書になるとこの絵の面白さが失われ残念。
  平松礼二の「夏の気流(モネの池)」福田美蘭の『モネの睡蓮』。どうも福田美蘭さんの絵は好きになれない。にせ猫さんは悪くないというけれど、この画力でどうしてオマージュ作品なのかと思ってしまう。
  鈴木理策の映像『水鏡』シリーズ、どれも瑞々しく、鮮やか。

  確かになかなかのラインナップ。楽しみました。モネの画風に寄せた解説がついているのですが、そうなんだというのと、かなりムリムリ感のあるのが混ざって、こちらもなかなか。
  会期あとわずかですが、お勧めです。

『  横浜美術館コレクション展』 横浜美術館
     2018年7月14日(土)―12月16日(日)
  横浜美術館の楽しみの一つ、美術館所蔵作品の展示。これがいつも良い。モネ展で多少疲れて、駆け足気味になったとしても、是非、見てほしい展示。

  今回興味深かったのは、五姓田芳柳の作品、『大崎屋嘉祢女像』。
  菅井汲の『地獄の門』、伊藤彬の作品、そして辰野登美子の『untitled96-3』は好きな作品。ピカソの小品。
  森村泰昌の作品もいろいろ、あまり好みではないけれど。大きな黒い鴉は何。

  そして今回、日本画では下村観山の『小倉山』。お勧めです。
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『検察側の罪人』109シネマズ川崎

2018年09月10日 | 日記
     『検察側の罪人』109シネマズ川崎 2018.8.24
         
   原作:雫井侑助 監督・脚本:原田眞人
   出演:木村拓哉 二宮和也 吉高由里子 平岳大 大倉孝二 八島智人 音尾琢真 酒匂芳 
      矢島健一 キムラ緑子 芦名星 山崎紘菜 松重豊 山崎努他

  ―雫井脩介のミステリー小説を、木村拓哉と二宮和也の初共演で映画化。東京地方検察庁を舞台に、人望厚いエリート検事と彼に心酔する新米検事がある殺人事件の捜査をめぐってすれ違い、やがて二人の正義がぶつかりあう―  日経映画評 ☆4つ

  ―冤罪事件の作られ方の話かと思いきや、時効になった犯人を罰したい検事(木村さん)が道を踏み外し、一方、若手検事(二宮さん)は先輩検事を追い詰めようとしながら翻弄され、今回の事件は無関係と釈放を勝ち取るが、更にという―

  どちらの正義がと言われても、どのような理由であれ、少なくとも今の日本では個人的理由で人を殺めて正義はないので、普通に考えると木村さんに正義はない。時効だからと過去の殺人事件を平気で告白する男(酒匂さん)に何等かの罰を加えたいというのも、一つの正義感の発露だろうし、冤罪を作らないというのも権力側が戒めなければならない正義でもある。
  普通に考えて正義のない側、原作では先輩検事は捕まるらしい(原作未読)、推理小説としては分かりやすい決着。それを、ある意味破綻した人の思いに、映画を見ている人が心を乗せられていくためには、木村さんという存在感と説得力が必要だったのかなと。そして、先は分からないが捕まらないままで映画は終わっているのが、映画らしい結末。これで捕まったらちっとも面白くない。捕まらない方がスリリングで、ノワール。もう一段ノワールでもよかったかも。

  映画評を見ると犯人役の酒匂さんと二宮さんの取り調べのやり取りが絶賛されているが、どの役者さんもそれぞれの存在感を発揮されている。映像もスタイリッシュ。
  エンターティンメント大作、興収数十億めざしますという映画ではないが、社会派、サスペンス、ノワール…映画好きの人にはあれこれ楽しめる映画の印象。

  松重さんの闇ブローカーが、木村さんとのつながりのきっかけとして、インパール作戦の話が出てくる。政治的なメッセージにもつながるのだが、つながりの理由として今一つリアリティがあるような無いようなであるが、原田監督としては是非入れたかったことなのかと。原田監督の『日本の一番長い日』を拝見したことがある。以前どんなことを書いたのかと自分のブログを読み返してみると、インパール作戦のことを書いている。映画でそのような話が出ていたかどうか記憶にないのだが、戦争の不条理を映画から感じて、そのようなことを書いたのだろうか。今回インパール作戦のことが取り上げられていて、長年心にあり、今回の映画に使われたのかと思った。


   2015.8.8のブログを再掲するので、よかったらお読みください。
 
 『日本のいちばん長い日 THE EMPEROR IN AUGUST』
    監督、脚本:原田眞人、原作:半藤一利
    出演:役所広司 本木雅弘 松坂桃李 堤真一 山崎勉他
    
  半藤一利のノンフィクションを基にした群像歴史ドラマ。
  戦前最後の総理大臣に鈴木貫太郎が任命され、ポツダム宣言を受け入れるまでが時間軸で描かれる。天皇の意を受け、早期の戦争終結を模索する鈴木貫太郎と本土決戦を主張する陸軍、強硬派の東條英機、若手将校、そして陸軍大臣阿南惟幾。天皇、鈴木総理、阿南陸軍大臣三者がそれぞれ立場を違えながらも、終戦を実現しようとする。
  太平洋戦争を描いた映画で見たことがあるのは『戦争と人間』三部作ぐらい。戦争を描いた映画、特に特攻とか描いたものは見る気がしない。一旦戦争が始まってしまうと、個人がどうあれ巻き込まれ、その中で生きていかざるを得ない。そして理不尽な死。
  電車の中で本を読んでいて涙が止まらなくなったのは二度あるが、一度は大学生の時。中根千枝さんの確か紀行文だったかで、インパール作戦の地を訪ねられた時、かの地で亡くなった方の土饅頭が累々とある風景の描写。戦争とは人の不条理の究極の気がするが、戦争はいつもどこかで起こっている。始まりはいつも止むに止まれない思いと絡む欲望、そして、より破壊した方が勝つ。だが、本当の勝利は破壊にはないであろうに。

  映画を見て思ったことは、その名で始めた戦争をその名で終わらせることはとても稀なことなのだろうと。稀なことを可能にした戦前の天皇という存在と政治機構。何度も開かれる会議、字句へのこだわりも含め、そこにある主義主張(観念)と現実に起こっていることの解離。観念の中では最後まで戦うというのがあったとしても、現実をどう引き寄せるか、身体ある存在として人が生きるということが問われる。
  普段この手の映画を見ないにせ猫さんがなぜかこの映画を見ようと言い出し、初日のしかも朝8時50分の回。話題作が一杯ある中、あまり客が入っていないのではと思ったが、小さな箱とはいえ8割方の入りで、良かったなあと。
  映画は時系列で描かれ、短いテロップも入り、集中してみることができた。主役三人のそれぞれの背景も描かれ、人物像が分かりやすくなっている。山崎勉さんが秀逸。年とってこんな役に巡り合えたら役者冥利に尽きるのでないかと思わせられるほど。役所さん、本木さんも力まずに演じておられた。Yahoo映画のユーザーレビューを見ると、1967年の岡本喜八版に比べての批評が多く、点も辛くなっている。ウィキぺディアで配役を見るとさぞ重厚な映画だったんだろうという気がする。特に汗の描写がなくリアリティがないというのは説得力がある。
  戦時中を扱った映画やテレビドラマを見るといつも、軍服一つにしても撚れていないし、そもそも材質感が違う、いくら汚しても人の体形、顔つき、血色が違うと思うけれど、では、昔のようにできないから、作品を作る意義が薄れるかといわれれば、そうではないだろうと。今作をリメイクと書いておられる方がいたが、やはり違うのではないか。今の人が見て、入っていきやすい映画になっていると思う。天皇が登場人物として描かれているが、そこに時代の流れを感じる。今日は長崎原爆投下から70年目の日。70年間戦争がないことのありがたさ。平和が維持されるよう、何が審議されるべきで、何が審議されていないのか、分かるように議論し、かつ報道してほしいと。


2015.8.30 岡本喜八版を見た記事も少し長くなりますがよかったら。

   『日本のいちばん長い日』 半藤一利著と映画岡本喜八版

  映画を見て、もう少し詳しく知りたいと思い、『決定版 日本のいちばん長い日』半藤一利著(文春文庫)を読んでみた。Yahoo映画のユーザーレビューで1967年の岡本喜八版を絶賛する人が多く、こちらも見てみたいと思い、レンタルショップに行ったら、貸し出し中。同じように考えている人がいるのかしらと思い、日を改めてと思っていたら、NHK-BSの放映を見つけ、早速録画予約。2時間40分白黒の長い映画だった。
  1967年版の『日本のいちばん長い日』は白黒ということもあり、重厚な造り。御聖断から玉音放送までを描いている。日本の惨状、原爆投下の映像、空襲により破壊された町並み、玉砕した兵士の写真が挿入され戦争の悲惨を伝え、一方、聖断を仰ぎ終戦に進もうとするも進まない政府、陸軍の抵抗、さらに、徹底抗戦を叫ぶ軍人、それに与する学生、航空隊の出撃を応援する民間人をも描いている。ユーザーレビューで再三指摘されている汗の描写、さらには軍人の暴力的な行動、上官を一刀両断にする場面では首が飛び、自決場面では血が噴き出し、学生を交えた首相の私邸の焼き打ちの熱狂、玉音版を探す破壊的な捜索。
  そのような教育を受けている、軍隊はにせ命令だとしても上官の命令に従うものといった軍隊が内包する危険性がその間に挿入される。そして最後は阿南陸軍大臣、鈴木首相がこれからは若い人の時代、生きて国を再建する大変さと大切さを説き、現在の平和がこのような出来事の上に成り立っているといったナレーションで終わる。
  軍隊の悪と反戦、平和を描いていると思うが、個々の人物像はあまり描かれていない。天皇は後ろ姿と声。役者さんそれぞれの演技は重厚だが、一本調子に感じてしまう。これが当時の人らしさ、軍人らしさの表現なのだろうか。阿南陸軍大臣がなぜ切腹したのかも良く分からなかった。戦勝終結に反対していたから、終戦になったので責任を取ったという描き方なのか。群衆以外の女性は首相の私邸のお手伝いさんしか出て来ない。
1967年に製作されている。1964年が東京オリンピック、GNPが世界第2位になったのが1968年、日本が戦後復興を遂げていく過程で、忘れてはいけない戦争の暴力、悪を描きたかったのだろうと解釈。
  
  さて本の方ですが、元文芸春秋社の記者が綿密な取材に基づき書かれたノンフィクション。本を読んでいて一番感じたのは、どの人物に対してもその人柄に寄り添った記述、反乱軍の将校に至るまで、その時代を止むにやまれぬ思いで生きた人たちへのリスペクトがある。取材は丁寧で、それから掘り起こされた事柄に対して客観性を保った記述、その一方で、心情に対しては抒情的な表現。半藤さんの本では阿南さんの人格を高く評価している。陸軍大臣が辞任すれば、内閣は総辞職し、さらに判断は遅れる。陸軍の反発を抑えながら、大臣を辞めずに、この内閣で終戦に導くという至難の業。最初から覚悟していたからこその最後の決断。

  原田版では、天皇への崇敬、鈴木総理への信頼から、阿南大臣がこのような決断に立ったことを説明するために、入閣前の天皇や鈴木総理との関係性を描き、分かりやすくしている。岡本版では阿南大臣が署名する際に躊躇したように描かれているが、原作ではそれを取っていない。人物描写のために、それぞれの家族も描かれている。阿南大臣の奥さんのシーンなどは原作にはないので(他の本にあるのかもしれないが)、原田監督の創作で、岡本版の愛好者からすると違うと言いたくなる部分かな。
  人物描写の細やかさにおいては、今回の原田版がより原作に忠実。暴力的な描写は控えめになっているが、原作の持つ雰囲気、終戦からの時間的な距離が反映されている気もする。人物描写が多いので、戦前の政治機構がどういうものだったのか、どう機能し、機能しなくなっていたのかも。映画のテイストは明らかに違っているので、「岡本版は若い頃に見てとても印象的だった。今回の映画の感銘は以前ほどでない。」というのは当然あってしかるべきと思うが、リメイク云々というのは違うような。
  半藤さんの本を読んでいておもったこと。戦前の新聞報道。ポツダム宣言発表に際して、できるだけ調子を小さく下げて取り扱い、戦意高揚を図る強気の文字が並んだと、当時の見出しが書かれている。戦後70年、政府の反省表明をジャーナリズムは求めているけれど、自分たちは反省表明をしないのかしら。
  反乱軍に関わった竹下中佐、井田中佐、畑中少佐が東大教授平泉澄博士の門下生で、自然発生的な実在として国体観を学んでいたという一節。戦前は大学でこのような学問がされていた。承詔必謹という言葉がよく出てくる。軍隊で決定事項をきちんと実行するの意(謹んで受け止める)と思われる。岡本版で黒沢久雄さんがこの言葉を言っていたが、本を読んでいなければ分からなかったと思う。今回の映画評で、若手の俳優さんの言っていることが聞き取れなかったという批判(何で読んだかはっきりしないが)があったが、私たちはこのような言葉を失い、聞き取れなくなっているところもあるのかもしれない。

  戦後70年、映画を見たこともあり、にせ猫さんの中で戦前戦後の政治や戦前の軍隊に関心が出て、新書など読んでいる。日本の現代史は学校でほとんど習わなかった。
  映画は人の関心を引き寄せる。


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『和の明かり百階段』 ホテル雅叙園東京 

2018年09月10日 | 日記
     『和の明かり百階段』 ホテル雅叙園東京 2018.8.20
        2018年7月7日土~9月2日日

  こちらのイベントも先週で終わってしまいました。
      ―都内最大級のあかりのアート展―
  祭りとアート作品が百階段の左右の展示室に展開。森ビルデジタルアートミュージアムのように大規模ではないけれど、内容的にバラエティーがあり、アート作品の美しさが堪能できました。

  各地のあかり祭り、ねぶたは一基でもやはり迫力があり、床の黒に映ってきれい。竿灯も。もうずいぶん前になるのですが、確か十和田湖畔で泊まった時に国境祭りというのをたまたまやっていて、ねぶたや竿灯等を少しずつですが見ることができ、とても楽しかったことを思い出しました。(ネットで見ると国境祭りは毎年9月の第1土日にあるとのこと)
  金魚ちょうちん祭り、美濃和紙あかりアート展など、各地でいろんなお祭りやイベントがあるのですね。会場入り口に、かまくらもありました。

  アートでは、MIRRORBOWLERが迫力ある美しさ、部屋いっぱいに飾られた一葉式生け花、切り絵作家早川鉄平氏の作品も魅力的、時々風に揺れています。
  小さなアート作品もたくさん展示されており、とても見ごたえがありました。階段の端にこけしがずっと寝かせられているのも不思議な趣。
雅叙園のツアーイベントでもあるのか、きれいに浴衣を着こなした若い女性が三々五々に歩いておられ、夏らしい風情でした。誘ってくださった方に感謝。
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