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JRC登録式

2024-05-13 22:34:39 | 昔のこと
昭和末の小学生時代、毎年春に恒例の学校行事がいくつかあった。運動会(当時から秋田では秋より春のほうが大々的)、遠足、交通安全教室、避難訓練、身体測定・各診療科の検診などもそうだが、今回取り上げるのは「JRC登録式」。
卒業アルバムの中の行事記録で確認できた、6年間のうち3年は、ゴールデンウィーク前後(4月下旬から5月上旬)に行われていた。
ネットで調べると、全国的には現在でも、幼稚園・保育所・こども園から高等学校まで、行う園・学校はある。しかし、秋田市内では行われていなそうな雰囲気。

JRC(ジェーアールシー)とは「Junior Red Cross」、「青少年赤十字」のこと。
※以下、日本赤十字社岩手県支部の資料(https://www.jrc.or.jp/chapter/iwate/pdf/ae8362b1caa8c5b5b669907403abfa8fd256d73c.pdf)も参考にさせてもらいました。
詳しくは日本赤十字社のホームページ等でご覧いただきたいが、赤十字の活動を学校教育に取り入れるもの。そのために新入園・新入学した園児児童生徒を、「登録」する式典といったところ。ただ、実際には、年度単位での登録らしいので、手続き上は、2年生以上も毎年全校児童を登録更新していたのだろう。

岩手県支部の資料には、5月8日の「世界赤十字デー」にちなみ、その辺りで登録式を行う学校が多いとある。実際には新年度初めとか、連休前後という、学校運営的にふさわしい時期がそこであるという理由のほうが大きいかもしれない。
基本的にどこでも同じようだが、母校では、全児童が体育館に集まる、全校集会の形で行われた。岩手県支部の資料には、日赤支部から「担当者が出席して,お祝いと激励を申し上げます。」とあり、そういえば、昔の秋田でもそうだったかも。ほかの内容としては、赤十字の起源や目的の説明があったり、児童代表が作文を読んだりといったところだったはず(その他後述)。

といっても、登録式以外には、明確なJRC活動をした記憶がない。「JRC委員会」が存在する学校もあるが、母校にはなかった。
JRCに関連して「小さな親切運動」というフレーズにはおぼえがあるが、何かをしたわけではないはず。今調べると、「1円玉募金」に赤十字やJRCが関わっているようで、言われてみれば何度か小学校でやった気もするが、毎年ではなかった。
幼稚園、中学校以降では、JRCの名を耳にする機会さえなかった。
というわけで、実質、JRC=JRC登録式なのだが、JRCを印象付けるものがいろいろあった。
●バッジ
赤十字を、白抜きの桜の花(★星にも見える)が並ぶ青い円で囲んだのが、JRCのマーク。
新入生には、それをかたどった直径1センチ強のピンバッジが配られた。多くの児童は、それをクリアケース状の名札(関連記事)の中に入れ、大切にした。2年生以上に進級しても、引き続き名札にいれる子もいたが、学年が上がるごとに少なくなっていき、5年生・6年生ではほとんどいなかったのではないか。
ところで、JRC未登録の学校から、登録式以降に転入して来た子は、バッジをもらえたのだろうか。

●「空は世界へ」
JRCの歌。
登録式前、つまり新年度早々に、音楽の授業など各クラスで練習して、式で歌った。式が終われば歌う機会はなかったと思うが、毎年のことだから、6年間で忘れることはなかったし、今も歌詞は怪しいが、メロディーはよく覚えている。

歌詞は「空は世界へつづいてる」が歌い出しで、「空が僕らの私らの こころよ心よ少年赤十字」で終わる。歌詞では「青」が抜けた「少年赤十字」。
「空」「心」は1番で、2番以降ではその部分が違うものになり、けっこう長い歌だと記憶していた。

調べたら4番まであり、2番は花・姿、3番は星・誇り、4番が旗・しるしであった。
作詞は杉江健次、杉江健介、作曲は橋本国彦。
「赤十字WEBミュージアム」によれば、1946年「日赤は青少年赤十字の戦後再建を進める中、毎日新聞社の後援で「子ども赤十字の歌」の歌詞を一般から募集」し、橋本氏に作曲を依頼。別の情報では、作詞のお二人は兄弟らしい。
作曲者(1904~1949)は東京音楽学校教授を務め、「朝はどこから」や秋田県立湯沢高等学校校歌も手がけている。

1954年には「青少年赤十字の歌」が作られており(田中進兵衛 作詞、山田耕作 作曲)、中学校以上ではこちらが歌われるようだ。

●しんしん
プログラム的には、歌より先のようだが、式では、「ちかい」、いわゆる“誓いの言葉”を全員で唱和する。岩手県支部資料では「各学年ごと一句ずつ」とあるが、我々は最初から最後まで全員で声をそろえたはず。

アメリカのJRCのちかいを基に、戦後ずっと使われているそうで、「ちかい/わたくしは青少年赤十字の一員として心身を強健にし…」というもの。
ずっと前に、学校給食の記事への追記で触れているのだが、この時に、低学年を中心とした児童の間で、クスクスと笑いが起きた。
原因は「心身」が福神漬を連想させるから。

当時、株式会社新進が、福神漬を「新進漬(しんしんづけ)」として発売していた。学校給食のカレーの時にも出され、献立表にも商品名で記載されることがあったので、子どもにもその名が知られていた。「心身」という言葉を知らない、低学年にはおかしかったのだろう。
※現在は「しんしん」ロゴはあるが、商品名としては「福神漬」になっている。また、新進は今なお福神漬のトップメーカーであるが、プライベートブランドの福神漬ができ(製造元は新進だけど)、以前は秋田ではあまり見なかったと思う東海漬物が躍進するなど、相対的に「しんしん」の知名度は下がってしまったかもしれない。

●教室前方
学級担任の方針により違いはあっただろうが、各教室には、その「ちかい」が、通年で掲示された。正面の黒板横の掲示板なんかに張られることが多く、毎日目に入った。
すべすべした厚手の紙に、扁平気味の手書きの楷書で書かれた、賞状のようなしっかりとした印刷物。インクは紺色だったか。今、ネットで画像検索しても、当時と同一と思われるものばかりで、少なくとも40年不変なことになる。

それとセットで、ヒゲの西洋人男性のサイン入りのモノクロ印刷の顔も掲示された。赤十字創設者のアンリー・デュナン。※「アンリ・デュナン」と表記されることもあるが、日本赤十字社では「アンリー」と伸ばしている。その誕生日が世界赤十字デー。
岩手県支部の資料に、やはり昔と同じと思われる画像が載っていて、「アンリー・デュナンの肖像画(写真)」とされている。絵なのか写真なのかどっち?

●高学年の国語
秋田市が採択している光村図書の国語の教科書では、高学年の国語の教科書にアンリー・デュナンの伝記が載っていた。
6年生かと思っていたが、同社ホームページ「教科書クロニクル」によれば、5年生の下巻「大地」に「赤十字の創立者 ―アンリー=デュナン」のタイトルで掲載。現在のホームページでは「アンリー」表記。しかし、当時の教科書では「アンリ」表記で、登録式で聞くアンリーとは違うじゃないかと思ったような気がする。
この授業で赤十字についてよく知ることができ、1年生の頃から登録式で聞いていた話の理解が深まった。

1977年度版が初出で、1983年度版(1985年度まで使用)までは上巻「銀河」のほうに掲載。我々が使った1986年度版から下巻に移って、次の1989年度版(1991年度まで使用)が最後。
作者・筆者名は出ておらず、光村図書編集部によるオリジナルのようで、許可を得て日赤が指導用教材として転載している事例がある。となると、他の教科書会社を使っていた地域・学校の子は知らずに終わったのだろう。
思い出は以上。


日本赤十字社 秋田県支部「令和四年度 事業概要」によれば、2022年度末の秋田県内でJRCに登録されているのは、215校・園、3万2221人。
学校名も載っていて、ざっと見ると大仙・仙北エリアで登録が多い。秋田市内では、市立小学校7校で、母校の名はない。
7校には、大規模校も小規模校もある。過去の事業概要と比較すると、この数年の間に若干の入れ替わり、すなわち新たに登録された学校と、登録をやめてしまった学校が一部ある。学校ごとの方針転換か。
冒頭の通り、登録されているはずの学校でも、(年度は違って2024年度だが)行事予定に登録式はない。登録式をする余裕がなくなったのか。
その他、中学校は秋田市立秋田南と県立秋田南高校中等部のみ。あとは幼・保・こども園、高校(県立私立ともあるが、秋田南高校高等部はなし)、特別支援学校。

僕は当時から、“幽霊登録”、“名ばかり登録”だったことになるが、青少年でもなくなった今こそ、少しは人のために何かしようかな。しんしんを強健にして。
コメント (5)
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