桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

福島弘文

2009-12-25 | Weblog
元信州大学で法医学教授をしていて、今は科学警察研究所長をしている。
昨日、足利事件公判に出廷して、菅家さんを犯人にした科学警察研究所の行なった鑑定に付いての妥当性を証言した。
俺はDNAに付いては無知に等しい。検察とのやり取り、弁護団とのやり取り、何れも理解出来ないところが多々あった中で、感じるところは二つあった。
その一つは、非常に多弁なところだ。質問を外れて延々と話し、何度か注意されても質問に的確に言葉を返せいでいるのを見て、どこか思考経路か言語経路に瑕疵があるのではないと感じた。が、最後まで聞いて、そうでは無いと判った。
もう一つは、科学警察研究所の鑑定を批判した筑波大学の本田教授の名前が出されたり、その本田鑑定のことになると異様に反応して冷静を欠いた言葉になることだった。福島氏が信州大学教授のとき、本田氏は助手だった。出藍の誉れ。DNA鑑定における助手の才を認め得ない、何かがあったのかと感じさせる、異常なほどの本田氏に対する敵意だった。
福島氏の証言全体は、かなり不公平だった。本田鑑定を批判するときは、その鑑定にバックアップ記録が無いことなど、色々と多弁に語ったが、科学警察研究所の鑑定にもあったバックアップ記録の不存在には「仕方ない」などど語って平然としていた。
証言を聞く中で科警研鑑定に不信を感じたのは、当時の鑑定資料を示す記録が開示されたとして法廷に公開されたときだ。
当時、科警研は、菅家さんのDNA鑑定が犯人と一致したとして写真を二枚残していて、これが犯人の根拠にされたのだが、福島氏は写真が二枚なのは二度試験したと言うことで二度で充分だと語った。しかし、その当時の鑑定資料によれば、約120回分の鑑定をする資料が抽出されたとある。
おやおや?だよね。
120回も鑑定をする液があったのに、たった二度しか試験をしなかったなんて、本当かい?
しかも、その二枚の写真は、非常に不鮮明で、信州大学教授だった当時に福島氏は、写真に不鮮明があれば、その結果は廃棄して再試験しろと論文として発表したほどの代物でしかなかったのだ。
布川事件で、当時の捜査幹部は指紋を合わせられないかと鑑識員に指示した。足利事件では、科学警察研究所がDNAを合わせたのではないか?
福島弘文は、二回しか試験をしなかったと語るが、120回の資料液の総てを使って検査し、たまたま菅家さんのDNAと似た感じの不鮮明な写真を得た二枚を証拠にしたのではないか。福島証言のお粗末さを示したのは、「写真よりもネガは鮮明に出るもので、鑑定者はネガで判断したと思う」と語ったのに、その肝心なネガは科学警察研究所には無くなっていたのだが、それを仕方ないものと看過したことだ。本田鑑定のバックアップ記録不足を責めながら、自らは容認する、科学者として、こんな恥ずかしい話はあるまい。
はっきりしている。そのネガがあっては不都合だから廃棄処分をしたのた。消し去ったのだ。
福島弘文は、とうとう菅家さんに科学警察研究所の行なった行為を詫びなかった。鑑定ミスとしてすらも詫びずに帰った。
最後まで聞いて、福島弘文は思考経路や言語経路に欠陥があるのでは無いと判った。頑なに科学警察研究所の権威を守るために、ひたすら言い訳を考えてのものだったから、あんな言葉になったのだ。
科学警察研究所、そして警察と検察は、今後も証拠を「合わせた」冤罪を作り続けることだろう。

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2 コメント

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ハラワタが煮えくりかえります (小市民)
2009-12-25 09:08:02
[福島弘文は、とうとう菅家さんに科学警察研究所の行なった行為を詫びなかった。鑑定ミスとしてすらも詫びずに帰った。]
 残念なことですが、 こういう自分の立場と組織のことしか考えず、人を平気ではめるあくどい人間が出世するんですよね。国民を太平洋戦争に狩り出した人間も、この福島のような人間だったのでしょう。ハラワタが煮えるような怒りを福島に覚えます。
科捜研はその名に値する人を (千恵子)
2009-12-26 08:03:44
ひどい人ですね。こんな人が、科捜研所長でいるとは、呆れてしまいます。私たちの税金で犯罪を行ってようなものですね。一度しかない人の人生を台無しにしてもなんとも思わない最低の人だと思います。このまま居座ってもらっては、次の犠牲者が出ます。声をあげなければと思います。

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