簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

野路 萩の玉川(東海道歩き旅・近江の国)

2024-05-15 | Weblog
「あすもこむ 野路の玉川萩こえて 色なる波に 月やどりけり」



「野路の玉川に明日もまた来よう。萩の花を越えて色が付いた川の波に
月が写っている」と言う様な意味らしい。
作者は源俊頼、「水上月」という題で詠んだ一首で、千載集に所載され
ているという。



 ここ野路は、平安末期には既に世に知られ、鎌倉時代には旧街道の宿
場として栄え、多くの紀行文にもその名が登場するという。
また古くから、和歌の名所としても知られていた。



 県道43号(平野草津)線を越えた先に、「野路 萩の玉川」というと
ころが有った。旧東海道沿いにあり景勝地として、また萩の名所として
知られていたという。

 嘗ては、流れる川だが、江戸時代には埋もれて池になっていたらしく、
その後は宅地化が進み僅かに残る沼地となった。
今は地元の有志により小さな池として整備されている。



 野路の玉川は、日本六玉川の一つとされている。
因みに他は、「高野(紀伊―毒水)」「野田(陸奥―千鳥)」「卯花
(摂津―卯の花)」「調布(武蔵―調布)」「井手(山城―山吹)」だ。



 野路町内会の公式HPを覗くと、「ここ野路の玉川は、平安時代末
(12世紀)から有名になった歌所で、萩の玉川とも言われ、日本六玉
川のひとつとして知られています。
野路はまた鎌倉時代、有名な宿駅でもありました。」



 更に、「野路の玉川は、平安、鎌倉時代の東山道沿いに位置し、往来
の旅人たちも、秋には「詩に詠まれている、野路の篠原(現在の平野)」
あたりを越えると、一面になみいる萩の花の景観を堪能したことと推察
されます。」と書かれていた。(続)




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