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駅東線と駅東口線

2012-07-26 23:38:51 | 秋田市営バス
秋田市の地理や路線バスには詳しいつもりでいるけれど、秋田駅東側の路線バス網やその変遷は、把握しきれていない。
個人的にあまり縁のない地域ということ、宅地化の進展で道路やバス路線に変化が多いこと、かつては市営バスと中央交通がほぼ半々くらいの割合で路線を持っていて、かつ市営バスからの移管後にその整理統合が行われたことが原因だと思う。
ということで、あまり正確な情報や根拠がなく、間違っているかもしれませんが、この記事では秋田駅東側のバス路線の一部を取り上げてみます。
※市営バスの歴史をたどるのに有用な秋田市広報紙の検索サイトが、現在うまく機能していません。これが使えたら、新たな情報が分かるかもしれません。


●駅東線と駅東団地線(現状)
その名も「駅東線」という路線がある。秋田駅東口-秋田大学医学部附属病院-境田上丁を結ぶ秋田市交通局からの移管路線で、秋田大学北光寮前、手形十七流(てがたじゅうしちながれ)辺りの狭い道を通るため、小型バスで運行されている。
現在は、路線のすぐ隣を中央インターへつながる道(県道62号線)や横山金足線(県道41号線)が走っているが、それには目もくれずにひたすら狭い道を進む路線。
運行開始当時はどちらの道もなく、狭い道が網の目のように走る地域だったはずだから、その中から路線が選ばれて小型バスが走り、それがそのまま現在に残ってしまったのだろうか。
【28日追記】東口から東進して横金線と交わる区間だけを見ると、現在メインの県道62号線上には、東通一丁目、東通二丁目、城東中学校入口(旧・東営業所入口)と3つしかバス停がないのに対し、並走する駅東線では7つもある。それだけ地域に密着した路線ということだろうか。
市営バス当時の駅東線(2003年撮影)。行き先表示は「駅東 南団地.大学病院」
路線名は「駅東」線というけれど、秋田市に「駅東」という地名はない。考えてみればとてもアバウトな路線名。

かつては秋田駅に「東口」はなく、さらに昔は駅の東側は一面の田んぼだった。
そんな秋田駅東側が開発途中だった頃、秋田市民はそこを指して「駅裏」とか「駅東(えきひがし)」と呼んでいた。かなり広範囲でおおざっぱなエリアを指していたと思うが、広面(ひろおもて)や横森、今でいう東通や桜の一帯だろうか。(以前から開発されていた、手形地区はその範疇には入れないはず)
その頃のエリアの呼び名が路線名になったのだろうか。

したがって、この路線名は「えきひがし線」だと思っていた。
秋田市民は「えきひがし」とは言うが、「えきとう」などと読む人はいないはずだから。
ところが、乗り場案内のローマ字を見ると、
※乗り場案内の写真は1年前に撮影したものです。現在も内容は同じですが、系統番号表示に伴いデザインが少し変わっています。
右上「駅東線 Ekito sen」
えきとう線」なの?
市営バス当時は知らないが、少なくとも中央交通ではそう呼んでいるらしい。(車内放送では路線名はアナウンスされない)
※上の写真、他の路線の英語表記もいろいろとツッコミどころがありますが…


ところで、昨年、城東中学校隣の中央交通の秋田東営業所(旧・秋田市交通局東営業所)が廃止された。
それに伴い、秋田駅西口発着の明田地下道・城東消防署経由東営業所線の代替として「駅東団地線」が運行されている。
これは終点付近にそういう団地があるようだけど、「えきひがし団地」? 「えきとう団地」?
正解は、
「駅東団地線 Eki Higashi danchi sen」
えきひがし団地線」ですか。
駅東団地線は秋田駅西口発着、駅東線は秋田駅東口発着で、経路が重複する区間はないとはいえ、ちょっと紛らわしい路線名だ。
地図に示すとこうなる
ここまでは、現状についてでした。


●駅東線と駅東口線(昔)
【27日追記】コメントにて新たな情報をいただき、以下の内容に実際と異なる部分があることが分かりました。最後の追記で補足しますので、本文は初回アップ時そのままにしておきます。

昔の市営バスの時刻表を眺めてみると…
駅東線と駅東口線がある!(平成8年3月26日改正)
駅東線があるほかに、「駅東“口“線(これは「えきひがしぐち線」でしょう)」という紛らわしい路線があり、両路線が上下に並んで掲載されていた。
この平成8(1996)年の時刻表では、駅東線は秋田駅前(西口)発着、駅東口線はその名の通り秋田駅東口発着。行き先は両線とも大学病院またはその先の境田団地行き。(一部は逆方向の南団地経由東営業所発着もある)
と、いうことは、現在の駅東線(東口-大学病院・境田団地)に相当するのが、この当時は駅東口線という名だったことになる?


ここで、途中バス停が掲載されている、昭和63(1988)年度のポケット時刻表を見てみる。当時は東口にバス停ができて間もない頃だった。
駅東口線 ※現在「南団地」と呼ばれるバス停が「山崎南団地」となっている
やっぱり現在の駅東線と同じだ。

では、
駅東線 ※「市場前」は現在の「明田地下道入口」
なるほど。昔の駅東線は、西口を出て南下し、明田地下道をくぐって東通仲町を過ぎてすぐ左折(駅方向へ戻る)。東口そばを横切って、「手形東町」から駅東口線の経路に合流していたようだ。
オレンジ線が昔の駅東線の単独区間。手形東町で赤のルートに合流して大学病院へ向かっていたらしい

1988年度のダイヤでは、駅東口線が毎時2本程度、駅東線が毎時1本程度運行されていた。1996年度のダイヤでは、両路線とも毎時1本ずつになっている。
1996年12月26日改正の時刻表までは、駅東口線と駅東口線が共存しているのを確認。残念ながらその翌年度(1997年度)の時刻表は保存していなくて不明。
次に手元にある平成10(1998)年11月1日改正の時刻表では、
東口発着発着が「駅東線」になっている
西口発着の「駅東口線」が姿を消し、東口発着が「駅東線」を名乗っており、現在と同じくなった。
運転本数は毎時1本で現在よりは多い。(現在は平日5.5往復、土日3.5往復)

【27日追記】1988年時点では、駅東線・駅東口線とも全便が大学病院止まりで境田団地へは乗り入れていない。1996年(駅東線・駅東口線とも)や1998年では、一部便(半分以下)が境田発着になっている。現在は、総本数が減ってしまったわけだが、全便が大学病院経由(構内に入る)の上、境田上丁で折り返している。
さらに別の過去の時刻表をざっと見たら、平成元(1989)年4月には「境田公園」発着という記述が見られたり、同年12月には別路線のはずの「城東消防署経由大学病院線(大幅減便の後、2009年に廃止)」扱いだったりと変遷が著しかったようだ(詳細は省略)。


昔は東口がなかったわけだから、最初にできたのが西口発着の「駅東線」だろう。
その後、秋田駅東口ができて、そこからバスが発着することになり、桜ガ丘線など今まで西口発着だった路線の一部が東口発着に振り分けられた。駅東線も一部が東口発着とされて「駅東口線」という名が付けられたのだろう。
それにしても、駅東口線という名称。駅東線と紛らわしいし、他にも東口発着の路線だってあるのだから余計に紛らわしい。昔の秋田市交通局は、たまにこういうちょっと意味が分からないことがあった…

やがて、駅東側方面の路線は西口より東口発着にさらにシフトし、元々の駅東線が廃止・従来の駅東口線を駅東線としたのだろう。1997年春に現在の秋田駅の駅舎が完成し、秋田駅東西の行き来がよりスムーズになったので、憶測になるけれどその時点で変更されたのかもしれない。【28日追記】いただいたコメントによれば、1997年春には「東口経由駅東線」として掲載されていたとのことで、まだ西口発着だったようだ。東口発着のみになったのは1998年からだろうか。
東口が充実してからは、西口発着明田地下道経由ではだいぶ遠回りになり、時間・運賃面で不利だっただろうし、西口発着への需要は多くないだろうから。
そしてそれが中央交通へ移管(2003年4月)されて現在に至るわけだ。

なお、大学病院を出て、駅を通らずに南大通り経由で山王方面へ向かう系統が、現在も平日朝に1本だけ走っている。これは1988年も1996年も、駅東線(西口発着)の一部として扱われている。


【27日補足】コメントをいただいて、上記本文中で重大な点を見落としていたのに気づいた。
上の写真では分かりづらいが、1996年の時刻表では[上りは駅東線と駅東口線の大学病院発が同時刻]であり、[下りは駅東線が西口を発車した8分後に、駅東口線が東口を発車(一部を除く)]しているのを見落としていた。
これはすなわち、1996年当時は「駅東線と駅東口線は同じ路線であり、西口発の駅東線が東口にも立ち寄り、東口から先で駅東口線に名前を変える(大学病院発は東口を通って西口が終点)」ということ。

1988年の時刻表では、両路線は別々の時刻で運行されていたので、1989年から1996年の間のどこかで、2つの路線がつなげられたというか統合されたと推測できる。
運行形態統合後も、時刻表の欄は統合されず、以前のまま別々に掲載されていたようだ。
ということで、まるで「水増し」されているような感じだし、ずいぶんと分かりづらい時刻表だった。
(補足終わり)


今では本数が減り、すぐそばの広い道を通る路線もできて脇役的存在になってしまった駅東線だが、秋田駅東側の発展をずっと見続けてきた路線と言えそうだ。
後日また、この辺りのバス路線を取り上げるかもしれません。

※駅東線はこの後、2014年に減便されて平日3往復のみ(土日全休)に。さらに2016年秋には廃止されることになった。廃止時のルート等の記録はこちら

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4 コメント

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はじめまして (sats)
2012-07-27 21:37:59
いつも楽しく拝見させていただいてます。(特にバスネタ)

駅東線、確かにややこしい路線ですね。
で、駅東線と駅東口線ですが、別路線というよりは「ほぼ同一」な路線でした。

63年版の頃はちょっとわかりませんが、その後の8年版の頃は「西口発の駅東線がいったん東口を経由して、そこから現ルートを走る」路線でした。
駅東口線は「西口発で東口を経由してきた便」と「東口発着の便」で構成されていて、別路線というより「西口発の『駅東線』が東口から先は『駅東口線』扱いになる」という感じだったと思います。

時刻表を見ると、駅東線の西口発車から数分後に駅東口線が東口を発車していたり、大学病院発にいたっては全く同一時間に発車していたりで、両者が同じ便を指している事がわかります。(こちらの画像でも、かすかにながら同時刻なのが判読できました)

当時リアルタイムで時刻表を読んだ時から、ほとんど同一と言っていい路線が重複して載っていた事に違和感を覚えてました…。(東口発着便があるとはいえ)

長文になってしまいましたが、それくらいややこしい路線でした。
返信する
はじめまして (taic02)
2012-07-27 22:21:20
いつもご覧いただきありがとうございます。
そして、貴重な情報ありがとうございます。

不覚にも時刻表のダイヤはまったく見ていませんでした…
たしかに、1996年では駅東線と駅東口線で大学病院発が同時刻、駅発は西口発の8分後に必ず東口を発車しています(早朝の一部だけ東口始発)。
つまり、西口-東口-大学病院と「駅を2度通る路線」であり、「途中で路線名が変わる路線」だったのですね。

昭和63年のダイヤでは、駅東線と駅東口線は完全に別のダイヤ(3分間隔で続行する便もあったようですが)になっていたようです。
当初は別々の路線だったものが、1本につなげて運行されるようになったものの、時刻表上では以前のまま残ったということでしょうか。

まあ、新屋線と(新屋案内所以遠の)新屋高校線や大森山公園線も時刻表では重複して掲載されていましたが、それらとは距離や利用状況が違いますから、紛らわしい時刻表ですね。変則的になりますが、1つの枠にまとめて途中経由地として東口の時刻を掲載したほうが良さそうに思います。今さらですが。

ご指摘いただかなければ、気づかないところでした。本文中で補足を追記させてください。
そういえば、現在の赤沼線も(逆側を周りますが)駅を2度通るので、不慣れな人は戸惑います。
東通・大学病院方面のバス路線は手強いと改めて実感しました。
返信する
97年改正 (FMEN)
2012-07-28 00:13:51
新幹線開通にあわせた97.3.22の改正時刻表がありました。
ここでは「秋田駅東口経由駅東線」で、7番線発車。
朝だけ東口発止の便がある感じでした。
この時の東部の主要便は東小学校経由東営業所線があったり。
ちなみに駅東線、駅東口線みたいな記しは大森山も。
新屋線と新屋発大森山線をわけてますが、大森山発はみんな同じ時間。

東部といえば、市営全盛期なのになぜか市営じゃなかった中央交通の駅東口線、「赤沼線」や「松崎団地線」も気になります。
返信する
秋田駅東口経由駅東線 (taic02)
2012-07-28 11:41:47
ちょうど保存してなかった時刻表を見てくださったわけですね。ありがとうございます。
その時はまだ西口発着でしたか。で、路線名が「秋田駅東口経由駅東線」。これは分かりやすいです。納得できます。

時刻表の欄が重複して掲載されるのは、金足堀内線と新国道経由、サンパーク線と新国道・寺内経由などでもあったかと思いますが、利用実態を考えればやむを得なかった気もします。でも、駅東口線と駅東線はややこしすぎると思います。

僕は昔の大学病院方面は「中央交通がやや優勢なエリア」という認識でした。市営バスは手形山経由か小型バスばかりというイメージで。南東部なら市営バス優位でしたが。
中央交通には疎かったので「赤沼線」なんて最近まで知らなかったし、途中まで同ルートの下北手線・太平線・松崎団地線が大学病院へ入ったり入らなかったりと、いまだによく理解できていません。
ほんとに手強い場所です。
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