(つづき)
福岡県筑紫野市の「筑紫」バス停。
長崎街道と薩摩街道が出会う「筑紫」交差点そばのバス停であり、かつての交通の要衝だが、
現在のバス路線は、筑紫駅西口と筑紫野ニュータウンを結ぶ「17番」のみ。
両方向まとめて一つの標柱。
標柱がある側に停車するバスは、全て次で終点であるのに対し、反対側には筑紫野ニュータウン方面行きが停車し、また、病院もあったりして、「バス待ち」のニーズは反対側のほうが高そうだが、なぜか反対側には標柱が設置されないまま。
近くに「筑紫」駅があって、この付近の地名もたしかに「筑紫」なのだが、旧「筑紫」郡は筑紫野市、大野城市、春日市、太宰府市、那珂川町の広範にわたり、その「筑紫」の現在の中心がここかといえばそうではない感じ。
非常にどうでもいい話だが、「筑紫」のように、広範囲を示す地名がピンポイントの地名としても使われる場合、対外的なイメージの点で“ハンディ”があるなぁということをたまに考える。
現在の遠賀郡を構成する各町のうち、「水巻」「芦屋」「岡垣」は、それぞれに対してイメージを抱くことができるのだが、「遠賀」については他の3つの町と比べてイメージがややぼんやりしてしまう(←あくまで個人の感想です)。
旧浮羽郡の「吉井」「田主丸」に対する「浮羽」とか、現在の朝倉市を構成する「甘木」「杷木」に対する「朝倉」も同様。
ちなみに、「朝倉」に関しては、インターチェンジの名称が合併前の地名をベースにしているため(西から「甘木」「朝倉」「杷木」という並び)、現在の「朝倉市」の中心ではないところに「朝倉」インターがあるという状態になっている。
実態に合わせるならば、「朝倉甘木」「朝倉比良松」「朝倉杷木」…とかになるのかもしれないが、今さら変えてもややこしいだけでしょうか。
(つづく)
福岡県筑紫野市の「筑紫」バス停。
長崎街道と薩摩街道が出会う「筑紫」交差点そばのバス停であり、かつての交通の要衝だが、
現在のバス路線は、筑紫駅西口と筑紫野ニュータウンを結ぶ「17番」のみ。
両方向まとめて一つの標柱。
標柱がある側に停車するバスは、全て次で終点であるのに対し、反対側には筑紫野ニュータウン方面行きが停車し、また、病院もあったりして、「バス待ち」のニーズは反対側のほうが高そうだが、なぜか反対側には標柱が設置されないまま。
近くに「筑紫」駅があって、この付近の地名もたしかに「筑紫」なのだが、旧「筑紫」郡は筑紫野市、大野城市、春日市、太宰府市、那珂川町の広範にわたり、その「筑紫」の現在の中心がここかといえばそうではない感じ。
非常にどうでもいい話だが、「筑紫」のように、広範囲を示す地名がピンポイントの地名としても使われる場合、対外的なイメージの点で“ハンディ”があるなぁということをたまに考える。
現在の遠賀郡を構成する各町のうち、「水巻」「芦屋」「岡垣」は、それぞれに対してイメージを抱くことができるのだが、「遠賀」については他の3つの町と比べてイメージがややぼんやりしてしまう(←あくまで個人の感想です)。
旧浮羽郡の「吉井」「田主丸」に対する「浮羽」とか、現在の朝倉市を構成する「甘木」「杷木」に対する「朝倉」も同様。
ちなみに、「朝倉」に関しては、インターチェンジの名称が合併前の地名をベースにしているため(西から「甘木」「朝倉」「杷木」という並び)、現在の「朝倉市」の中心ではないところに「朝倉」インターがあるという状態になっている。
実態に合わせるならば、「朝倉甘木」「朝倉比良松」「朝倉杷木」…とかになるのかもしれないが、今さら変えてもややこしいだけでしょうか。
(つづく)
筑紫バス停の時刻表は、最近まで24番の筑紫駅行きの時刻表が掲示してありました。まあ、筑紫駅まで乗る乗客は皆無でしょうが(笑)
私の自宅から一番近いバス停が筑紫バス停ですので、親しみがあります。しかしこの路線はいつまで残るのでしょうか?補助金が打ち切られたら(-_-;)
>しかしこの路線はいつまで残るのでしょうか?補助金が打ち切られたら(-_-;)
ギリギリ生き延びている感じで、予断を許さない感じですね。
周辺を見渡せば、住宅、商業施設、駅、病院などもあり、市域の枠を超えて検討すればもっと良い路線ができそうではあるのに、残念ですね。
ただ1889年の市制、町村制の時点で那珂郡「筑紫村」でしたし、筑紫村自体それ以前から存在していました。
古くは奈良時代、筑前国、筑後国に分割される前は「筑紫国」でしたし、さらには九州の古称のひとつでもある「筑紫」。
なぜこのような場所が「筑紫」と名付けられたのか、私もかねてから関心がありました。
那珂郡筑紫村ではなく、御笠郡筑紫村の誤りです。修正します。
「筑紫」はもともと、次のバス停でもある筑紫神社周辺の地名だったようなので、ここが筑紫の名の発祥であることは間違いないのではないかと思います。
私も、その「筑紫」が筑前と筑後、ひいては九州全体を指す意味があることや筑紫郡の変遷については大まかには存じているつもりですが、時が流れ、現在「筑紫」と言ってイメージする場所とは違うよなぁ…という卑近な例として旧筑紫郡エリアを用いた次第です。
筑紫駅の西口は、本当の「筑紫口」ですね(笑)