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丁目の法則

2012-06-06 23:57:11 | 秋田の地理
1つの町を複数に分割して示す「丁目」。日本独特の風習のようだ。
歴史や全国的なことについては、Wikipediaの項目などをご覧いただくとして、秋田市の場合を少し見てみる。

●最大の丁目
国が定めた方針としては「丁目の数はおおむね4、5丁目程度にとどめることが適当である」としているようだが、北海道帯広市には「42丁目」があるという。
秋田市で最大はどこの何丁目だろうか?

それは「八丁目」で、2つある。
1988年にできた「御野場(おのば)八丁目」と1995年にできた「東通八丁目」。

なお、「保戸野八丁(ほどのはっちょう)」は丁目ではないが、間違って「保戸野八丁目」となっている印刷物を見たことがある。


●丁目の配置
一丁目、二丁目…の順番というか配置について。
北海道では、規則正しく丁目が配置されていて、聞いただけで場所が分かる。東京都でも、皇居に近い方から順にといった決まりがあるそうだ。
道路との位置関係や川の蛇行によって不規則な配置になってしまうこともあるけれど、秋田市はどうだろうか。

秋田市中心部(秋田駅西側)にある、3つの地区の丁目の配置を見てみる。
Googleマップより。マル数字が丁目
まず、青で示した「大町」。1965(昭和40)年の住居表示で誕生した地名。
各丁目は東西に長く、一丁目から六丁目まで、北から南へ向かってきれいに整列している。
一帯は道路がほぼ格子状になっていて、東西に貫く道路が丁目の境になっているだけでなく、おおむね南北の道が番地の境になっているので、分かりやすい。また、六丁目を除く各丁目の南東角で旭川に架かる橋の名前が「○丁目橋」で統一されている。
江戸時代からこうした町割りになっていて、住居表示実施前から丁目が使われていて(旧・大町一丁目~三丁目、川反、本町、米町などの○丁目)、それを活かして命名されたようだ。

次に、赤の「中通」。1966年に誕生。郵便番号は「010-0001」と、秋田でいちばん若い番号が割り当てられている。
ここは、一丁目から六丁目が、北から順に、奇数丁目が西、偶数丁目が東に配置されている。西→東→西→東→西→東という順序。「Z」字型のジグザク配置。
そして最後に七丁目が東端を縦長に固めている。
七丁目が変わった形状なのは、かつてはそのほぼ全域が国鉄の敷地(秋田駅や秋田鉄道管理局など)だったためだと思われる。六丁目までとは別格の扱いとしたのだろう。現在は、民間のマンションなども建っている。

そして、オレンジ色の「山王」。1965年に誕生し、1966、1975年に拡大している。
配置は複雑。
秋田市役所のある一丁目から県庁のある四丁目までは、西→東→東→西という配置で中通とは異なっている。時計回りに一周する配置。
その南を五丁目が固めて、六丁目は五丁目の西隣、そしてその北が七丁目。
六丁目の一部と七丁目の全域は、1975年になってから丁目がついたので、後付けで変則的な配置になったのかもしれない。

丁目は七丁目までだが、その西側には、1975年以降に山王新町、山王中園町など「山王○○町」が誕生している。八丁目、九丁目…としなかったのは、上記、丁目の数の制限への配慮だろうか。


以上、3地域の丁目の配置を見ると、その順番についてはあまり法則性がなさそうだが、「一丁目」の位置はどれも北側かつ西側にあることになる。こういう法則があるのだろうか?
ところが、山王の北にある「八橋本町(やばせほんちょう)」を見てみると…
南側かつ東側が「一丁目」で逆転している
八橋地区や寺内地区では、同様の法則が成り立つ。
しかし、新国道を渡って西側の泉地区では西側が一丁目(横一列なので南北方向は判断できない)。

もしかしたら、「命名時点で秋田市役所にいちばん近い側が一丁目」という法則なのかもしれない。
そう仮定すれば、上記の各地区だけでなく、市南部の牛島地区や御野場地区、東部の桜地区などの各一丁目も、市役所寄りだ。
大町は一丁目より二丁目(市役所の真東)のほうがわずかに市役所に近いが、二丁目の場所を一丁目にしてしまうと、配置がごちゃごちゃになってしまうため、北から順にしたのだろう。

東部の「大平台(おおひらだい)」は四丁目が一丁目より市役所寄りだが、四丁目だけ後からできていた(三丁目までが1997年、四丁目が2002年)。
大平台。北西方向が市役所
大平台の誕生時には、一丁目がいちばん市役所寄りだったので、やはり仮説に該当する。

しかし、土崎地区では土崎港南(つちざきみなとみなみ)一丁目や土崎港中央一丁目のほうが市役所から遠い。
これは地域の拠点である秋田市土崎支所(当時)から近い順とすれば、法則が成り立ちそうだ。(同様に支所があった西部の新屋地区については丁目の付く町名がないので、検証不能)


「秋田市の“一丁目”は、命名時点においてその地域で秋田市役所または支所にいちばん近いエリアである」
確証は持てないが、秋田市のトリビアの1つかもしれません。

※番地についてはこちらで少々

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3 コメント

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Unknown (オタチ)
2012-06-07 20:03:38
こんばんは。

・・・なるほど!! そのような法則があったのですね。

>北海道帯広市には「42丁目」があるという。
さすがは北海道。規模が違いますね。
地名的な繋がりで・・・地名表示板が電柱についていますが、あれも一応数種類あるようですね。秋田市以外ではどうなのか後日調べてみたいと思います。

>命名時点で秋田市役所にいちばん近い側が一丁目
全くの余談ですが駅の●番線というのは駅長室に近い順なのだそうです。後から新しくできた0番線というのがあるらしいですが・・・。
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仁井田本町・新田 (FMEN)
2012-06-07 20:40:03
今日は仁井田のお祭りです。

仁井田本町は、
・1丁目→もっとも北側、牛島寄り
・2丁目→北東のエリア。
・3丁目→仁井田の中心部
・4丁目→小学校周辺
・5丁目、6丁目→御野場ニュータウン周辺
新田は
・1丁目→もっとも北側、牛島寄り
・2丁目→13号側
・3丁目→旧農試側、大野線沿線
です。
仁井田本町5、6丁目は追加され、かつての仁井田柳林などは「御野場新町」にされたとこも。
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2012-06-07 23:55:01
>オタチさん
あくまで憶測ですが、たぶん。

中学校の修学旅行で札幌市営地下鉄に乗った時「18丁目」とかいう駅があって驚きましたが、それ以上あるんですねー
表示板は、色とか書体とかでしょうか。何事もどこでもまったく同じものはないのがおもしろいものです。

ホームの数。そういえばそんな話を聞いたことがあります。
ほとんどの場合、駅長室側=メインの改札口側でしょうから、乗客も違和感なく理解できそうです。
秋田駅も昔は「0番線」があったはずです。(今の1番線)

>FMENさん
仁井田神明社のお祭りでしたか。けっこう今の時期にお祭りという地域が多いみたいです。

仁井田の各町も、法則に当てはまりますね。
仁井田新田は全体としては三角形のエリアだったり、仁井田本町は国道の両側にあったりと、よく見てみるとおもしろい形や配置になっているものです。
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