スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

いで湯賞&出来事の一回性

2007-12-16 19:07:13 | 競輪
 伊東競輪場は本当は伊東温泉競輪場といいます。そこで今日の2日目優秀(動画)もいで湯賞。温泉地らしいネーミングとはいえます。
 並びは昨日の僕の想定とは異なり,稲垣選手に志智選手がマークして近畿中部,藤原選手は北日本追走できれいな3分戦。地区的にはこの方が自然といえるかもしれません。
 前受けは岡部選手。後方となった稲垣選手は中団の石橋選手を牽制してから残り2周のバックで岡部選手を叩いて先行。遅れをとった石橋選手は追い上げて4番手の外を岡部選手と併走,ホームに入ってから巻き返しに出ました。当然ながら稲垣選手も応戦。両者のもがき合いはバックに入っても続きましたが,石橋選手の番手から新田選手がさらに外を行く構え。ここで稲垣選手の番手の志智選手が飯田選手をどかしてうまく新田選手の後ろにスイッチ。最終的には石橋選手が稲垣選手を叩く形になったものの,直線は新田選手が伸びて快勝。切り替えた志智選手が2着で志智選手マークの浜口選手が3着に流れ込んでいます。
 新田選手も自力選手ですので,石橋選手がここまで頑張ってくれればここは割合と楽に勝てたのではないかと思います。きれいな3分戦となり,岡部選手は先行もなければ斬り込みもほぼないタイプの選手ですから,展開的にも恵まれた感じです。

 一般性と個別性のほかにもうひとつ,これまでの考察と関連して第三部定理五六の内容と関係していると僕が考えているのは,これはスピノザの哲学の特徴とまではいえないのかもしれませんが,僕が人間の意志は自由なものではないということを説明するために利用した,出来事の一回性という考え方です。第一部公理三により,どんな結果もある原因によって必然的に与えられるので,ある人間がなす行為,あるいは抱く意志というものは,その場その場で必然的なものであって,そのほかの可能性というものはありません。少なくともこのことは,スピノザ自身も認めることであろうと僕は思います。
 ところで,第一部公理三というのは,自然のうちに実在するもの,あるいは実在し得るものにとって,すべてに妥当する絶対的な公理です。そして人間の感情というものもまた,実在する場合には自然のうちに実在するものなのであって,自然の外に実在するということはあり得ません。よって人間がある感情を抱くときには,実はある原因から必然的にそうした感情を抱いているということになります。そもそもスピノザが人間の感情を論理的に論じることができると考えていること自体がこのことに依拠しているのであって,それはスピノザが第三部の序言に著している通りです。
 そこで,もしも感情の対象が異なるならば,原因が異なるわけですからその必然性は異なるでしょう。したがって発生した感情もまた,その必然性を個別的にみるならば異なった必然性に依存する別の感情と考えられなければなりません。よって,やはりこの観点からも,定理五六の内容は保持されなければならないということがいえるのではないかと思います。
コメント
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