昨日、可視化を議論する法制審議会が開かれたことで、各紙に報道された。
同じ中味が公表されたはずなのに、何故か評価は違う。讀賣などは「取り調べ全過程可視化」と一面トップだ。讀賣しか読まない人は、これで取り調べはすべてが可視化されると思うだろう。しかし、事実は違う。この讀賣の評価通りに実施されても、警察や検察が行う取り調べの2~3パーセントの事件が可視化されるに過ぎない。裁判員制度の重大事件しか対象にしていないからだ。
「取調べ 全過程で可視化」とした毎日も、一面では評価したような記事だが、3面の解説では批判的だ。
その毎日のコラム「余禄」に面白い内容を見た。例のパソコン遠隔操作事件で「自白した人」がいるが、その人は「警察に教えられて」と言うのに、取調者は「教えていない」と言う。確か警察は、このパソコン遠隔操作事件の誤認逮捕と「自白」に付いて、「嘘の自白に騙された。今後は騙されないようにする」と反省しているはずだ。警察には冤罪を生んでいる自覚がない。何時も何時も人を疑い、犯罪者と対峙する警察官は人を疑う力だけが増して、人の真実を見抜く力を失う。
このような人たちと組織に「人権を守るべきため」の取調時の全面可視化議論を行わせるのが、そもそも間違いなのだ。
全面可視化は被疑者の人権を守るだけではない意味がある。違法な取り調べをしたくない捜査官をも守る。今の警察では「自白させろ」の命令に従い、違法・無法な調べを意に反してい行う警察官もいるだろう。一人の冤罪を生まないためと同じに、一人の警察官の正義感も守るために、即時、取り調べの全面可視化を行うべきだ。
検察官委員は「年間に起訴されるのは5~6万件。その中で任意性の争われるのは600件に1件。業務負担や施設面問題を考慮すると(全事件の可視化は)非現実的」と語ったらしい。
腐れ検察の言いそうなことだが、この検察官が言うところから見ると「年間に100人が無実を訴えている」ことになる。果たして、この年間100人の無実の訴えは、どうなっているのだろうか。多分、99・7パーセントの有罪率を誇る日本の裁判所では「97名は有罪」となっているだろう。
この97名の中に、何名の冤罪者がいることかと思ったらば、言葉を失う。世界各国で行っている全面可視化が日本で行えないはずはない。やらないのは、冤罪を作っている自覚がなくて、人権を守る意識がないからだ。警察も検察も冤罪の前には「犯罪者」だ。犯罪者の言いわけは沢山だ。早くやれと言いたいね。
一刻も早く、全面可視化と証拠の開示をしてほしい。