『小谷元彦展 幽体の知覚』 2010.12.19
2010年11月27日(土) →2011年2月27日(日)
森美術館 六本木ヒルズ森タワー53階
昨年12月19日に見た小谷元彦展の感想です。
村上隆氏の『芸術闘争論』を12月15日に本屋で見つけ、読了は正月。村上隆氏の現代アート鑑賞の手引きを参考にしてブログを書いてみようと、後回しにしたら、1か月以上たってしまいました。
パンフレットからキーワードを羅列すると、…東京芸術大学、彫刻、多様な手法と素材、彫刻の常識を覆す作品、造形美と美意識、身体感覚や精神状態をテーマに見る者の潜在意識を刺激するような作品、多層的なイメージ、彫刻特有の量感や物質性に抗う、実態のない存在や形にできない現象、「幽体」の視覚化」…
広い会場、部屋ごとにテーマや試みが示され、パンフレット通りの多様性や造形美、美意識を感じることができます。どの作品も素晴らしい完成度。彫刻科出身ということですが、素材の扱いが印象的で、「フィンガーシュバンナー」や「ラッフル」などの、木の質感が個性的で美しい。「ニューボーン」シリーズ、さらに「ロンパース」といった映像、鏡張りの空間での滝のインスタレーションが見る者を圧倒し、どれも見どころいっぱいです。
村上隆氏の歴史のくし刺し、多様性、圧力などすべてのキーワードを満たし、世界に打って出るアーティストであることを示しています。
では幽体を感じたかと問われれば、完成度が高く、いわゆる影のない感じ。影のない存在の不確かさに迫るというのなら、そうなのかもしれないけれども、幅の広さ、多様性からは、逆にカタログ的な印象を受けてしまう。
ネオテニー・ジャパンで、高橋氏が小谷氏に対して、「醒めた狂気を感じる」と独白しているけれど、狂気は狭まってゆくある瞬間の確信にあるとすれば、多様性はそれに反しているのでは。
美意識の高さの誇り方、それでいて冷めている感じはあり、技術の高さがそれを支えているけれど、作者の中で完結している感じを受けてしまう。
幽体というのが、どこかしらにほの見えてくる影ならば、針の穴ひとつの破たん、本人の中ではどこまでも整合しているのに裏から見ると破たんしている怖さとかが必要なのではないかしらと思ったり。単に、この感性が好きでないというだけかもしれないけれど、ユーモアや諧謔がほしい。
2010年11月27日(土) →2011年2月27日(日)
森美術館 六本木ヒルズ森タワー53階
昨年12月19日に見た小谷元彦展の感想です。
村上隆氏の『芸術闘争論』を12月15日に本屋で見つけ、読了は正月。村上隆氏の現代アート鑑賞の手引きを参考にしてブログを書いてみようと、後回しにしたら、1か月以上たってしまいました。
パンフレットからキーワードを羅列すると、…東京芸術大学、彫刻、多様な手法と素材、彫刻の常識を覆す作品、造形美と美意識、身体感覚や精神状態をテーマに見る者の潜在意識を刺激するような作品、多層的なイメージ、彫刻特有の量感や物質性に抗う、実態のない存在や形にできない現象、「幽体」の視覚化」…
広い会場、部屋ごとにテーマや試みが示され、パンフレット通りの多様性や造形美、美意識を感じることができます。どの作品も素晴らしい完成度。彫刻科出身ということですが、素材の扱いが印象的で、「フィンガーシュバンナー」や「ラッフル」などの、木の質感が個性的で美しい。「ニューボーン」シリーズ、さらに「ロンパース」といった映像、鏡張りの空間での滝のインスタレーションが見る者を圧倒し、どれも見どころいっぱいです。
村上隆氏の歴史のくし刺し、多様性、圧力などすべてのキーワードを満たし、世界に打って出るアーティストであることを示しています。
では幽体を感じたかと問われれば、完成度が高く、いわゆる影のない感じ。影のない存在の不確かさに迫るというのなら、そうなのかもしれないけれども、幅の広さ、多様性からは、逆にカタログ的な印象を受けてしまう。
ネオテニー・ジャパンで、高橋氏が小谷氏に対して、「醒めた狂気を感じる」と独白しているけれど、狂気は狭まってゆくある瞬間の確信にあるとすれば、多様性はそれに反しているのでは。
美意識の高さの誇り方、それでいて冷めている感じはあり、技術の高さがそれを支えているけれど、作者の中で完結している感じを受けてしまう。
幽体というのが、どこかしらにほの見えてくる影ならば、針の穴ひとつの破たん、本人の中ではどこまでも整合しているのに裏から見ると破たんしている怖さとかが必要なのではないかしらと思ったり。単に、この感性が好きでないというだけかもしれないけれど、ユーモアや諧謔がほしい。