よく駅の階段にある広告で「高齢者や体の不自由な人をいたわりましょう」的なことが書いてある。
良い心がけかもしれないが極論を言えば、それをしたほうがいいと「強調」するからには、
それをしたくないという世の中の「本音」がある。
前回の日記に通じるが、真に差別なき世界(もちろんあり得ないことではあるが)ならば、そのような「概念」すら形成されずに物事は済んでいる。
それをなるべく強制力を持って行うという事は、強制しなければ差別排斥へと流れるからである。
これは、一障害者として云々ではなく、ヒトとしての性である。
その事実に目を向けず、性善説よろしく上記広告とか、「明るい社会」とか、言っていることに違和感を感じてならない。
事実に蓋をして、ただただ強制力を以て「形だけ」を作っているに過ぎないのではなかろうか。
事実を事実と言わず建前で隠す。
そんな社会、遅かれ早かれ消えたほうがよろしい。
良い心がけかもしれないが極論を言えば、それをしたほうがいいと「強調」するからには、
それをしたくないという世の中の「本音」がある。
前回の日記に通じるが、真に差別なき世界(もちろんあり得ないことではあるが)ならば、そのような「概念」すら形成されずに物事は済んでいる。
それをなるべく強制力を持って行うという事は、強制しなければ差別排斥へと流れるからである。
これは、一障害者として云々ではなく、ヒトとしての性である。
その事実に目を向けず、性善説よろしく上記広告とか、「明るい社会」とか、言っていることに違和感を感じてならない。
事実に蓋をして、ただただ強制力を以て「形だけ」を作っているに過ぎないのではなかろうか。
事実を事実と言わず建前で隠す。
そんな社会、遅かれ早かれ消えたほうがよろしい。