広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

はるやま/トメさん

2014-06-01 23:47:57 | 秋田のいろいろ
5月31日に、こんな折込チラシが入った。
「秋田県に初めて誕生! はるやま秋田土崎店/秋田山手台店」
「はるやま」という紳士服チェーン店が、5月31日に秋田市に2店舗同時オープンした。
「「紳士服マスカット」が生まれ変わりました。」とあるので、既存店のリニューアル・改称。

引っかかったのが、「はるやま」が「秋田県に初めて誕生!」という言い回し。

「はるやま」という紳士服チェーン店は、昔、秋田市内に存在した。
昭和60年前後には、たしか新川向辺りの新国道沿いにもあった。小学校に「はるやま」に似た雰囲気のお名前の先生がいらして、それに引っ掛けて印象付けられたので、間違いない(はず)。
当時は、コナカとか青山とかはほとんど秋田になかったはずだが、1990年代以降は増えてきて、気がつけば「はるやま」は見かけなくなってはいた。

今回開店したはるやまのロゴマークは、見慣れない紺地に「H」。
昔のは赤地に「h」だった。丸っこい「はるやま」の文字はどちらも似ているけど。


Wikipediaで調べた。
結論としては、昔あった「はるやま」と今回開店した「はるやま」は、別の「はるやま」。
でも両者は無関係でもない。

企業名としては「はるやま商事株式会社」と「株式会社はるやまチェーン」が登場する。
1955年に岡山県玉野市で治山さんが創業した洋服店が、後に「はるやま商事」となる。今回のチラシでは「おかげさまで創業58周年」とあるので、この時を指すのだろう。
一方、1970年に札幌で創業した洋服店が、1972年に「株式会社はるやま船場」となり、後に「はるやまチェーン」となる。はるやま商事経営者の兄弟が創業したそうだが、資本関係はないらしい。
はるやま商事の方でも「株式会社関西地区はるやまチェーン」という会社が存在したことがあったそうで、ややこしい。

その後、岡山発祥のはるやま商事は西日本、札幌発祥のはるやまチェーンは北海道・東北をそれぞれ中心に店舗展開が進み、両者とも徐々に勢力を拡大。

1994年には両者が協定を結んで、それぞれの県において、先に出店したほうが「はるやま」を名乗れることにした。そのため、先にはるやまチェーンが展開していた秋田など東北方面では、後発のはるやま商事が「マスカット(岡山県だから)」として展開することになったらしい。※地域によってはマスカット以外のブランドもあり

2001年には、はるやまチェーンが経営破綻。店舗網を縮小して再建したので、そこで秋田から撤退したのだろうか。
現在のはるやまチェーンは、北海道外では東北地方は岩手の久慈と山形の米沢だけ。ほかに北関東と北信越でわずかに店がある。

本州のはるやまチェーンが撤退した県では、はるやま商事が既存店を改称して「はるやま」ブランドを復活させることになり、青森と宮城では変更済み。秋田でも、今回の2店に続いて、残る大館と大曲でも6月までに変更予定とのこと。

【4日追記】いただいたコメントで思い出したけれど、はるやまチェーンのテレビCMの最後で「By はるやま」というサウンドロゴがあったのを思い出した。撤退した秋田では流れていないが、最近のCMでも使われているらしい。
ケーズデンキと統合されてなくなった、「エンジョーイ テクノラーイフ デンコードー」と並ぶ懐かしいサウンドロゴかもしれない。




5月31日の秋田魁新報社会面に「ギター漫談「五城目のトメさん」/地元で30年ぶり“ドタバタ劇”」という記事があった。6月22日に、ファンの声に応えて久しぶりに“地元”である南秋田郡五城目町でライブが開かれることになったというもの。
27日の秋田経済新聞でも同様の記事が出ていた。

当ブログでも以前何度か触れていた、「五城目のトメさん」。今まではあやふやな記憶に基づいていたが、今回の新聞記事で”素性”がだいぶ明らかになった。
※「五城目」は町の名前としては「ごじょうめ(まち)」。しかし、地元の人などは「ごじょう”の”め」と「の」を入れることが多い。トメさんもおそらく「ごじょうのめのトメさん」ではないだろうか。

1980~90年代に県内でブームを引き起こしたギター漫談「五城目のトメさん」
トメさんの生みの親である秋田市牛島の小玉進さん(68)は五城目町下タ町の出身で、故郷でステージに立つのは約30年ぶり
→ジャンルとしては「ギター漫談」だったのね。※今日の「笑点」では、スギちゃんのネタ披露も「漫談」と紹介されていた。
「ブーム」とされるほど流行ったのか。当時の小学生でも知っていたから、間違いではないだろう。

小玉さんは約45年前、秋田市の繁華街・川反でスナックを始めた。客相手にギターで歌謡曲を演奏し、曲のつなぎで披露していた話が「トメさん」。
口コミで徐々に人気が広まり、86年には漫談をまとめたテープを発売。県内で一大ブームとなり、地元のラジオやテレビにも多数出演し、スナックは連日繁盛した。
人気のピークが過ぎた後も県内のイベントに時折呼ばれた。
スナックは「昨年6月に閉店
→スナックの店名は「モナリザ」だったそう。
昭和末期の全盛期はNHK秋田放送局のローカルテレビ番組にも出ていたし、陸上自衛隊秋田駐屯地の音楽イベントにも出ていた。
最近は見聞きしなくなったと思っていたが、近年もABSラジオに出演しているようだ。

「(小玉さんが)日常生活で見聞きした面白いエピソードをアレンジし、架空のトメさんが主役の漫談を創作した。
→「トメさん実在人物説」や「既に都市伝説的に流行っていたトメさんの話を小玉さんがまとめた」という話もあるが、それらこそ都市伝説なんだろう。

78歳のおばあさんが繰り広げるドタバタ劇
→トメさんの年齢が判明。思ったより若いけれど、当時はそんなもん(今のお年寄りは若い)か。
これも都市伝説、あるいは伝言ゲームの結果なのか、他の年齢とする話も存在する。
【12日追記】下記追記の通り、78歳というのは2014年時点での設定らしく、昔は別の年齢に設定されていたようだ。

これまで作った話は千以上
→そんなにあるんだ!

新聞記事では、代表的な話が2つ紹介されている。
1つは、秋田駅前にあった鎌田会館のミスタードーナツで、商品名を聞かれたのに「五城目のトメでーす!」と答えたという、トメさんでおそらく最も有名な話。さらに個数を聞かれて年齢を答えてしまうという続きも存在するようだが、そこには触れていない。
もう1つの話は、大森山動物園で「サルのエサ50円」の看板を見て「財布から50円玉を取り出し『ほれ食べれ!』とサルに向かって投げたそうな」。
【2015年6月22日追記】店で「(商品の)名前を言ってください」と言われて自分の名前を言ってしまう話は、具志堅用高氏がドライブスルーでやらかした、同氏の伝説の1つになっているそうだ。


僕は今まで、トメさんを話していた人は、もっと年が上だと思っていて、失礼ながらもう亡くなったかもと思っていた。
ところが小玉さんはタモリさんと同じ年であり、トメさんは「笑っていいとも!」が始まった頃にブームになったわけだ。
トメさんの話をまだまだ聞かせてくれてもいいかもしれない。再ブームなるか?

【12日追記】6月12日付の県央地域面のコラム「地方点描」で、魁の南秋田支局長が「トメさん」として5月31日の記事の後日談を書いている。
まず、ライブは好調で、予定の3倍の300人が参加する予定で、うち8割が五城目町外から来るとか。
それから、僕と同じく記事でトメさんの正体を知った人も多く、「トメさんが実在すると信じていた人もいたようだが、あくまでも架空の人物なのだ。
ただ、漫談がヒットした当時、ラジオ番組のアナウンサーが独自に調査したら、「トメ」という名前のお年寄りは町に3人いたという。
しかし、「実は、トメさんのモデルは当時63歳だった小玉さんの母親。漫談誕生から約45年たった今は、78歳という設定だ。」→じゃあ昔は何歳の設定だったのか?
(以上追記)

※続きはこちら



ところで、直接関係ないけれど、ちょっと思い出したのが2010年3月に83歳で亡くなった「大潟八郎」さん。死亡記事では「漫芸家」という肩書き。
八郎潟町一日市生まれで、秋田市土崎港にお住まいだったようだ。山高帽とタキシードで舞台に立つ姿から「東北のチャップリン」と呼ばれたとか。

この方も直接は知らないが、昭和末期(から平成初期?)に「スーパーから八郎です」というのがあった。
県内各地のスーパーマーケットを巡る、ABSラジオの出張公開(生?)番組。(当時は郊外型ショッピングセンターなどなく、町中にある小型スーパー)

「○日○時から、いとく楢山店にて」といった、その告知スポットがABSのテレビでよく流れていた。
その背後には、いつも同じ音楽が流れていた。サックスなどによる、素朴な感じの明るい曲で、なんとなく好きだった。(最初の部分の音階が童謡「あめふり」の「♪ピッチピッチ チャップチャップ」に似ていた)
やがて、あべ十全氏に交代して「それいけ(それゆけ?)十全」だったかに変わってその曲は聞くことがなくなり、それいけ十全もいつの間にか終わった。


その後、ふとした機会にその曲を聞くことができ、タイトルも判明した。
秋田県内のどこかの町の婦人会みたいな人たちが、その曲に合わせて踊っていたのだ。

大潟八郎さん自身が歌う「迎春鳴鳥歌」という曲。「キャコチコピー」とフリガナが付くようだ。
大潟八郎 作詞、和田香苗 作曲・編曲、「♪スズメっこチュンチュン カラスがカー」で始まって、春の風景の描写。最後は「ピーピー キャコチコピー」といった囃し言葉からなる歌が、6番まで繰り返される。
※Googleさんにも指摘されるし、一部サイトで誤記もあるが「キャッチコピー」ではない。


スーパーから八郎ですの告知に使われたのは、その前奏部分。
八郎さんの代表曲であるようだし、前奏がちょうど15秒で使いでが良かったのだろう。

キャコチコピーは、日本コロムビア「東北民謡コミックベストシリーズ(1)」というCDに収録されていて、なんと今でも購入でき(?)、一部サイトでは試聴可能。
前奏部分は全部試聴でき、スーパーから八郎ですのスポットで使われていたのと同じアレンジ・音源だと思う。ただし、ライブバージョンなので拍手などは重なる。

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7 コメント

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マスカット完全消滅? (OnTheRock)
2014-06-02 09:08:24
新国道の「はるやま」は後にブランド替えして、同じはるやまチェーンの店舗ブランド「エフ・ユニット」に鞍替えした後に閉店しました。
私は以前から青山派だったので行ったことは無かったのですが、親類宅が近くにあったのでよく覚えています。
それから「マスカット」は秋田での店舗ブランドの移行が終わってしまうと、新潟しか残らなくなりますが、先日新潟のテレビでは「9月末まで県内全店舗閉店セールを行う」というテレビCMを何度か見かけました。公式発表は無いものの、「新しく生まれ変わる為…」となっていますので、こちらもまもなく鞍替えして「マスカット」は完全に消滅するのでしょう。
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Unknown (たむたむ)
2014-06-02 09:52:28
ものすご~く、懐かしい!
「モナリザ」行った~!(^m^)
閉店まで飲んでいて、帰りにマスター(夫婦)に
家まで送ってきてもらったことも…(笑)
昨年までお店は、やっていらっしゃったのですね~!
お元気なのですね~!よかった♪

「スーパーから八郎です!」ラジオで
聞いたことがあります。

なんだか、とっても懐かしい話題てんこ盛り♪で、
うれしくなっちゃいました~!
返信する
Byはるやま~ (FMEN)
2014-06-02 23:11:19
はるやまにはそんな経緯が。

五城目トメさん、昨年ABSラジオのスペシャルでやってました。
笑いましたね。
公開出前番組の再現もやってたような。
十全時代のCMは前にYouTubeで見ましたが八郎時代はしりませんでした。
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2014-06-02 23:56:02
>OnTheRockさん
以前のはるやまは、店名変更後に撤退していたのですね。他のチェーンが増える中、気づいたら消えていた感じでした。
マスカットは新潟だけになっていたのですね。はるやまチェーンのはるやまがあるので、さらに別のブランドにするのかもしれません。
両者のホームページを見ると、マスカットは9店舗、はるやまチェーンのはるやまは2店舗あり、燕三条には両方があるようです。

>たむたむさん
それは貴重な経験をされましたね~
入っていたビル自体がリニューアルしたようです。
新聞には小玉さんの写真が出ていましたが、お元気そうでしたよ。

僕にとっては、当時は子どもだったとはいえ、どちらも直接は経験していないけれど、なんとなく知っているという話題です。機会があれば実物を見て・聞いてみたいものです。

>FMENさん
昨年のトメさん、おもしろかったですか。30年経っても衰えていないようですね。
スーパーから八郎ですの告知は、平日17時台のアニメでよく流れていた気がします。AAB開局前の「ドラえもん」とか。
十全さんのほうがあまり記憶にないんですよね。アニメをあまり見なくなった年頃と重なるのでしょうか…
返信する
バスのことですが (もんも)
2014-06-05 21:53:20
中央交通社内広告変わりましたね 桜町矢野薬局が今でしょ、をやめました
菊谷小路はブランド品買取のおたからやになりました

天徳寺通り、たまに運転手道誤って通常ルート行くのよー、でも軌道修正しないでそのまま行っちゃうとおばさんの会話を小耳に挟みました

トメさん大好きです
返信する
Unknown (あんなか)
2014-06-06 07:25:24
かつての新国道のはるやまは花徳の斜め向かいだった気がします。
あの辺りは店の入れ替わりが激しくて昔何があったのか記憶が曖昧になりますね。

「スーパーから八郎です」は懐かしいです。
TBSラジオの毒蝮三太夫のミュージックプレゼントにかなり近い感じで
客いじりの上手かった人でした。(流石に「ババア元気か?」は言いませんでしたが)
下ネタも何となく上品に聞こえたものです。
後任のあべ十全さんはもう少し突っ込みが合った方で今も覚えているのが
中学生くらいの悪ガキ?達が
「爛漫と高清水、どっちがうめえのだ」と突っ込んだ質問をしたとき
十全さんが「子供のくせに聞き酒出来てなんとするなや」と返して
店内大爆笑というものでした。
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コメントありがとうございます (taic02)
2014-06-09 00:12:16
>もんもさん
車内放送広告は、昨年は6月20日前後に変わったようなので、今年は少々早いんですね。
http://blog.goo.ne.jp/taic02/e/6b72310182e166f603dc3b8dd2ed1030
「今でしょ」終わっちゃいましたか。
惜しい気もしますが、流行語なら短期間のほうがいいのかもしれません。

経路間違いは仕方ないですが、それを修正しないでそのまま突っ切るのが事実だとすれば、けっこう問題ですが…

>あんなかさん
保戸野寄りの辺りでしたよね。昔何があったかなんて、すぐに忘れてしまうものです。

八郎さんも十全さんも、実際に見聞きしたことはないのですが、そんな雰囲気だったのですね。
大潟八郎さんは、どちらかと言えば「伝統芸能」みたいなことをするのかと勝手に思っていましたが、そうでもないみたいですね。
八郎といえば、青森には今も活躍する黒石八郎さんがいますが、民謡歌手でありながらしゃべりも上手で、通ずるものがあるような気がします。
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