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1台だけ導入

2015-09-01 23:30:34 | 秋田市営バス
久しぶりに秋田市営バスの(マニアックな)話題。
バスでもその他営業車でも、同じ型の車を同時期に多数購入することがよくある。「まとめ買いすれば安くなる」という理論だと思われる。

一方、過去にも触れたように、役所では公平性が求められ、日本にバスメーカーは4つだけ(秋田市営バスがあった当時)のため、購入台数もしくは費用を4メーカーに公平に割り振って購入する公営バス事業者も多い。

秋田市交通局では1990年前後では毎年15~20台を入れていたが、その年度内でメーカーの偏りはほぼなかった。
1994年から1996年までは年に10台以下の導入となり、「年ごとにメーカーを変え、その年度内では1~2社に偏って導入」という方式になった。例えば各社から1台ずつ×4社では効率が悪いからだろう。

ところが、まれに、「そのバス会社内にその型のバスが1台しかない」ということがあり、「異端車」として愛好家に注目されたりする。
試作的な意味合いの車両だったり、秋田市営バスの2階建てバス「みはらし号」のような特殊用途といったケース。最近は他社の中古を入れるので、諸般の事情で同型車を1台しか入れられなかったということもある。中央交通のエアロスターのように。

1986年度以降の新塗装の秋田市交通局の路線バスでは、同型車を3~5台(まれに2台とか7台とか)まとめて発注するのが多かったが、中には同時期導入の同型車がなく1台だけの存在だった車が5例あった。それをまとめる。
※小型バスも1年に1台だけ導入されたことがありましたが、それが普通であり、メーカーが同じで差異が小さかったので割愛します。
※ここで言う「同型」とは、型式ではなく「同メーカーで同サイズでスタイルがだいたい同じ」程度の意味合いです。
1986年度208号車(三菱大型)
新塗装最初の年。大型車だけを日産ディーゼル以外の3社から導入。
日野といすゞは3台ずつなのに、三菱だけが1台となった。
3メーカーとも、特殊な窓配置(ガラスの着色はなし)や行灯があることなど、当時としては豪華な仕様だったが、208号車はオプションで角型ヘッドライトも採用された。(日野は標準の丸型、いすゞは標準で角型)
(再掲)
おそらく、当初は行き先表示(方向幕)が、黄緑色地に白文字という見づらいシロモノだったはず。
この年は、貸切用のスーパーハイデッカーを2台(200、201号車)、三菱から購入しており、その分、路線車の導入を減らして公平にしたのか。


1987年度は導入がなく、1988年度からは中型車の大量導入が始まる。路線車としては初めて日産ディーゼル製が入って4社が揃った。
1988年度は17台導入したうち、大型車5台、中型車12台。日野は5台すべて中型、いすゞは大中2台ずつだったが、三菱と日産ディーゼルでは変わった配分となった。
1988年度214号車(三菱大型)
この年の三菱製は4台。3台が中型(215~218号車)で、1台だけが大型の214号車。
(再掲)前年よりスペックダウン装備が簡略化【2日スペックと言うほどじゃないので訂正】し、普通の窓でヘッドライトは丸型
結果的に三菱の大型車は、2年連続して1台だけの導入となった上、これ以後は同タイプは1台も入らず、秋田市営バスにおいて三菱エアロスターは少数派となってしまった。
この2台は外見からして他と異なったため、まさに異端の1台×2だったと言えよう。

以下の3例は、その年度内では1台だけの導入だったが、前後の年にほぼ同型の車が導入されていて、見た感じの違和感はあまりなかった。
1988年度225号車(日産ディーゼル中型)
初の日産ディーゼル製路線車は3台。大型は2台(223、224号車)で中型が225号車1台だけ。
(再掲)ほぼ同一の1989年度導入車両
1988年は貸切の導入はなかったようなので、路線車だけの割り振り。日産ディーゼルについては、初導入なので大型・中型両方を入れて比べたかったのかもしれない。


1989、1990年度は、中型車だけが大量に導入されたため、各社ともまとまった台数が入った。
1991年度は中型路線車に加えて貸切車も導入(257~259号車?)されたためか、また1台だけの車両が2つ出た。
日野は中型路線3台、いすゞは中型路線4台だったが、三菱と日産ディーゼルが中型路線1台ずつ。三菱と日産ディーゼルは、貸切車両も導入されており(おそらく三菱1、日産ディーゼル2)、その分か。
1991年度267号車(三菱中型)
個人的には、市営バスの車両でかなり印象が薄いのが267号車。乗る機会は少なくなかったのだけど。
「267」のフォントが前年度とも翌年度以降とも異なる
同型車が前年には6台、翌年には7台も導入された。それらをどうしても「連番の同じグループの車両」として見てしまい、そのはざまの1台だけで控えめな存在だったのだろう。
以前座席のことを話題にしたが、三菱製は1992年度から座席の形状や配置が変わって、従来よりゆったり(=これまで窮屈だったのがやっと他社並みに)したものになった。267号車が最後の窮屈な座席の車両だったようだ。

1991年度268号車(日産ディーゼル中型)
(再掲)右が268号車
仕様は1990年度導入の4台とほぼ同一。
強いて上げれば、車内の窓枠の下(壁との境)のプラスチックの部材が、昨年まではほぼ平面の硬い材質だったのが、268号車では一部がゴム状でなだらかに盛り上がったものに変わった。ところが、翌年以降はまた元に戻り、ここだけは完全に異端だった。
矢印の部分。写真では分かりませんが
“境遇”としては267号車と同じ存在だけど、個人的には267号車よりも存在感を覚えた。268号車は、市営バスの歴史の中で「節目」と言える車両だと思うから。
翌1991年度の同型車ではさまざまな変化が生じたので、その直前の最後の1台であるとともに、変化のきざしも感じられたのが268号車だった。すなわち、「市営バス最後の~」と「市営バス最初の~」が268号車で見られた。
最後だったのは、「押しボタンが小さい降車合図ボタン」「マニュアルトランスミッションの日産ディーゼル製中型車」「千円札両替が手動式の運賃箱」。
再掲)このボタンで導入された最後が268号車
翌1992年以降、押しボタンは大型のもの、トランスミッションは日産ディーゼル製はオートマチック(1992年の三菱はマニュアルで導入され、それが最後)が採用された。
運賃箱は、それまでは千円札を縦(床と垂直)方向に挿入し、運転士が何かの操作(ボタンを押す?)しないと両替されなかった。【2日追記】運賃箱に「両替ユニット」的なものを外付けしたようにも見えた。
翌年からは、同じ小田原機器製の運賃箱でも、現在と同様に横方向に挿入するだけで自動的に両替されるタイプ(【2日追記】箱本体に両替機が一体的に内蔵されて、外付け感はない)、もしくは三陽電機製作所(現・レシップ。三洋電機とは別)製の高機能(バーコード読み取り、投入硬貨自動カウントなど)な運賃箱が採用されていく。

初の導入となったのは、感熱紙式の整理券発券機。
それまでは、赤紫や青のインクで印刷するタイプだった整理券が、感熱紙に黒色で印字されるタイプになった。
発券した日付も(「秋田市交通局」の文字も?)印字され、現在主流の整理券とほぼ同一。
さらに「バスツアーは市営バスでお出かけ下さい」という宣伝文句も印字された。

当時は、ワープロ専用機の印刷用紙として感熱紙がよく使われていたが、レシート、ATM利用明細、検針票などにはまだ使われておらず、バスの整理券という用途としても、さらに整理券に日付も含めて鮮明に印字されるのが、斬新に感じられた。
【2日追記】インク式では、インクが薄くて判読できなかったり、濃すぎて手に着いたりすることがあったが、それが解消されてサービス向上になった。インク補充の労力削減や日付表示で不正使用を防止するという、事業者側のメリットもあるはず。ただし、券のサイズがわずかに小さく(短く?)なり、取ったり持ったりでわずかな違和感もあった。

市営バスでこれと同一の整理券発券機が採用されたのは、268号車だけ。
翌1992年は、上記高機能運賃箱に対応したバーコードが印字される感熱紙式と、従来通りのインク式が並行導入。末期にはバーコードはなくなったが、宣伝文句がない一般的な感熱紙整理券が採用された。
【10月3日追記】ただし、268号車の整理券は1993年13月頃には、インク式に交換されてしまっていた(自分で記録していた)。印字が欠ける部分があったり、他の感熱紙式とはメーカーが違ったのかもしれなくて、扱いにくかったのだろうか。

【2日追記】267号車と268号車のナンバープレートを見てみると、連番ながら順序が逆転している。
運賃箱や降車ボタンは267号車も同じだった(整理券はインク式)ので、その2点については、267号車のほうが「最後の車両」とも言える。
※整理券や新型運賃箱についてはこの記事参照



以上、一部は試験的意味合いがあったのかもしれないが、もう少しうまく各メーカーで大・中の配分をできなかったかという気もする。
憶測だが、当時は、中央、東、南の3営業所があり、営業所ごとに配置される路線車両のメーカーがほぼ決まっていた。中央にいすゞ、東に日野、南に三菱と。おそらく、この関係で偏った導入になったのではないだろうか。
1993年には南営業所が廃止(新屋案内所に格下げ)され、東営業所は日野、中央営業所はそれ以外の3メーカーという配置になる。そのせいか、以降は1台だけの導入例はない。

一方、同時に多数が導入された一群でも、その中の1台だけが後から異端な存在になってしまったものもある。後日また

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